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わたしの見つけていないわたしがいるの

転職を、思い至った。

去年これを書いていた私よごめん。だけどもう駄目です。
新しい人は上司と揉めていつも半年保たずに辞める。それは少し異様かもしれないと気づかなかった私も鈍感だったかもしれない。
業務量の多さと遅延と心ない言葉に追い込まれているメンタルは、来年の冬はもうないという答えを出した。ここ以外のどこかに行きたい。しばらく修行するぐらいの気持ちでいい。私が抜けるとそこそこ大変なことになるのは知っているけれど、人間は星の数ほどいるから弊社には頑張って欲しい。私も別の場所で頑張るので。

だけど私には数字として公的なものとして書けるような技術がおそらくない。転職事例を見ていても中途半端に事務方をしていたヒラの販売職の人間にできそうな仕事は限られていることはひしひしと伝わる。だから修行するぐらいの気持ちでいるけれど、それだけなら企業は私よりもっと若い人間を採ったらいい話だ。不安で体重がモリモリ落ちている。ダイエットするよりもあっさり落ちて人間はこわい。

だけど私にはとりあえず突っ走りながら必要なものをかき集める行動はできる。思い至って同人誌を出して表紙の交渉をして打ち合わせをして原稿の校正まで自分でやって、初サークル参加が初コミケだ。行動力がないわけじゃない。
転職サイトのボタンを押すだけでも花丸だ。いまできる求人を探すことだけでも前身だ。職務経歴書をこんなものでいいのか迷いながらもひとまずは仕上げたことこそが第一歩だ。もう何年も着ていなかったスーツを引っ張り出してきて、ボックスで写真を撮った。

5年前は手持ちの札しかないのだから、このうちでなんとか今後の人生をやりくりしようと思っていた。でも今は手持ちの札で人生を変える勝負をしたい。スタートダッシュを決めれば感覚は後からついてくる、それは知っている。今はとりあえず走るしかない。5年先10年先に選択肢を増やすためには転職活動をするのだ。

星の数ほど人間がいるなら、星の数ほど企業もある。暮らしが想像もつかない仕事もあれば、ここで大成したらこんな風になれるだろうかと妄想が止まらなくなる企業もある。膨大な求人を見ながらも共通することは、人間と出会って人間と話をしない仕事は結局ほとんど無いに等しい。私は隣人に優しくありたいし晴れやかでいてほしい、楽しいを伝えたい。それができる仕事がいいと望んでいても、まずは自分の心身からだと給与と休日につい目が行ってしまう。行けぬ現場の皮算用をして土曜出社の企業がどんどんリストから外れていく。

仕事を続けながら転職サイトを見ていると、上司と顔を合わせるのもいよいよ嫌になってくる。負のスパイラルだと理解しつつも、だれか助けてくれと叫び出したい自分と、もう働きたくなんかないと叫んでいる自分と、私は人に優しくありたいとわめく自分と、自分のことは自分でしか助けられないと背を叩く自分がいる。ただ休みたい。休ませて欲しい。でも年齢がギリギリなのにブランクを作るのはもっとこわい。

数日して、勢いだけで作った職務経歴書を引っ提げて、勢いで申し込んだエージェントの人には面談でよく書けていますと褒められた。少し手直ししますねと言われ、返ってきたそれを見て、私はとても驚いた。初めてコスメカウンターに行ってお化粧をしてもらった時と同じ気持ちになった。
ここで私は思い至る。人の力を借りないと私は潰れる。でも人に頼って次の会社を決めても私は潰れる。
素敵に仕上げられた職務経歴書、でも元々は勢いだけで書いたものだ。もっと言えることはあるはずだ。もっと自分で自分のことを理解しないと、この先きっと後悔する。

相談できる人をリストアップすることから始めた。
この時期に会った人に転職しようと思うことを伝えた。スーツを新調しにお店に行って、試着がてら話をしてみた。転職しますと学生の頃の知人に打ち明けた。とてもネガティブなことが原因の転職だけど、ああなりたいこうなりたいと言っているうちにポジティブな気持ちも生まれていることに気がつけた。
転職賛成、いいことだと思うと言われるだけで嬉しくなった。仕事で理不尽に責められて萎びていた心身にはありがたかった。
有料だったり無料だったりで話を聞いてくれるサービスや施設もいくつか探して予約を入れた。まずはキャリアのことと、今までの自分の生活のことの2軸でやってみることにした。

もう接客なんかやりたくないと喚いている自分の隣で、もっといろんな人と話をしたいと思っている私がいる。自分に目を向けることが怖いと思うわたしの隣で、自分の棚卸しを今やるんだと前のめりな自分がいる。
仕事なんか嫌だと頭を抱えている私のことを、求職サイトを見ながらこんな風な仕事をするのだろうかとワクワクが止まらない私が見ている。

新年のスタートはこの先どうなるか見当もつかないまっさらな視界で。
でもそれが怖くない、楽しいと思っている自分は私自身でも見たことのない自分だった。


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