旅行記録 2024/08/27-太郎坊宮
この日は上手く起床することができた。家族全員体調は万全だ。この日の天気予報を見ても、雨が降ることはない。念のため篠笛は家において、準備を整える。片道一時間半かけて、太郎坊宮に向かうとしよう。まずは昨日と同じ電車を用いて山科へ、そこで琵琶湖線へと乗り換える。この日、僕が期待していたものの一つが琵琶湖の景色であった。道中、湖は見ることができるのだろうか。竹生島はさすがに難しいであろうが、もしかすると沖ノ島までであれば見ることができるかもしれぬ。そう期待を持って左手の窓を見つめていたのだが、しばらくして間違いに気が付いた。ひとまずの目的地、近江八幡駅とは、かなり内陸に入っており、少なくとも湖畔と呼べる位置にはない。ということは、そこ目指して走っている電車もまた琵琶湖畔を通ることはないのではないか。予想は当たった。水らしきものが見えたのは、おそらくは瀬田川を渡るときぐらいであり湖を見ることはなかった。早くも目的の一つが果たされないことが分かった。落ち込んでいるときも電車は走り続け、気が付けば目的地。既に12時ごろであるので、ここで昼食を摂ることに決めた。
8月27日午後1時
昼食を摂り終える。このあとは近江鉄道というものを使うのだが、これが意外なことに青梅‐奥多摩間を結ぶ青梅線以上の過疎駅。なんとPASMOなどは使わずに切符を購入し、それを切符切り兼駅員に渡す。
電車は、30分に1本来るのみ。もっとも、この点は青梅線よりもよい。青梅線の怖いところは、単線でありなおかつ電車が一時間に一本であるため一本逃せば予定が一時間以上遅れるという不安、またどこかで事故があっただけで全線が動けなくなってしまうという恐怖。このうち前者は経験してみたが、相乗効果にて最終的には1時間どころの遅れでは済まなくなっていた。
その点、この鉄道のいいところはなんといっても車道が豊富にあること。奥多摩に行くと車道は少なく、なおかつその場所は川の真上。もしがけ崩れでも起こせば通れなくなってしまう可能性がある(けれども、近江鉄道も単線であるため以上の恐れは十分あり得るが)。この場所には車道は多く、また緊急避難用の山々も多い。適度に町が置かれていて、住むうえではかなり理想的な場所だろう。
太郎坊宮駅を降りて、思わず呆気にとられた。北方に建物は数えるほどしかなく、ずっと続く一本道には大鳥居が、そしてその奥には小高い山が見える。あれが、赤神山か。太郎坊宮は、どこだ。山の中腹のあたりに、小さい小さい建物が見えた。あれが、本殿なのだろうか。いや、確か「冬虫夏草」には、途中に寺があると書いてあった。それだろうか。いや、それにしては大きすぎる。なにより、あそこまで鮮明に赤い色が残っているとは思えない。あれは、なんであろうか。
大鳥居をくぐると両側は田畑になった。右手を見れば、遠くに山々が見える。あれが、鈴鹿であろうか。
参道を歩く。清水坂のような蒸し暑さはそこにはなく、左手、湖のほうからであろうか、吹きつける風が心地よい。辺りには家々もまばらで、少し前に行った我孫子の、人家の微塵もない利根川付近の田畑を連想させる。けれども、こちらのほうが確実によい。眼前の山が原因か。ついに山裾までたどり着いた。
見上げる。予想に反して、先ほどまで受けていた雄大さというものは、感じられない。森の中、石段が上まで続いている。人気は全くない。だが、あまりに石段の数が少ないのではないだろうか。こんなに近くに、寺社があるものなのであろうか。もし、「冬虫夏草」に登場した途中の寺が階段の上に見える建物だとして、そうするとあの赤い建物は一体なんであったのか。物語ではその寺から本殿までの石段を苦も無く上っている。つまり、その二つの建物の間にはそこまで距離がないのではないか。僕の予想の上では、まだまだ上に上らなければならないはず。一体どういうことなのだろう。
そうして、登ってみて分かった。こここそが、物語に登場した寺であると。そして左手には、はるか奥まで石段が続いている。途中からは、木の鳥居が幾重にも連なる。人の気配は、全くない。非常に心地よい、良い雰囲気の場所であった。
石段を、できる限りゆったりと上っていく。木々と鳥居の影によって暑さは遮られ、木製の鳥居たちに沿って足が進んでいく。伏見や東伏見のように赤い鳥居ではないが、それだからこそここの雰囲気はいい。簡素な木の色がその後ろの木々と調和して見える。明るい色を使わずに自然と一体化するように見ることができる、この場所は過去行った中でも一番良い神社だった。何しろ、人がいない!
