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旅行記録 2023/08/09-二条

 その翌日、僕は寝過ごした。父母と一緒に晴明神社に行くつもりだったのだが、面倒くさくなってしまい、また軽い腹痛が襲ってきたため―断じて仮病に非ず!―止めた。結局父一人で向かったようだ。
 この日は比較的ゆったりと過ごした。「陸奥爆沈」などの本を読んだり日記の構想を考えたり。そんなことをしている内に、あっというまに12時。昼食の時間だ。本来であれば父母と晴明神社に行き、賀茂川当たりまで出てから昼食を摂り、14時頃に帰ってくるつもりだった。が、結局出かけたのは父一人だけ。祖父母の家で昼食を食べさせて貰うことになった。
 食べている最中、父が帰ってきた。どこかの寺でかなり珍しい菓子―名前、なんだったかな……―を買って、晴明神社でお守りを新調してきてくれた。前に晴明神社に行ったのは今年の1月。たしか1月3日ぐらいだった気がする。そこでお守りを買ったときにおつりとして渡された硬貨の中に、天皇陛下御即位記念500円硬貨が混じっていた。あとあとで確認してみたときに初めて気がつき、慌てたのがいまでは良い思い出だ。今も家では、聖徳太子の1万円札と共に大事に保管してある。
 父が買ってきてくれたその餅は、とても美味しかった。大福などのように柔らかいのではなく、あくまでも焼き餅であるためカリッと香ばしく焼いてあるのが良かった。大福は好きだが、たまにこういったものを食べてみるとより一層美味しく感じる。
 食後しばらく。さすがに一歩も外に出ないことは不味かろうと、父と二条城まで歩いて行くことにした。思ったよりも時間がかかる。僕が二条城へ行ったときはまだ小学生。父に肩車をされていた気がするので、実際にどの程度歩いたのか全くわからなかったのだろう。
 いざ到着してみると、想定外なことに未だ見学可能だという。僕はてっきり家を出るのが遅かったため門は閉まっていると思っていたのだが、10分ほど余裕を持って到着したらしい。
 何度もここに来たことはあるが、中に入るのは初めてだ。今回は時間もなかったので庭園のみ見学。二の丸には入らないことにした。門を潜るも、すぐに正しかったと確信する。人が多い!二の丸は行列が出来ており、見えているだけで100人ほど。中の人を合わせたら数倍ではすまないだろう。それにひきかえ庭園の方は人が少なかった……と、言いたいところではあるのだが意外にいる。なかなか面白い庭園で、二重堀の処に階段があるのが気になった。なにか通路があるのかと思い櫓跡にのぼってみたのだが、何処にもそういったものは見当たらない。ただ、ここからだと射撃がしやすいだろう。使われることはなかっただろうが、ここも一応は城。守りの準備もしてはいたのだろう。
 もっとも、知っている城が深大寺城と滝山城しかないため、若干物足りなさを覚える。せめてこれで、他と比べて高地に設置してくれたならばもう少し映えたように思える。
 京都の蝉は黒くて大きい。昔、京都の知人が公園にて孵化する寸前の大量のクマゼミの写真を見せてくれたが皆一様に緑色に光っている。凄く綺麗な光景だった。……蝉の大きさが異常なことを除けば。
 その後関西で蝉を見る機会がなかったため、あの写真はすっかりと夢幻の類いとなってしまっていたのだが、帰る途中に寄ったスーパーマーケットにて父がビールを大量に買い込んだ。それを引っさげて帰るとき、目の前にいたのがソイツだった。
 あんなにデカい蝉がいるとは思ってもみなかったが、実際に見てみるとまた違うものがある。関東の蝉を見慣れている僕からすればまず、圧倒的に怖い。
 こんな大きい蝉が生息する京都ならば、蝉が主役の怪談などがあってもおかしくないだろうと思ったが、はじめから京都に住んでいるならばそんなことは気にならないのだろう。主に平安時代などでは田舎者が驚くことはあったのだろうが、なにせ田舎者のいうこと。怪談として残っていないのだろう。
 二条城の近くの公園には鵺池というものがある。「なく声、鵺に似たりける」御所に現れる怪物を源頼政が射止めた後、その鏃を洗ったという場所だ。僕は昔は良くここに連れてきて貰っていた。よく遊んでいた。けれども、あるとき悲劇が起こった。
 あれは、ジャングルジムに初登頂を果たして得意げな頃だったから、たぶん5歳ぐらいの時だろう。調子に乗って公園内を走り回ったとき、躓いて転落した。……鵺池に。まだ僕は幼く背丈も前から数えた方が早かった―今は後ろから数えた方が早い―ため、転落して衣服を全て濡らした。
 当時の僕は、まだそこまで本に興味を持っていなかったため、今のようにポケットに本を突っ込んでいなかったのは幸いだった。だが、その時は確か冬。父に手を引かれて背負われて、しゃくりあげながら帰路についていたような記憶が朧気ながら残っている。
 その鵺池に思わず向かってしまった。幼少期にかなり来た思い出の場所なのだが、あの広さと不気味さはもうなく、ただただ小さいため池があるだけだった。

