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「たたかいごっこ」付き合いきれない私は冷たい親か。自分がされてきた子育てとの違いに泣く令和の子育て

こんにちは、アメリです。
今日は育児をされている方や、自分が育てられた環境と自分がしたい子育ての環境が違うことに悩む方などがちらっと見に来ないかなと思い描いて書いてみます。

突然ですがうちの息子の大好きなものは仮面ライダーと今ならキラメイジャーで、あの独特なダンスを日々踊り狂っております。
そして男の子を育てる方はみな同じかと思いますが、たたかいごっこが大好き。
二言目には「たたかおう!」
なんなら一言目ですでに「たたかおう!!」
が365日続いてる状態。そして終わらないたたかい。

「もう終わりやで!!これでママ倒れたらもう終わりやからな!!」
→倒れる
→「まだまだああああああ!!!!!!」グサグサグサグサ!!

倒れさしてくれや!!もう顔面床につけてこれは絶対に敗北のポーズやん!
ていうかこれ以上倒れられへんやん!物理的に!次は床にめり込むやん!!

これを私が怒って「もう終わり!!(疲労)」「イヤダアアアアア!!!まだたおれてないーーーー!!!もっとやりたかったああああ!!(泣)」
となるまで続きます。しつこい!めっちゃしつこい!!怒


ところで。
私自身が小さかった頃はもって生まれたものもあり、また親の性格や子供への接し方もありで、おとなしく引っ込み事案で幼稚園の時に既に登園拒否児でした。(小学校2年まで続いた)
遊ぶといったら絵を描くことか高学年になるとゲームをすることくらいで、ちらほら友達が家に来たような気もするけどあまり記憶に残っていません。かといって家で勉強をしたような記憶もなく、ただひたすら大人の集まりに参加させられている思い出が多いです。

というのも自分がされてきた子育ては
「親の言うこと絶対」「子供は親に逆らうな」「悪いことをするな」「子供の都合なんかしらん」「じっとできへんのやったらどっかいっとけ」の5本立てでお送りするバリバリの昭和タイプで、(いや、優しい昭和のご両親もいるかもしれないが)そして職人気質の、上からねじ伏せる教育だったのです。

とはいえ遊んでもらった記憶はよく残っています。遊園地に連れて行ってもらったとか、旅行に行ったとか、そういう「特別な」イベント。
でも、それに比べ「日常の中で優しく遊んでもらった」ことがあまりありません。

母は登園しない私をじゃあいいやと言って毎日行きつけの喫茶店へ連れて行き、そこで一日を過ごす。
当時私は幼稚園児でしたから、なぜそこでじっと過ごせていたのかというと、それはじっと過ごさないと怒られるからだったと思います。
ゲームボーイを手に入れてからは喫茶店にいる間はずっとそれをしていました。

お分かりだと思いますが、今でいうスマホを渡してほったらかし育児と全く同じです。
親が行きたい場所へ行き、そこで飽きてもぐずらせずに黙りそうな物を渡すというやりかたです。

それから夕方になり家に帰っても、母は遊んでくれませんのでテレビを見て過ごします。
夜、父が帰ってきてもやはり仕事で疲れているので遊ぶことはありませんでした。

「遊び」に限らず、子供の〇〇したいという思いを聞かれたことはありません。
上記の「悪いことをしない」は一見いいように聞こえますね。
小学生になり、学校での今日の出来事を報告しますよね。「〇〇ちゃんて子が嫌われてるねん」
そんな話をしたら私が怒られる。「なぜお前が仲良くしてやらないのか


親はたぶん私に、だれにでも優しい子になってほしかったんでしょう。
しかしただ両親はひたすらに、子供にも社会があり、精神的なケアも必要で間違えれば心に疾患を抱えてしまうこともあるというようなことに対して、非常に疎い親であったことは確かです。
私は小学生の時から今ならわかる「会食恐怖症(不能症)」でしたが、それをうちの父が知ったのは2年ほど前のお話。
その話をしたときも、帰ってきた言葉は「お前が言わないから知るわけない」でした。
いや、ご飯食べられへん言うたら怒ったやん。実は子供の時にも伝えたことがあったのですが、すっかり忘れているようでした。

