目の前にあることの先に何があるだろうと考えました。今日の言葉#49

最近、
一田憲子さん(フリーライター)の文章が
とても心に気持ちよく響くので
ご紹介したい
(もう既に好きな人もたくさんいると思うけど)。

前に私が書いた一田さんについてのnote。

北欧、暮らしの道具店というウェブサイトに
エッセイラジオというコーナーがあり、
時々一田さんのエッセイが載せられる。

「片付けられる人も、片付けられない人もいる」
というタイトルのエッセイが、とても良かった。

ちょっと長いけれど抜粋。
片付けが苦手だった一田さんが気づいたこと。

細々片付けること、丁寧なこと、
きちんとしているのが「いいこと」で
大雑把なこと、面倒くさがりなこと、
片付け下手なのが「悪いこと」
ではないんじゃないだろうか・・・?
その方程式を一旦手放したら、
新たな暮らしの扉が
見えてくるんじゃなかろうか?
と考えるようになりました。

私の目的はなんだったっけ?
とよ〜く考えてみると、
整理整頓や片付けは、決してゴールではなく
「手段」であることがわかってきます。
私が欲しいのは、気持ちいい時間だったり、
ゆったり過ごせる空間だったり、
心を解放するひと時だったはず・・・

私たちは、少なからず
「手段」と「目的」を
取り違えてしまいがちです。
今、目の前に広がっていること=
掃除や洗濯や整理整頓や、
夕飯の準備、そして仕事も、
すべてその先につながる
「時間のための」手段なのに、
そこを目指すからしんどくなる・・・。

掃除をした後、
どんな時間を過ごしたいのかな?
この仕事を頑張って、
私はどんな人になりたいのかな?
「その先」にあることは
残念ながらとてもおぼろげ。
だから、よ〜く目を凝らして、
私が本当に欲しいものを
見つけてみたいなぁと思います。

そこから逆算すれば、
片付けられない人は
片付けられないなりに、
そこを通り抜ける脇道を
見つけられそうです。

北欧、暮らしの道具店、エッセイラジオ
一田憲子「片付けられる人も、片付けられない人もいる」

「目的と手段を取り間違えちゃいけない」
これって、よく聞く言葉だけど、
本当になかなかできてないんだよなぁと思う。

私の場合、一つは料理
料理が苦手だな、と思い、
どうやったら美味しく作れるか、
どうしたらテキパキ料理が作れるか、
どうやったら楽しめるか、と
くよくよ考えてしまうことが多い。

でも、料理がうまくなることは手段で、
その先に描く私の理想の生活は、
家族や友人たちと料理を囲んで、
「美味しいねぇ」と言い合えるひととき

そして、欲しいのは、料理することで、
自分の生活を作れているという実感

その感覚を子どもにも伝えていきたい。

それなら、がんばってテキパキ料理が
できなくたってもいいかもしれない。
時間がかかっても、
そのプロセスが楽しめたり、
千切りが下手でも、
とりあえず料理が準備できて、
みんなで食卓を囲めたら、
それで十分幸せになれるかもしれない。

そして二つ目に、
ずっと勉強したいと思っていた
スケッチノートという世界。
本は何冊か買っていたけれど、
思いばかりが強すぎて、
なかなか始められなかった。
でも、私にとってスケッチノートは手段だろう。
それができるようになったら、
もっと新しい出会いがある、
もっと発見がある、
学びがある。
そして学びをビジュアルにして
喜んでくれる人がいる、
気づける人がいる、
人生を変えるきっかけにする人がいるかもしれない、
そんなワクワク。
おばあちゃんになった時にも
新しい発見をして、それを絵にして、
誰かの学びに役立ててもらえたら・・・

そんな姿を想像して、学び続けたいと思う。
そして、
今は一日20分テキストを開いて勉強している。

そうやって、
頑張ろうとしているけれど、
なかなかできないものに対して
その先にあるものを見ようとする、
どこに辿り着きたいのかな、と
しっかり考える。

一田さんの言うように、
そうやって考えて
見つけられるのは、
脇道かもしれない。
まっすぐ進むきらびやかな
中心的な通りではないかもしれない。

でも、遠回りしても、
小道でも、
目的地に向かって、
その道を楽しく通っていけばいいんだ。

そう気付けて、
料理もスケッチノートの世界も、
もっと気楽に、そして楽しく
とりかかれそうな気がしている。

今日の言葉#49

がんばろうとして、なかなかできない事は、
それが手段なのか目的なのか考えてみよう

hana


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