鵺池のある二条公園近く。千本丸太町にあった

 祖父母の家に帰って夕食を撮り、荷物を整えた。今日は最終日。明日帰宅する。僕の家には観葉植物が大量にあるが、枯れていたりはしないだろうか。虫が湧いていたりしないだろうか。腐っていないだろうか。不安だ。
 翌日。早々と祖父母の家を立ち、京都駅へと向かう。駅弁や父母の職場・僕のフリースクールへの土産などを購入するためだ。
 しばらく時間はかかったが、美味しそうなえびせんのパックを購入。駅弁には鶏そぼろ弁当を買った。
 しばらく待って新幹線に乗った。そのしばらくの間に本屋へ寄ろうかと思ったのだが、何となかった。昔は大きい書店があり、少し前にかなり規模を縮小してしまったとはいえ細々と続いていたはずだが。僕の家の近所の本屋・書店も相次いでなくなり隣町まで行かなければ本屋がないという状況に、なってしまった。
 ああ、はやく成人したい。成人すれば、少なくとも国立国会図書館には入れるようになる。それにしても、なんで18禁なんだろうか。中学生以上であれば、本を破ったりはしないはずなのに。ひょっとしたら何人かはいるかもしれないが、そんなの幾ら年を取ろうが関係ないのだから、別にそれを理由には出来ないだろう。全年齢に解放しろとはいわないから、せめて13禁にして欲しい。
 やって来た新幹線に乗り込んで東京まで行き、電車を乗り継いで家まで帰ってきた。茹だるような暑さであったために窓を全て開放して換気をし続ける。
 さっそく記憶が薄れぬ内にと旅行の記録を書き始めたのだがこれがなかなか進まない。まず奥多摩合宿の日記が書き終わっていない。そうしてなんとか書き終えて旅行記録を書き始めたのに、二条城へ行ったあたりまで書いたのに奥多摩合宿へ行くことになってしまった。しかも7泊。記憶が薄れていなかったから良いが、なにか大事なことを書き忘れている気がしてならない。
 旅行から帰った後。次の家族旅行についての相談をした。僕としては、できれば西へ行ったため次は東へと行きたい。希望としては同じく吉村昭作品関連の場所として岩手県田野畑村へ行きたかった。が、さすがに2度連続ではありがたみが薄くなってしまう。
 同じ東北でも、遠野などいいかもしれない。ほかにも東北と行かずとも秩父へなど行ってみても面白いかもしれない。僕は一度だけ秩父へ行ったことがあるはずなのだが、シロカサダケとかいうキノコを帰り道で見たこと以外の記憶がない。もう一度いって目に焼き付けてみたい。

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