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【日常で思うこと】劣化する自分へ

コロナ禍で外出する機会が減っていた反動だろうか。
最近、妻は毎週末のように出掛ける。

推しバンドのコンサート(L'Arc〜en〜Ciel)や友人との会食、所属している業種の勉強会(を兼ねたパーティ)など。本人は外出中に子どもの面倒を見ている夫に後ろめたい気持ちもあるようだが……僕は全然気にしていない。

むしろ人は、たまに日常とは少し離れた体験をして刺激を得た方が、生きる活力にもなるし、精神も安定すると思う。
妻も「ハイドに逢うから」と、気合を入れて化粧をする様子が微笑ましい。
ハイドさんの方は観客側にいる妻を見ることはないと思うが。

………と、ここまで読むと、妻の楽しみに協力的な「理解ある旦那さん」というイメージになってしまいそうだが、べつにそんなことはない。

妻には伸び伸びと生活してほしいという想いもあるが、単に僕が出不精になってしまっただけだ。
休日は家事の他に、溜まっている仕事の整理と物書き、筋トレと大体やることが決まっている。ここ何年も友人と飲みに行ったり、劇場や映画館に足を運んだりしていない。億劫………というか時間がもったいないように感じてしまっている。

こんな外界の刺激を受けない生活をしていると脳が劣化するかもしれない。
そんなことを思いながら、ルーティン化してしまった日々に危機感を抱いている。


会社での地位を社会全体の自分の立ち位置と勘違いしているクレーマー。
自分の青年期と比較して、いまどきの若者は、俺なんて昔は……なんて武勇伝だかグチだか判らない長話をするおじさん。

このままでは凝り固まった価値観でしか物事を判別できず、世の中からどんどん孤立していく中年になってしまうのではないかという不安に苛まれる。

よくない兆候だと思う。

映画をネットフリックスで観て、Amazonで買い物して、仕事の打ち合わせはリモートで済ます。

「気がつけば、今日一歩も外にでてないや…」なんて、日が多くなっている。こうやって文章にしている間にも、軽い焦燥感におそわれる。

友人たちや元同僚も、コロナ禍を抜け出したことをきっかけに次々と新しいことに取り組み始めている。
事業を立ち上げたり、地域振興のために九州の島に移住したり、職種を変えたり……仕事以外ではコンテンポラリーダンスや楽器をはじめた者もいる。

SNSから、そんな様子をスマホ片手にリビングで眺めながら「いやぁ、すごいな」なんて感心している。

頭の片隅で「動けよ自分…」って自身に言い聞かせながら。

最近読んだ精神医学者の本では、人はコンフォートゾーンから抜け出した先に幸せを感じる要素を見つけるらしい。
逆をいえば、居心地いい場所から動かなければ安心感はあるが、幸福感は薄いのだろう。

また新しい世界に一歩……いや、半歩でも踏み出すために、重たくなった腰を上げようかと最近思っている。


リアルだけど、どこか物語のような文章。一方で経営者を中心としたインタビュー•店舗や商品紹介の記事も生業として書いています。ライター・脚本家としての経験あります。少しでも「いいな」と思ってくださったは、お声がけいただければ幸いです。