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毒親から逃げられない話 小学校編①

毒親話を覗いてくださりありがとうございます。
初めましての方は以下の初回noteを読んでから戻ってきていただけたらと思います。

https://note.com/amiko_m/n/naad06cba63b8


(幼稚園時代の毒親↓)

https://note.com/amiko_m/n/nf500c8d5184a

ここから本編

小学校に上がると他人と自分の違いについてだんだんと理解し始めた。
そして自分の家族が友達の家とはだいぶ考え方が異なるのだと気づいてしまった。
私の厭世観がスタートした。

今回は私の両親の特徴である「必要なことを教えてくれない・必要なものを与えてくれない」について書こうと思う。
長くなるので前編・後編の二つに分ける。
今日は前編をどうぞ。


⑴ お小遣いについて

小学生中学年くらいから、友人たちはお小遣いをもらうようになっていた。
月に決まった額がもらえたり、お手伝いをするともらえたりするようだった。

私といえば、そのような制度は一切なかった。
文房具や友人への誕生日プレゼントなど、必要なものがあれば親が買うというシステムだったからだ。

逆にいえば、親が必要なものだと判断しなければ購入することができない。
読書が好きで、好きな本のシリーズを揃えたかった。
小学校では匂い付きの可愛いペンや、練り消し、プロフィール帳が流行っていて、私も喉から手が出るほど欲しかった。
少女漫画や雑誌を買ってみたかった。
しかし当然のことながら許可がおりず、ただの夢想でしかなかった。

お小遣いをもらっている子たちは、誰かの誕生日が近づくと、連れ立って近所の文房具屋さんに行くのが恒例だった。
私はそれに参加したこともない。
お小遣いはないし、誕生日プレゼントは母のお眼鏡に叶うものでないといけなかったからだ。

もちろん、幾度となく交渉をした。
友人の家での例を挙げてみたり、お手伝いをした後にお小遣いをねだったりもした。
いくら言ってみても、親は譲歩の姿勢さえ見せず、交渉は決裂に終わった。
「お小遣いを渡すなら、服や食費もそこから出してもらうよ」
そんなことを言われては、黙り込むしかできないだろう。


⑵ 服

次はそんな服について。

幼稚園編のランドセルでも片鱗が見えたが、私の母は高級なものが好きだ。
私は服もかなり高価なものを与えられていた。

良いものはえてして高いが、良いものを長く使えば安くて脆いものを使い頻繁に買い換えるよりも、結局のところ徳である。
安いものを大量に持つよりも、高価なものを少しだけ持つのが良い。

そんな考えを母が持っていたからだ。
確かに大量生産大量消費は良いとは言えない。

しかし、子ども服である。
小学生の私はどんどん背が伸びて、すぐに服を買い替えていた。
さらに、毎日私服を着るのだから、ある程度の服のバリエーションは必要である。

新しいものを買うたびに私は心が痛んだ。
汚してしまうのが怖くて、校庭で遊べなかった時期もあった。
サイズが合わなくなったものは、母の友人で子どもを持つ家庭にお下がりとしてあげていたことは大人になってから聞かされた。

同時に、同じ服ばかり着るのが嫌だった。
同じ服ばかり着ている児童は虐待されている可能性があるということは、当時私も新聞で読んで知っていた。
だから先生が苦しい状況を察知してくれるのではないかと期待したこともあった。
けれども、小学校の先生は気づいてないようだった。
気づかないようにしていたのかもしれない。
以前述べたように、私の両親は教師をしている。
そのことはもちろん先生も知っていて、そのせいか家庭訪問や授業参観では私の両親の前では萎縮する先生が多かった。
これでは問題の気配を感じてもスルーしてしまうだろう。
もしくはただ単純に、教師の家庭だから問題なぞ起きるわけがないと考えていたのかもしれない。

話は戻って服の話。
デザインも、母はシンプルで暗い色の服を好み、私にもそのような服を着せていた。
黒や茶、紺色の服ばかりで、私はもっと可愛らしいものを欲しがったが、叶うことはなかった。

現在の子供服事情は知らないが、当時はポンポネットやメゾピアノなどの可愛いブランドがあり、女の子たちはミニスカートにニーソを履いていた。
他方、私は常に暗い色の服を着て、パンツスタイルを通していた。
女の子たちはキラキラ輝いていた。

母に、ミニスカートやふわふわした可愛い服が着たいと言ってみたことがある。
返答はこうだった。
「可愛い服を着たいと思うというのは、深層心理では男の人に可愛いと思ってもらいたい、好かれたいという欲望があるというとよ」
なんだかよくわからなかったが、可愛い服を着たいと望むことは、恥ずかしくて気持ちの悪いことのように聞こえた。

私は自分の心に嘘をつくようになった。
暗い色は汚れても目立たない。男子と遊ぶならパンツスタイルの方が動きやすいし、転んでもダメージが少ないはず。これで良いのだ、と。
小学生の私は、女の子たちにはあまり相手にされなかったこともあり、男の子ばかりと遊んでいたから、現実を見れば合理的な判断である。
でも可愛い服を着たい気持ちを完全になくすことはできず、ずっと両方の気持ちが心の中にあって苦しかった。

結局小学校最後の2年間は一度もスカートを履くことなく卒業した。
(卒業式で男の子に「卒業式くらいスカート履いてこいよ」と言われたのをよく覚えている)


⑶ 食べ物について

母は食べ物にもこだわりがあった。
添加物や農薬をなるべく使わないものを選び、国産にこだわっている。

当然駄菓子やスナックのたぐいは我が家には存在せず、KFCやマクドナルドは名前も知らなかった。
友人の家で初めて食べたポテトチップスや三ツ矢サイダーの美味しさは今でも覚えている。
大人になってから憧れだったねるねるねるねを買って食べてみたが、あれは子ども時代から親しんでいるからこそ美味しく食べられるものなのだと感じた。

さらに、母は食べ物も好き嫌いが激しく、嫌いな食材は食卓に上ることがなかった。
試しに出禁食材を挙げてみよう。
豚肉、鶏肉、ひき肉、ベーコン、卵、マヨネーズ、ケチャップ、ウスターソース、人参、牛乳、ブロッコリー、もやし、じゃがいも、玉ねぎ、キャベツetc…
(ただし最後の三つは新じゃが、新玉ねぎ、春キャベツは許容される)

どんな料理がおかずとして食卓に上るのかというと、牛肉か魚を焼いたものがメインである。
(魚も種類によっては使用不可なのだが、省略する)
最近は私が食事の準備をしているからものすごく大変なのだが、その話はまた今度。

そんなこんなで、小学校の給食は私にとって驚きの連続だった。
牛乳はもちろん、ハンバーグ、カレー、クリームシチュー、ビビンバ、けんちん汁、肉じゃが、カレーうどん……
一年生の頃は、見たことがない献立におっかなびっくりだった。

中でも私のお気に入りは卵スープ。
すまし汁にふわふわの卵と豆腐が入っているだけのシンプルなものだったが、6年間ずっと好きだった。
卵スープが好きと言うと友人たちからは笑われたが、給食に出ると毎回おかわりするほどだった。


今回はここまで。
ちなみに今の好きな食べ物は、オムレツ、唐揚げ、チャーハン、ハンバーグ。
私としては牛肉はいいから鶏肉いっぱい食べたい。


(追記)
小学校編②を投稿しました。


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