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無職のほうが有職よりも毎日必死に頭を使うことになる

 昨日の朝、生まれて初めて、朝から下痢していたのだけども、まるでその前の晩、夜中下痢していたような雰囲気で、その上原因が全然分からないので、ひたすら気にしないようにしていた。普段の自分からしたら全然考えられないほど本当に突然下痢をしていたのが、今朝は大丈夫だったので安心した。一昨日、ずーっと日中、お腹が一定時間毎にぎゅううううと鳴っていた。それがとてもおかしい感じで、まるで病院で検査して貰っている時に、腹部に何か当てているような感じ。お腹の中にペースメーカーでもあって、一定時間毎に鳴っているようにも感じられて、不気味だった。そのお腹が鳴るのが自分に聞こえるのだけども、全然痛くはなかったので、とてもおかしい感じがして、敢えて気にしないようにしていた。自分がお腹を壊す場合、気温のせいで急にお腹を壊す体質である。大学時代、就活のルールに乗っ取った黒スーツの上にベージュのトレンチコートで真冬、外を歩いていたら、池の氷がバリンと割れるようにいきなりお腹を壊したのは忘れられない。この私がスーツなんていう、社会的立ち位置を得られている子綺麗な服装をしていたのがそもそもちょっとおかしいのだけども。体質的に慢性的に下痢をするタイプでは全く無く、最近も少し太ったけども、腹回りのまあまあ余分な肉がからだをしっかり温めてくれているので下痢はしない。考えてみたら結局原因が分からず、とにかく、この類の体調不良が始めてだったけども、収まって本当に良かった。とくに今日は朝が早かったので、こういう時に体調が良くないと対応するのが大変だ。顔のアトピー性皮膚炎が酷いので、少し手間をかけて化粧水をつけた。そういうことをしていたら出掛けるまであと4分になってしまって、本当はもうちょっとアトピーが出ている肌をどうにかしたかったのだけども、友人の自宅を訪問するために乗る電車に間に合わないので、もう家を出るしかなかった。ただでさえ本調子で無い時に時間が無くて、こういう時に家族に足を止められないか非常に気になる。母親の方は急いで焦っている私と違って、朗らかになれるほど時間があるので、一度話しかけてくるといかに容易に朝食を準備できるかをずっと話してくれるのだけども、私の方にはその準備された食事を食べる時間が無い。既に準備していて、席につけば良い状態にしていてくれているなら、少し遅刻してでも食べようと思けども。乗る電車に間に合う時間に家を出られて着いた駅のホームは空いていて気持ち良かった。最寄駅から横浜駅まではあっという間だ。盆栽展が開催される土呂駅に向かうために横浜駅から東海道線に乗ったのだが、そこはあらゆる人間の詰め合わせであった。ただでさえ今現在無職で、普段全然電車に乗らない上に、その分際で友人に会いに行くからか、車内にいる人間たち全員から、私だけが外様認定されているような感覚になった。確かに以前のように、毎日毎日働くために、足元だけ見てひたすら電車に乗り込んでいた時と違って、最近は電車に乗っている時、何故か車内の、今の自分と同じくらい社会的に独特な人物に目がいってしまう。仲間意識というのでは無いし、安心させられるというのでも無いけども、世の中は広くて以外と自分と似たようなのが結構いると気付かされた。何日前だか忘れてしまったが、車内はちょうど全部の座席に人が座り切って、手すりを掴んで立つ乗客が全く居ない状態になったかと一瞬思えた。私がちょうど、座席と座席の合間に手すりがある座席に座っていたのだけども、通路が伽藍堂の車内に、たった一人、女性が私の目の前の手すりを右手でぐっと掴んで、電車が発車すると、揺れに合わせて、手すりを掴んでいる彼女の手首の不安定さを感じるほど、グラグラと左右に揺れるのである。目の前で見ている私が、そのうち彼女が電車が急停止した衝撃で、手すりから手が外れて、私の膝の上に座ってしまうのではないかと思えた。彼女からあまり関わらない方が良い雰囲気を私が感じ取っている間も、彼女はずっと私の目の前の手すりを片手で持ってグラグラ揺れていた。早く彼女の頭のすぐ上にある丸い手すりに掴まってくれないかと、彼女が目の前でグラグラする度に、私の内心もグラグラしていた。そんなことを考えながら、横浜駅初の満員の東海道線電車に乗ってしばらくしたら、睡眠障害のせいで慢性的に寝不足だけども、その寝不足のせいで吐き気がした。