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フリースクール活動日記 2024/02/22-上野

 上野の国立博物館にて中尊寺金色堂展を見ることになった。当初の予定では数か月ぶりに奥多摩へ行くことになっていたのだが、あいにくと当日の天気は雨。おまけに気温も低いため、行けば確実に何人かが風邪をひくだろうと思われた。
 加えてこの日、メンバーのうち幾人かが同時に誕生日を迎える。そんな彼らのうち一人は、僕と並ぶほど風邪をひきまくることで有名なのだ。そんな彼が参加するとならば、確実に風邪をひくことになろう。それはあまりに可哀そうだということで、行き先の変更が打診され、皆それに賛同。さっそく火曜日に投票が行われた。
 そこで候補に出たのはむかし皆が何度か行った西荻窪。ここにある通称「どんぐり公園」はかくれんぼや缶蹴りをするのに最適な場所で、行きたい行きたいと主張するメンバーが幾人か。けれども先にも書いたようにこの日は雨。雨の中やりたいのかと問うと、返事をする者は現れなかった。
 次に出たのは水族館、大宮の鉄道博物館、府中の郷土の森美術館など。このうち焚火をすることが前提の郷土の森美術館案は破棄され、代わりに入ったのが朝霞の陸上自衛隊広報センター案、そして上野の国立博物館・中尊寺金色堂展だった。
 これら4つで決議を取った結果、1位はgirlsの圧倒的な支持を寄せた水族館案。2位が中尊寺金色堂展案、3位が鉄道博物館案となった。
 このまま行けば水族館案が可決されるのだが、木曜日は雨。雨の中弁当を食べるというのはあまりに寂しい。食事可能エリアを見つけることができるならという条件付きで可決となったもののまずそんなところは存在しない。
 結局無料で食事をできるところが見つからずに水族館案は放棄され2番めに人気を集めた上野の国立博物館案と決定された。
 そうしてこの日、上野の公園口へとみな集合する。この前上野動物園へと行くため駅に集まったときは、間違えて銀座線の出口から出てしまったために公園の「この字」も見つけられずただいたずらに時間を浪費して彷徨っていただけとなっていた。そうならないためにもあらかじめ「公園口集合」と念を押していたのだが、さっそく龍角散がやってしまった。ただでさえ遅れてきたうえに集合場所を間違えるような彼を、待ってやろうというメンバーは誰もいなかった。
 ただし。そこにあるのは憐憫の情だけでなかったのは間違いない。そもそも彼が遅刻してきたことは過去2回ほど。そのたびに彼は先回りして僕たちに合流してきていた。ならば、今回も必ず合流するだろうという期待もみなの中にあったに違いない。そうして今日も彼は雨の中走って先回り。雨に打たれながら国立博物館の前で待機していた。ところで、来る途中「SAMURAIフェスティバル」なるイベント会場を目にしたのだが、ここでそんなイベントをやって大丈夫なのだろうか。彰義隊が壊滅したこの戦場跡で「SAMURAI」フェスティバルとは、まるで満州国跡で日本軍フェスティバルをやるようなものだ。
 幸い高校生以下無料とのことなので学生証を提示して入場する。木曜日だというのに人気が多くうかうかしていると人波に流されてしまいそうになるため、足に全体重を集めてなんとか凌いでいるとやがてイマンモ達もチケットで入場、合流して館内へと向かう。

 人が多いためコインロッカーがほとんど埋まっており、地下のコインロッカーまでわざわざ行き荷物をしまう。一団となっての鑑賞は人数の都合で無理だと判断されていたため、イマンモやことりんごたちは既に動き始めている。今回は自由に博物館内を動き回ってよいのだ。
 人気が多かったため、僕と龍角散・χαοσははやめに金色堂展を見終えて通常の展示の鑑賞へと移る。あちこちに飾られている刀剣類、鎧兜類や茶器などをそれぞれ眺めているうちに時間はどんどん過ぎてゆく。

 そのうちいい加減空腹を覚えてきたため、本隊のいる平成館へと急ぐ。それまでに通った道にて甲州道中分間延絵図など見てラウンジへと行ったものの、雨天のためかテラスらしきところには出ることが許されず。塗り絵などして、未だ出てこないCOTAさんたちとの合流を図った。
 かなり歩いていざ平成館についてみると、そこは学生の集団に占拠されかけていた。その中でしかし、ひときわ異彩を放つ集団がいる。それは小中学生を大量に擁しているグループだった。彼らに合流して僕たちが弁当を取り出したときに、χαοσや御嬢などメンバー幾人かがなにか買いたいといった。どうやら彼らは昼食を現地調達する腹積もりのようで、例の「SAMURAIフェスティバル」にて何か買ってくるという。国立博物館の外であるために再入場が可能であるのか少し不安になったが、よくよく考えれば皆学生。雨のなか学生証を取り出すのは若干骨が折れるが、それ以外にはとくに不利なことは起こらないだろう。
 彼らが出かけていることを幸いと、弁当を急いで口に放り込む。彼らが帰ってくるなり立ち上がり、「ちょっと平成館を眺めてくる」といっていなくなれば彼らはどんな顔をするだろう。そう互いに意見を交換してあいだの時間を楽しんでいた。
 今度の活動では、どこへ行こうか。伊豆の大島や伊勢神宮徒歩で参拝などどうしようもない案ばかりが出るが、それはそれで楽しいからよいのだろう。
 そんな中買い出しに行った幾人かが帰ってきたのを受けて、食事を終わらせた皆は一斉に立ち上がって平成館の「本阿弥光悦の宇宙」展を身に動く。ほとんどのメンバーが中学生以下のため無料で入館することができるのだ。そこの展示なども見終えたころにはすでに雨も上がっていたため、いよいよ国立博物館を出ることとなった。

一見何のこともないただの絵に見えるが…?
その一角では「蘇我入鹿」の首が飛んでいて…
僕たちの間ではなぜか「乙巳の変での首チョンパ」と呼称されていた絵

 かねてよりの僕の案である「彰義隊巡り」を実行に移すべく働いた結果、博物館を出た後は上野寛永寺を見ることになっていた。ところが。早速やらかしてしまったことにしばらくしてからようやく気が付く。
 僕たちは博物館を出てから南へ進路を取っていた。SAMURAIフェスティバルの真っただ中を突っ切っていったわけだが、そこで初めて間違いに気が付いてしまった。寛永寺は、国立博物館の北にあった。まったく反対の方向へと進んでいたわけだ。しかし、戻ろうにもメンバーは四散。χαοσなどはふらふらと「SAMURAIフェスティバル」に吸い込まれて行ったっきり姿が見えない。仕方がない。当初の予定とは少し変えて、最終目的地アメ横へ向けてそのまま直進、その途中にて「彰義隊戦死者碑」を見るという計画へと変更される。
 そうしてχαοσと合流してから―その後私服の学生の集団と遭遇し、それに紛れて龍角散とチーくんが付いて行ってしまうなどの事件もあったが―再び進路を南にとって歩き続ける。
 その後は清水観音堂において有名な「月の松」(ただし、僕はちっとも知らなかった)を見て、イマンモの彰義隊についての簡単な解説を聞きながら―ただし大村益次郎好きなイマンモに語らせるといつの間にか新政府軍の解説になってきてしまっていたが―公園を抜け、アメ横へ。その後、新宿まで歩くと力説する龍角散・χαοσと別れた後に解散となった。

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