見出し画像

名前を知らない花の話

夏が来た。ついきのうまで、冬が終わらないとか、春のしっぽはつかまったのかとか、ぶつぶつ言っていたけれど、いきなり夏が来た。起きたら、日差しが違うのだ。空気がくっきりして、明るい。もうぜったいに上着はいらない。セーターもいらない。炬燵もたぶんいらないだろう。こうなると、ふらふらと散歩にでも出かけたくなる。とはいえこのご時世、おいそれと外に出るのは憚られる。というわけで、写真フォルダ内の散歩に出かけることにした。

画像10

2004年5月2日の写真。ちょうど16年前の今日だ。どこか海の近くを歩いていた。

画像2

その次の写真。名前を知らない花が写っている。おそらく、よく知らない道を歩いていて、撮ったものだろう。このころは、休日になるとカメラを手にうろうろしていたので、いろんな写真が残っている。何をしに誰とどこへ行ったのか、覚えているものもあれば、全く何も覚えていないものもある。たいてい一人だったが、もし同行者がいても、その人を撮ることは少なく、気になったものばかりを撮っていた。

画像3

犬に出会ったり

画像4

レコードに出会ったり

画像5

リヤカーや

画像6

恐竜(化石)! に遭遇したりしていたらしい。

画像7

画像8

花があふれている。それからときどき、季節が入り混じっているものに出くわす。

画像9

冬と新緑のからまったの

画像10

写真は不思議だ。撮影された状態のまま、変わらないはずなのに、前見たときと違うように感じてしまう。それは、写真を見ているこちらのほうが、だんだん変わっていて、写真との距離が遠ざかっているので、そう思うんだろう。

写真フォルダの中を散歩すると、遠ざかった自分の足取りが、他人のもののように感じられる。同じ日付頃の写真には、いま咲いているのと同じ花が見つかることがある。当たり前だけど、不思議だ。

その花の名前を知っていることもあれば、知らないこともある。覚えても、いつか忘れてしまうってこともあるし、写真のほうも永遠ではないので、ふとしたきっかけで失われる。そう考えると、写真を撮ったり見たりするということは、はかないってことを思い知ることだな、なんて思う。そしてその知らない花の名前を、知るのをなるべく先延ばしにしたりする。そのほうがなんとなく、何周目かの同じ季節に、また会えるような気がして。

画像11

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?