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退院する是

入院して手術して今から退院します。
入院生活基本暇、退院直前はもっと暇なので一言書いておこうかなとnoteを開いてみました。

ざっくり言うと今回は内臓に腫瘍ができていたのを摘出する手術を受けました。
元から抱えていて、ずっと経過観察をしていたのですが、ついに時が来た、って感じですかね。
東京から地方に越して来てずっと通院できる病院を探していたんだけど全然見つからず、
2月にこの病院を紹介されて、あれよあれよと言う間に手術と入院が決まりました。
腫瘍は良性(だと思われていて)、普段の生活に支障はないはずだったけど、
大きくなり過ぎて周りの様々な臓器を圧迫し始めお腹が張ったり苦しくなったり、
また原因不明の熱が続いたり、倦怠感で動けなくなったりとまあ明らかに不調が続いて私の身体も限界でした。
更には、腫瘍が大き過ぎるせいでこのままでは出産できません(妊娠しても腫瘍が邪魔で子供が育つ場所がない)、と言われたもんだから、
さすがに私も夫氏も家族も焦った。
手術したからってすぐに子作りできるようになるわけではなく、一定期間空けて完治してからやっと妊娠を考えなくてはいけなくなるので、えーっと、私は今何歳...まじかよ...という具合。
思わず紹介元の病院で「まだ間に合いますか」としくしく泣いてしまったりもした(女子)。
幸いにも主治医が陽気なせっかちおじさんだったので、
最速スケジュールで手術日程を組まれ、無事その勢いに乗ってここまで来た。

ここまで来た、って言ってもかなりハイスピードで事が進んだので仕事の調整が大変だった。
今2.5人分くらい仕事を持っているので、
誰に何をどう引き継ぐか、更にその引き継ぎを通常業務と並行してどう進めるか...考えるだけで眩暈がしました。
結果、一ヶ月間休むために一ヶ月間めちゃくちゃ残業する羽目になり体調はガタガタ、
しかも、同部署のみなさんは忙し過ぎて引き継ぎを受けてくれる人がおらず、他部署から人を借りて来ることになる始末でてんやわんやでした。
忙し過ぎてみんな頭がおかしくなってきているようで、最終日に「復帰したら元気になってるんだからもっと働けるよね?」と上司に言われて血の気が引きましたっていう。逃げ帰ってきました。
復帰したくねえ。
働くことに抵抗はないけどあの職場はやばい気がする。

自分自身手術は2回目、入院は3回目なので、
入院生活がどんな感じとか、手術後の辛さはどんなもんとかまあまあわかっていて、
心配してもどうしようもないので、あまり深く考えずに主治医を信じてありのままを受け入れる...という心頭滅却モードを手術直前まで貫き通しました。
ま、手術後は辛過ぎて心頭滅却とか言ってらんなかったですけど!!!
私が入院するにあたり一番の心配は夫氏。
私が家を空けて、ごはんの心配が...とかでは全くない。
むしろ我が家の料理番長は彼なので、好きにごはん作って楽しく生活してくれたようです。
では何が心配なのかと言うと、
それは、我が夫が超ウルトラスーパー健康人間なことに起因します。
今回私の付き添いでやってきて「総合病院初めて...」「病棟初めて...」などなど、
とにかく病気系のことに免疫がない。
これは日常的になんだけど、夫氏は
「具合が悪くなっても寝れば翌日には全快している」
「体調不良は気にしなければ大丈夫」
「今日より明日は絶対に体調が良い」
という私には通用しない観念で生きている人間なのだ。
なので、術後の私を見てショックを受けないだろうか...などなんとなく心配していた。
しかし、心配は斜め上の方向に的中した。
まず入院前日に「退院予定日あたりから泊まりがけで東京行こうかな」と言い出した。
...はい?
じゃあ誰が私を病院に迎えに来んの、一人でまとまに歩けもしない妻を置いて何でわざわざその日に行くのしかも東京、私になんかあったらどーすんの、などなど一瞬でいろんなことが脳裏を駆け巡りましたが、
そこは冷静に「(退院したては一人で生活できないので)じゃあ私はその間実家に行くね」と返したら
「えっ、なんで実家にわざわざ行く必要あるの?」と心底不思議そうな顔をしている...
どうやら夫は「退院=完治」だと思っていた模様。

なんで!!!!!!!一ヶ月仕事休んで療養するって言っとるやないかい!!!!そんなに簡単に治ったらすぐ仕事行くわい!!!!