その石段を登り切ってすぐ。右手に赤い建物が見えた。山の麓から見ることのできたものと同一であることは想像に難くない。社務所・土産物屋との看板が出ている。とはいえ、そこまで興味はない。むしろ、この先もまだ続く石段を上りきり、「夫婦岩」を潜って蒲生野を一望したい。そんな欲が勝ったためか、右手の社務所には目もくれない。自分が進もうとしている階段が「表参道」であることを再度確認し、勢いを付けず、上り始める。
さて。ついに上り切った。途中の神楽殿から手すりが付くようになった階段は、山壁に沿って取り付けられている。とはいっても、そうたいそうな壁があるわけでは決してないのだが。それにしても、いったいどうしたらよいのだろう。もう目前に夫婦岩があるのだが、いざ目の当たりにしてみるとなかなか潜る決心がつかない。それは鳥居の向こうにある真っ二つに裂けた岩に言い知れぬ感動を覚えたからで……決して、この岩を恐れたというわけではなかった。悪心のある者は、この岩に「挟まれる」というそうだが……それよりも、この岩を見て抱いた感情は、「畏れ」といったほうが良いだろう。なかなか間をくぐる勇気が得られなかったが、ここで迷っていても仕方がない。思い切ってくぐり、いよいよ本殿の前へと出た。
素晴らしい眺めだ。先ほどまで歩いてきた駅からの道、いや、それどころかそのさらにずっとずっと向こう、はるか向こうのほうには山脈までが見える。これが、蒲生野を一望するということか。人はやはり少なく、一家族しか見当たらない。昨日の清水寺を見てしまった後であるので、少し不思議に感じたが、たしかにわざわざ台風の迫る中、京都から琵琶湖方面の、それも湖の反対側に観光しに来る人はいないだろう。はじめからここを狙ってきている僕たちのようなグループか、もしくは近くの安土城目指している人ぐらいか。
ここの本殿も非常に良い場所で、ここに参拝したのちも本殿の入り口付近に目が行って仕方がなかった。そして、いざ舞台に降りようとしたときに目に留まったのが、神社によくある願い事の書かれた蝋燭。「交通安全」や「勝運授福」などがかかれたものに火を灯すものだ。そして、僕はここで自分のことについて再確認した。僕はもう中学の3年、今年で受験だ。そう考えたとき、この神社の御祭神である「正勝吾勝勝速日天忍耳神」が勝利の神であることを思いだした。たまたまこの神が古事記にもよく出てくる瓊瓊杵尊の親(親という表現でよいのかはわからない)であったため名前は知っていたため咄嗟に出てきたのだろう。そうして、蝋燭入れには「合格祈願」との文字が。
それを確認した僕は、もちろん、それを手に取った。そうして、本殿前にて合格を祈願、専用の場所に持って行き、マッチを擦って火を起こした。
しかしながら、阿賀神社の本殿は山の中腹、風の多い地域であるためかその火はすぐにしぼみ、ついには蝋燭に近づける最中に消えてしまった。なんの、まだある。そう思って取り出した二本目のマッチで、ろうそくに火をつける。しかしながら、突如吹いた突風によってせっかくついた火も瞬く間に消えてしまう。
そんなことを二度繰り返し、ようやく火が付いた。また突風が吹いて火が消えるのを見てしまわぬよう、急いで階段を降る。これで、大丈夫。失敗を見ることはない。しかしながら、こうも思ってしまう。二度火が消えたということは、二度、失敗するということなのかと。
七福神めぐりなどをしていくと、裏参道へと入る。そうして休憩場に近くなり、終盤へと入ると途端に人が多くなる。おまけに、皆僕たちの前から歩いてくるのだ。何故みんな、裏参道から逆走してくるのだろう……これははたして、やっていいことなのだろうか。
こうして、この日は終わる。幸い雨の降ることもなく、まっすぐに帰ってくることができた。さて、明日はどんなところへと行こうか。すでに打ち合わせとして一日のんびり過ごすことが決定していた。ただし、その前段階として上賀茂神社から下賀茂神社へと行こう。京都の街なんて狭いものだし、数十分歩けば到着するだろう。それに、この二つの神社を結ぶ道には、川が流れている。賀茂川だ。きっと涼しいに違いないし、木々のお陰で日光が直撃するといったこともないはずだ。午前をそうして過ごして、午後は各人好きなように行動することにしよう。そう決めたのは、夜で食事も終えたころ。この様子であるならば、明日もきっと充実した内容となるに違いない。いつものように笛の練習をしながら、一日を振り返ってそう思った。