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ポイントブレイク ~映画「ハートブルー」のリメイク

1991年のキアヌ・リーブスの映画「ハートブルー」って覚えてらっしゃいますかね?FBI捜査官と強盗犯(サーファー集団)という正反対の二人の男の友情を描いた映画なんですけどね(結構カルト的な人気を誇る映画です)、このリメイクが同じ題名で2015年に作られていて、これを最近見たんです。ストーリーはコアなところは一緒ですが、旧作がサーファー集団だったのに対し、新作ではエクストリームスポーツ(バイク、スノーボード、サーフィン、スカイダイブ、ロッククライミング)ならなんでもできる知能集団という設定でした。スタントが凄まじくてなかなかエンターテイメン性のある映画だったんですが、その中のワンシーンですごく印象に残ったところがあるんです。


【ネタバレあり】 犯罪グループへの潜入に成功したFBI捜査官のユタが自分の能力を証明するため(彼も以前はエクストリームスポーツのプロアスリートだった)、グループの先頭に立って、崖から飛び降りるようにスノーボードで山を滑走していくのですね。そうすると途中で、後を付いてきたメンバー一人がコントロールを失って崖から落ちて死んでしまうんです。(犯罪者なんですが)メンバーとの友好を深めていたユタは自分を責めます。「これは俺が決めたライン(進行ルート)だったんだ!俺の責だ!」って。そしたらグループのリーダーさんがこう言ったんですね。「お前の責じゃない。やると決めた時点であいつのラインになったんだ。お前のじゃない。(“The second he committed to it, it became his line! Not yours.”)

いいなあ、と思いました。誰か他の人が決めた事(方針、道筋、決定事項、選択)であったとしても、それに追従すると決めた時点で、その結果に自己責任を持つということ。会社では、自分が賛成できないことでも、やらなきゃいけないことは沢山あると思います。それは色んな状況があるので一概には言えませんが、プライベートや友達関係のことで見ると役に立つ考え方ではないかなあと思います。私はバンドをやってたときに、賛成できないこと沢山ありました。表面的には、「やると決めたら、笑顔で最後までやり抜くことが正しいこと」だと分かっていました。ですが、どこかで甘えが出るのですね。「どうしてこんなことやらなきゃいけないの?」「なんでこんなことやらされなきゃいけないの?」って。グループに残る、と決めた時点で、それは自分の選択です。グループの方針に従うと決めた時点で、それも自分の選択です。それを途中で被害者意識で「やらされている」と考えるのは違う。辞めることも、どうしても従えないことに意見するのも、選択肢としてありますが、従うと決めたら、それを自己の責任として誰の責にもしないということ。


この自己責任という考え方は、厳しいようで、とても自分を自由にしてくれるものだと思っています。なにか(日常生活というレベルで)思い通りにいかなかったときに、それは自分の意志ではなく、他人の責だったと考えてしまうことは、私は怖い。一つ一つの決め事を自分のものとして責任を持つならば、その結果に対して良くも悪くも納得することができます。逆にいえば、誰かの決定に従うときに、一呼吸おいて、本当についていくの?と質問するということ。「誰かにやらされたから上手くいかなかった」という考えは、不自由であり、自らが運転席につくことができず、不安定で、本当に辛い。これ結婚生活では、本当に、日々該当することなんですよね(笑)。


コミットした時点で自分のラインになる、常に覚えておきたいです。

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