のちに私は大人になって毒親という言葉を知ります。
自分の過去を振り返り、そうかも…?と思ったことも。
だけど、結局毒親認定には至りませんでした。

私の親は、「面倒くさがりのこども嫌い(自分の子供だけが好き)」だったのです。
この点についてはまた別記したいと思います。

これまでを読んで毒だ!と思う人もいればそんなくらいでと思う人もいると思います。
なぜなら極端な毒親以外は、グラデーションのようになっていて、毒のときとそうでないときがある親・毒っぽいけどただ考えが古い親・子供のことは好きなんだけど遊びには付き合わない親
のように、どっちともとれない状態の人の方が多い。

主治医に幼少期のことを相談したこともあります。
曰く「そりゃ~昭和の子育てはほとんどそんなもんだったから」とのことです。脳神経専門の先生です。

いまやモンテッソーリだシュタイナーだ脳科学だなんだかんだと教育概念が急速に発達していて、現代の親でも丁寧に子育てを、とか心に寄り添って、とか求められることが多すぎて振り回されている。
昭和の時代、少なくとも心理学やそういったことに興味のない親たちに、そういう子育てをしてほしかったのに!というのはそれはそれで酷だと思います。
時代が違うので、求めることが違うのも当然である。


だがしかし!そこで問題が生じる!!

うちの親はああだったな~で終われないのが子育ての苦しみ
今度は私が親になり、そして子供と上手に遊べない!

遊んでもらったことがほとんどないし、なんなら面倒扱いされてきた私は、いざ子供と遊ぼうとすると頭に「めんどくさい!!!」が先に出てきてしまうのです。

すごく体調も心も調子のいい日は付き合えるのですが、そうじゃない日はなんだかんだと理由を付けてテレビを見せたりお絵かきさせたり…?

一緒やんけーーーーーーーーーーー!!!!!泣

やってることが親と一緒!!

そして毎夜寝顔を見ながら「明日は遊ぼう」と心に誓うのです。

これではいけない…
毎日毎日今日もうまく遊んであげられなかったと後悔することは、私本人の精神衛生上もよくありません。

でもちょっと待って。私は必死です。
子供のために、怒ってばっかりかもしれないけど、必死で子育てしている。
うまく伝えられないから怒っちゃうけど、大好きで「好き」って子供に伝えています。
たまーーーにだけど超短時間たたかいごっこに付き合います。
めちゃくちゃめんどくさいのを抑えてお風呂の時間だけは子供と変顔大会して遊んでいます。

いや、違うよ。自分の親と一緒ではない。私頑張っているじゃないか。

たしかにインスタ等々に載っている、いつも子供に丁寧に接するピカピカママとは違うかもしれない。

でも、決してスマホを与えて一日ほったらかして自分の遊び場に行ったりしていない。
自分の行きたい場所で一秒もじっとしていられない息子を優先して見るものも見れずに帰ってきているじゃないか。
私は親に好きだなんて言われたことないぞ!

世の中のお父さんお母さん、もっと子供の気持ちを汲んであげてとか
親が大人げないとか、子供がかわいそうとか言われて疲弊してませんか?

小さいことでも自分は頑張っていると言っていい。
遊ぶのをめんどくさがってもいいじゃない。
自分の心に余裕のあるときに抱っこして話してみるだけでもいいじゃないか。
人と人とのやりとりだから、そして100人いれば100通りの性格があるのだから、万事親が冷静な対応をしなければいけないわけではないと思うのです。


もし同じようなことで悩んでいるお母さん・お父さんがいたら、自分の心への対応として、すごく短時間でもいいから(時間が限られるのでお風呂タイムがおすすめ)思いっきり構ってみませんか
それもできなかったら「好きだよ」って言ってみませんか
もちろん、メディアの情報に踊らされず自分に合った方法でです!そしてあくまでも自分のために。
なぜなら子供のために本当はやってあげたいことは親なら尽きないからです。

うまく遊んであげられていない自分を責めなくてよくなって、心が楽になります。
背負っているものがひとつ軽くなった気分になります。
子供のためにもなるけど、「自分のために子供と遊ぶ」という考え方でもいいんじゃないの


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