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第二百九夜 『昨日公園』
成功と失敗は相反するものと思われがちであるが、果たして本当に相反しているのであろうか。
こんな問いが最近は頭のどこかにまとわりつく。
成功したかどうか。それ以外を失敗とした時に、それは確かに相反するものなのであるが、成功と失敗には本質的な違いがあるように思える。
それは失敗には共通点があり、成功には共通点がないことである。
もちろん、成功に全く共通点がないかと言われれば、そうではないことは予めト書きにでもしておこうか。
『孫子の兵法』然り、昔話として伝承されているものの多くは、成功譚よりも失敗譚や教訓話が多いだろう。
成功というのは時勢や運というものに大きく左右されるからである。そのため、成功譚は意外と歴史とともに風化しやすいものである。
しかし、失敗の多くはどの時代でも、どの地域でも同じこと要因であることが多い。
多くの成功者に共通していることは運である。
そしてその運を手繰り寄せるための、行動量、継続、そして、失敗を予め先回りして、根回しして、出る杭のように徹底的に叩くことである。
職場で人が怒られている時の心情はさまざまである。
「自分でなくてよかった。」
「自分には関係ないことだ。」
どのように思おうと自由である。
しかし、視点を変えると人の失敗話には学びがある。
自分であればどのようにそれを回避できたのか。
そもそも、それを起こさない仕組みを構築できたのではないのか。
「今回のミスは連帯責任だ。」
こんな言葉は本来、各々が自分ごととして他人のミスから学ぶ責任感のあるビジネスパーソンであれば起きないものである。
私は常々思う。
「他人の不幸は蜜の味」という慣用句は、他人の不幸を喜ぶ野次馬根性を卑下したものではなく、蜜のように自身に利益をもたらすものだと思えという意味なのではないかと。
人の失敗から学び、自身が学習することで、いわゆるPDCAサイクルを他人の投げかけでも完結できるようになるのである。
これはまさに蜜の味なのではないか。
また、失敗には連続性があり、その先に成功が待ち受けているという考え方もある。
失敗を細分化し、言語化し学びとることで成功へと導いていくトライアンドエラーの繰り返しである。
世の中にいるほとんどの成功者は実は誰よりも失敗をしてきた人だったりもする。
失敗の数だけ、前に進み成し遂げてきたのである。
以前、マルクスアウレリウスアントニヌスの『自省録』について『千夜一夜物語』で触れたことがある。
日々の生活で私は寝る前に明日の成功を期待して、今日の失敗を数える。
早起きできなかった。
商談をまとめられなかった。
従業員への対応を誤った。
友人との約束を果たせなかった。
洗濯機を回し忘れた。
必要な書類を準備し忘れた。
1日を通して全く失敗しなかった人などほとんどいないのではないか。
他人の失敗からも学べるが、自身の失敗からは本当に自分の性悪な部分が見えたりする。そういった個性すらも活かすためには結局、失敗を修正するしかないのである。
繰り返しだ。
何度も。できるまで。
物語の続きはまた次の夜に… 良い夢を。
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