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(エッセイ)どんな色が好き?


僕の反抗期は6歳で終わった。


読書、ゲーム、パズル、お絵描きなど昔から一人で完結する遊びが好きだった。その中でもお絵描きは特に好きだった。口下手で、人と話すのが苦手な僕にとってお絵描きは唯一自己表現ができる遊びだった。

しかし、幼稚園児の頃、僕はある理由で一時期お絵描きが嫌いになる。その理由は、僕の持っていたクレヨンにある。

僕の母は、体や環境に良いものを好む人であった。そのため、ねるねるねるねやピンキー(古過ぎて今の子に伝わるのか笑)など、体に悪いと母が判断したお菓子は全て禁止だった。

ある日、同じ幼稚園の友達数人とその母親たちでお昼にマックを食べに行った。注文した商品が全てテーブルに揃い、みんなが食べ始めてから少しして、僕を衝撃が襲う。

たっちゃんがコーラを飲んでる!!!

コーラぐらいで何をそんなに騒いでいるのかと思われそうだが、僕の家では小学校に上がるまでコーラが禁止だった。そのため、僕がマックで飲めるのはマックシェイク、クーの白ブドウ、お茶の3種類だった。コーラなんて一度も飲んだことがなく、コーラは大人が飲むものだと思っていた。それを僕と同い年の5歳の少年が平然と飲んでいる。この衝撃は今でも忘れられない。

コーラ以外にも禁止されていたことが沢山ある。

母は幼稚園の石鹸を使うのも禁止した。そのため、僕だけみんなとは違う、家から持参した石鹸で手を洗っていた。

また、夜のバラエティー番組も禁止されていたため、幼稚園ではみんなが話している話題についていけないことがしばしあったことをこの記事を書いてて思い出した。

このように体や環境に配慮する母の影響で、僕はみんなと少しだけ異なった幼稚園生活を送っていた。

そして、この生活は僕に非常にストレスを与えていた。

昔から周囲の目を気にするタイプの子だったため、みんなと違うのが嫌で嫌でしょうがなく、幼稚園をズル休みしたことは数えきれないくらいある。

中でも僕が母の用意したもので一番気に入らなかったのが、幼稚園で使うクレヨンである。

母が用意してくれたクレヨンは、青色の缶ケースに入っており、みんなが使っているクレヨンよりも良いものだったと今の僕には分かる。

しかし、幼稚園児にとって価値や素材なんかはどうでもよい。僕のクレヨンはみんなのクレヨンと比べてある色が欠けていた。

その色は肌色である。

幼稚園では人を描く機会が多いため、肌色は必須の色である。しかし、僕のクレヨンにはどこを探せど肌色は存在しない。

ないものはしょうがないので、肌色を持っている子に借りるしかないのだが、人見知りの僕は「肌色のクレヨン貸して」となかなか言えず、やっとの思いで言えたとしても、肌色はみんな頻繁に使うため、なかなか貸してもらえない。

もうしょうがないと思い、僕は緑色で人を描いてみることにした。「目と耳と鼻があれば人には見えるだろう。」

緑色の人間が青い洋服を着ているという斬新な絵だが、何とか上手な絵が描けたと満足していると、あまり仲のよくない(デリカシーがなくて嫌いだった)男の子が隣にきて、「ねぇ、何で緑色なの?人は肌色なんだよ」と僕に喋りかけた。

人が肌色なことくらい僕にも分かっている。「肌が緑でも人に見えるならそれでいいじゃん!!」とは言い返せず、僕はただじっと黙っていた。

その男の子の言葉によって、さっきまで上手にかけたと満足していた絵に、僕は急に自信がなくなった。

✳︎

どんな色が好き?(青!)
青色が好き
一番最初になくなるよ
青色のクレヨン

誰もが幼少期に一回は歌っであろう「どんな色が好き」という歌。

僕はクレヨンの実体験から、一番最初になくなるのは一番好きなクレヨンじゃなくて、一番必要なクレヨンだと思う。

つまり、肌色が一番早くなくなるクレヨンだ。

むしろ、一番好きな色のクレヨンは大事に使うからそんなに早く無くならないのでは?と思う。

肌色のクレヨンがない悲しみを僕は抑えることができず、その悲しみは肌色が欠けたクレヨンを購入した母親へと矛先が向いた。

しかし、面と向かって反抗する勇気はない。どうするか。

僕がとった行動は、シンプルに絵を描かないというものだった。幼稚園では1年に1度ひとり1冊ずつスケッチブックが渡されたが、僕は年長さんの1年間スケッチブックに何も書かなかった。これを卒園の時に母親に見せたら多少はガッカリするだろう。これが僕の静かな復讐である。

そして、卒園式の日式が終わって、僕は母親に真っ白のスケッチブックを見せた。母は僕が思っている以上にガッカリしてた。

その時の母の顔と声を今でも覚えている。僕の目標は達成されたが、気持ちは晴れなかった。母をガッカリさせるために使った1年は本当に意味のあるものだったのだろうか?幼いながらに考えた。

結果、他人を悲しませるために時間を使うのは時間の無駄であると学び、それ以来、小学校、中学校、高校と僕に反抗期はなかった。

あの時、肌色のクレヨンが欠けていたおかげで、僕は大切なことに気が付くことができたのである。

✳︎

追記

僕はまだ独身のため、当然子どももおらず、親の気持ちを知らない。しかし、子どもの頃に様々なトラウマをかけていた僕は他の大人と比べて、少しばかり子どもだった頃の気持ちを鮮明に覚えているような気がする。

僕が自分のクレヨンが嫌いでお絵描きの時間が憂鬱だったように、子どもが嫌がるのには何かしら理由があるように思える。

そして、それは大人が考えているよりもずっと些細なことだったりする。

子どもが幼稚園や学校で使う道具は、みんなが使う普通のものでいい。大切なのは、高価な道具を使うことじゃなくて、子どもがどんなものを作るかだから。


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