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大人になれない親を持つ 2

私の怪我は他にもあった、今も傷痕残っている…私がいけない話になっているけど3歳前の事で最初の怪我の事以外は覚えていないから本当はどうだったのか。母ひとりに子育てを任せられないとなったみたいだ。幼い頃は母方の祖母が通院とか言ってよく泊りに来ていた事を後に父から聞いていた。

母は結婚前には実家で甥達とも同居だったからお姉ちゃんと呼ばれ仲良かった。幼い甥の事は可愛がっていたみたいだ。
じゃあどうして実子には…私を産む時が超難産だったからか。都立病院だったから2人共助かったらしい。母体優先で子供は最悪諦めてという状態だったと。残酷な宣告をされていた。私が生きているのは奇跡。生まれて来た私は3800gとても元気で退院する時には看護婦さんに寂しくなると言われたそう。
一番寒い時期、浩宮様が産まれる約ひと月前の事。
元気な私とは裏腹に母の産後の肥立は悪かった。
つづく

(これを書いているのは、歳を重ねて消化出来た気がして文章にしようと思ったんです。なので読んで重い気持ちになったらごめなさい。今はどういう意味があったのか考えてます。)

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