本当にかなり飲み物が欲しくなったけども、ニコチネルがあることを思い出してかなり嬉しかった。ポーチから出して口に含んでしばらく噛んでいたら、かなり体調が良くなった。とはいえ乗車した時点で分かっていたことだけども、立ってなくてはならないのも横浜から数駅までで、会社員が大量に下車し始めたタイミングで座れると思っていた。案の定、自分の目の前の座席が空いたので座ろうとしたら、私の隣に立っていた親子連れに母親が、「はい、進んでー」と言って、空いている座席に座ろうとしていた私の前を、小さい子供を通過させて来ようとしたのでびっくりした。会社員が一斉に下車していく状況で、母親が子供の手を引くどころか、母親が子供の後からついていくことが絶対におかしい。私の母が小さい頃の私と一緒に電車に乗っていたなら、絶対にやらない非常識なことである。確信を抱いた私は、親子ごと私の後ろを通らせようと、女の子に私の前を通らせずに、空いた目の前の座席にさっさと座った。一番信じられないのが、母親が一貫して、恐ろしくリラックスした態度だったことである。まるで娘に先導してもらえば、大人の自分もゴールデンウィークで人の乗降が激しい朝の東海道線の車内を、何の障害も無く進めると分かり切っているかのようだった。普段から場合によってはそんな調子で娘を先に進ませて楽に街中を歩いている時があるのかと思うと、その行動が身についているあたり、彼女は子供を育てながら生活するのが大変であるということに気がついてしまった。大方娘の世話をしつつも、そんな瞬間が一日に何度か会ったら、相当楽だろう。ゴールデンウィークだからまだしも、平日の朝、気の短いビジネスマンの前をそうして通過しようものなら、その場で率直に文句を言われて喧嘩になりかねない。のんびりした態度があまりに世間知らずというか、娘にまで自分をどうにかして貰えると思って行動しているあたり、お嬢さん育ちなのか、とにかくかなりおかしな女性であった。自分の周囲の乗客がその親子も含めて全てドアの外に出て行き、車内は閑散とした。席に座った状態でなんとなく右手を見たら、座高が高く足の短い男性が、似たジーンズを履いて一つずつ座席を空けて座っていた。ゴールデンウィークの車内にいる人として、彼らが普通なのかと、普段家からあまり出ない人間としてじっと観察してしまった。自分の社会的立ち位置が曖昧だと、街中で見る人が何者なのかすぐに判断出来ない。とはいえ、そもそも私のような実家暮らしの毎日無職の人間が、あの親子やクローンのような男性たちの正体を見抜く必要は無いとは言える。私は彼らについて考えなくて良い言い訳を思いついてのんびり座っていた。目の前に立っていた女性の顔の向こうのドアの上の電光の表示に、次の駅が表示されるまでじっと見ていたら、女性がどこかへ立ち去っていった。いきなり電光の表示が全部すっきり見えるようになって、無職の30歳独身女の眼光が、彼女を立ち去らせてしまったのだと一瞬思わされてしまった。もしかしたら働かなくなってから、以前と雰囲気が変わって、利発さの無い顔で街中で何かをじっと見ていることがよくあるの電車はないかとちょっと思わされた。働いていた頃、よく近い距離にいる人間を平然と背景のように認識して周囲を見たり街中を歩いていたけども、無職の今、以前と同じように行動したら、社会的に不適応なのかも知れない。実はこういうことは、働かなくなって以降外出した時によく感じることであった。眼鏡をかけている人の目にじっと見られていると思ったら、私が目と思っていた部分はその人の瞼で、相手は目を閉じて寝ていたり、マクドナルドなんかでずっと視界の端で人と認識していたのが柱だったりする。そもそもいる場所が職場で無い以上、一期一会の街中の周囲の人間を意識して神経を使っても無駄という気もする。社会的な立場の無い、無職の人間が街を歩くと、物差しが無い状態で全ての出来事に出会うことになり、社会的な自分が無い以上、ただの自分としてその度にいちいち考えることになり、これは自分で望んで無職である以上、仕方の無いことである。私は毎日、その場その場で頭を使うしか無いだろう。

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31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。