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”死”から”生”を考える


死とはなにか。

子供の頃、私は、死についてよく考えていた。身内の死が相次いだからだと思う。

幼稚園に入る前、父方の祖父のお葬式があった。その1場面をうっすら覚えている。祭壇の様子と、そこに座るお坊さんの後ろ姿と、敷き詰められた座布団だ。幼すぎてまだ感情はなかったと思う。

幼稚園に入ってすぐ、同居していた母方の祖父が亡くなった。
病院で、吐血の跡ののこるベッドに横たわる祖父の様子を眺めていた。血の色と痩せこけた姿に少し怯えながら、隣に立っていたのを覚えている。大好きな祖父がいなくなってしまうことが悲しかったし、酸素マスクやたくさんの管に繋がれた姿は、とても苦しそうに見えた。病院の匂いが怖かった。

病院は家から見えるほど近くにあるのに、その中は異空間で、どこか遠く別の世界のように感じられた。あの匂い、薄緑がかった空気の色、妙につるつると光るビニールの床。

パイプベッドのフレームは乳白色で、私はそれを握りしめて、大好きな祖父を見つめていた。

誰だったのかはわからないけれど、親族が私の背中を押した。ほら、もっと近づきなさいって。それで、少しだけ抵抗して後退りした。妹もいたし従兄弟たちもいたように思う。鮮明に覚えているその場面は、おそらくいよいよ最後の面会だったのだろう。

その後、祖父の作った会社の敷地内で葬儀が行われた。棺の中で花に囲まれている祖父と最後の対面をした場面を覚えている。額に触れた時、とても冷たかった。人間が、こんなに冷たくなるなんて。悲しかったことを覚えている。

祖父の遺影は、私の大好きな祖父の顔よりも若かった。その違和感を強く感じていたことも、覚えている。何年もかけて遺影に見慣れてしまったら、元の顔を忘れてしまったのだけど。

私が幼稚園の頃、同居していた母方の祖母が亡くなった。亡くなる前、祖母は部屋で寝込んでいた。たくさんの薬を飲んでいたのを覚えている。確か1回で7種類くらい。その中の一つが、1センチ以上ある大きな茶色い艶々の粒で、ラグビーボールのような形をしていた。私はそれをチョコレートみたいだ、と思ったので、「それ、美味しそうだね」って言った。祖母が「食べてみる?」と笑ってくれた場面は、私の人生で何度も何度も思い出されることとなった。病気で苦しんでるのに無邪気に「美味しそう」なんて言ってしまったことへの少しの罪悪感と、笑ってくれたことへの嬉しさと、少しの寂しさが入り混じっていた。

祖母のお葬式がどんなだったのか、それはなぜか鮮明な記憶はない。でも私は、祖母が大好きだった。おはじきやお手玉をして一緒に遊んでもらった。祖母のぬか漬けが好きだった。祖母の作る味噌汁も好きだった。

小学生に上がるころには、私は親族の家に預けられていた。そこで生活をしていた。身内から居候と言われ、厳しいしつけをされ、手もあげられた。今覚えば、あれも愛情だったと思う。けれど、当時の私にはそれを受け止めることができず、反抗的になり拗ねていった。そんな中、10歳の頃母が亡くなった。急なことだった。癌が判明した時には既にステージ4で、手の施しようがなかったようだ。

母は、亡くなる最後の日、既に意識は混濁していたのだと思う。病室のベッドの上で幻覚を見て、空に手を伸ばして「あぁ…」という声を出していた。父が母の手を握り、名前を呼び、切ないな、切ないな、としきりに声をかけていたのを覚えている。私と妹はその夜、隣の病室のベッドで眠った。目が覚めた時には、母は亡くなっていた。私は最後の瞬間に立ち会えなかったことを悔やんだ。大人たちは立ち会っていたのに、子供だからという理由で眠っていたことを申し訳なく思った。この時、私の中に深い深い罪悪感ようなものが宿ったと思う。

思い返してみると、母方の祖父が亡くなったあたりから、私の無意識にはとある考えがあった。それは何か。

自分が生まれてきたから、代わりに大切な人の命がなくなった。

そんな風にどこかで感じていた。自分の無意識にこれがあることに気づいたのは30歳をすぎてからだった。潜在意識の勉強を始めてからしばらくして、ふと、あぁ、そんな考えを持っていたんだなと知った。バカげたことだけど。でも確かにそうだった。

死はいつも私の隣にあった。

幼い頃に、大切な人が動かなくなり、冷たくなり、骨と灰になり、そしてお墓に入るというのを立て続けに経験し、死は私の生きるテーマになった。

何のために生きるのか、どうして死ぬのか、どうせ死ぬならどう生きようか。いっそ消えたい、死にたい。いや、生きていたい。死んだらどうなるのか。無とは何か。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、ご先祖様たちは私のことを見守ってくれているのか。だとしたら、私はどうすればいいのか。こんな私は愛するに値するのか。どう生きれば正解なのか。期待に応えたい。誇れる生き方をしたい。生きているのが辛い。死にたい消えたい。でも死ぬのが怖い。

そんな風に無意識の中で繰り返していたように思う。

表向き優等生だった私は、そんなことはさておき、得意だった勉強に加え、本を読み、習い事をし、こうすべきという価値観のもと正しく人生を積み上げようとしていた。

紆余曲折を経て30代半ばを迎え、潜在意識について学び、さらに催眠療法士となった。

人に催眠をかけることで自分もトランス状態に入りやすくなる。その結果、自分の中で何が起こっていたのか、幼少期の鮮明な記憶とともによみがることが多くなった。

今の私だから言えることがある。

死を意識して生きることは、決して間違っていない。

死は忌むべきものとして、会話から除外される。でも、誰だっていつかは死ぬのだ。どんな人でも。あなたも。

死を意識するからこそ、生を生きることができる。本当の意味で。
死を意識するのはいいこと。その上で、どう生きてみようか。

生きるってなんだろうか。それは息るということ。息をするということ。
息をして、明日も目が覚めるということ。ただそれを、やめないということ。

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