心の叫び止まらず。

また別の日、4月中旬から5月までのいろんな予定を説明し始める夫。
イベントだったり、行きたい場所だったり。
総じてみんな「遠出」の距離である。
そして「忙しくなるねー^^」と当然私も一緒に行くこと前提の発言。

安静必須、階段上るのもだめ、重いもの持つのもだめ、長時間立つのもだめと言われている私にどうやって遠出なんてできようか!!!!!(いやできない)

心の叫び止まらず。

もうこうなると私が何を言っても「(大袈裟だな...)大丈夫、日一日と良くなるから」という根っからのポジティブ発言しか返ってこなくなるので私は諦めた。
そして、姉に一切合切話して、私が手術で寝ている間によくよく言い聞かせておいてくれるように頼んでおいた。(姉もびっくりしすぎて固まってた)
夫氏は我が姉の言うことはとてもよく聞くので...

姉の釘刺しに加え、夫氏はオペ直後の主治医に呼ばれ家族代表として手術結果の説明を受けていた。
その時に、私の内臓から摘出されたナマのブツを目の前にドーンと置かれた模様。
更に病室に帰ってきたら麻酔切れたてで白目を剥いてぐったりしている妻...
いろいろパンチが効いていたらしく、夫は無事(?)に甲斐甲斐しく看病(介助?)してくれるようになりました。
やっぱり百聞は一見にしかず、か...

夫氏は何も悪くなくて、逆にわかってくれてることを前提に思っていた私の考えが至ってなかったのかもしれない。
もっとちゃんと細かく話して確認しておけばよかった。
入院して手術して、一ヶ月間休みを取るというのはどういうことなのか、夫氏はきっと想像もできないことだったんだろうな。
顔には出さないし言わないけど、
きっとびっくりすることの連続で、夫氏も緊張の毎日だったに違いない...
それだけでも感謝しなければいけないな...
早く元気にならなければ。
そしてそのためにこの一ヶ月間じーっとしていなければ...

療養生活が激ヒマだということは自分でもよくわかっていて、
さーて何をしようかなと考えた時に、やはり勉強することにしました。
この一地方においては、生活がとてもゆっくりというかゆとりがあって、
仕事して、定時で帰ってご飯食べてお風呂入って寝る、という一日の流れを達成できればもうそれで十分というような生活になってしまう。
もう少しよく考えてみると、それ以外にすることが、ない、のである。
私は気付いたら文化的なことを取り入れることを忘れてしまっている気がしてならないのです。
これはまずい、と前にもここで書いたと思うけど、変えるためには自分が動かねばなので。
今年は中国語と韓国語を勉強することにした。
職場のビルに語学講座があり、そこで毎週1.5時間授業を受ける。
中国語は自分のレベルよりは低いクラスだけど、
韓国語は独学でかじったことがあるものの、きちんと学ぶのは初めてなので凄く楽しみ。
楽しみが高じて、既にベッドの上でハングル文字の表を眺めたりしていた。
ハングル文字...何回覚えようとしても挫折してしまう...
とはいえ、興味のあることで新しいことを学ぶ時の私の吸収力と集中力は自分でもなかなかだと思っているので、一度波に乗れば多分大丈夫。
そして、今から家に帰って勉強するために部屋に机を置きたいという交渉を夫氏としなければ。(絶対軽くOK出るけど)

おっと、もうこんな時間。
そろそろ夫氏が迎えに来るはず。

さて、そろそろ下界に降りる準備をするかな...(パラマウントベッド降りる)

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