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ブタ。をプロデュース「ところで、嫌われる勇気ってどういうこと?」

「嫌われる勇気」を簡単に説明すると?

他人を気にせずに生きろってこと?

嫌われないようにと自分を偽って生きるなってこと?

他人に承認されることを求めず、自分の価値観に忠実に生きろってこと?

承認欲求を満たしたからって意味ないしってこと?

どんなに気をつかったって、他人は見たいようにしか見てくれないってこと?

参考

『嫌われる勇気』とはアドラー心理学に基づいた自己啓発書

【アドラー心理学の主な概念】
・世界はシンプルであり、人生もまたシンプル
・「目的論」で生きろ、「原因論」にすがるな、トラウマは存在しない
・あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの
・人は常に「変わらない」という決心をしている
・全ての悩みは「対人関係の悩み」である
・劣等感は、主観的な思い込み
・人生は他者との競争ではない
・「課題の分離」他者の課題を切り捨てろ
・承認欲求を否定する
・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
・叱ってはいけない、褒めてもいけない
・ここに存在しているだけで、価値がある
・自己肯定ではなく、自己受容
・普通であることの勇気
・嫌われる勇気
・幸せになる勇気
・「いま、ここ」を真剣に生きる
・共同体感覚

嫌われる勇気/岸見一郎、古賀史健 著

↑詳細については「嫌われる勇気/岸見一郎、古賀史健 著」をぜひ読んで欲しい。


私の嫌われる勇気

「嫌われる勇気」って要するにどういうことか、急に説明しようと思うと、どういうことかわからなくなった。
わかったつもりでも、説明しようとすると「えーっと」しか出てこなかった。
説明しようとしたのは、ただの自分の思考だから、何の問題もないのだけれど。

まぁ、ちょっと考えると、答えは簡単で、本のタイトル通り『他人になんて嫌われたっていいじゃないか』ってことだと気がついた。

しかし、アドラー先生、厳しいなぁ。
嫌われる勇気。

私は、昔から、自分の小物感が嫌いで、小物感を出さないように必死で隠して生きている。
『大豆田とわこと三人の元夫』の佐藤鹿太郎なんて、必死で隠している私のことなんじゃないかと思う。いや、もっともっと器が小さい。
この小物感を、今更、さらしては生きていけない。

しかし、しかし、本当は、だいたいのことは「見透かされている」。
みんな、私が隠しているってことを気づいてないフリをしてくれている。
私の演技に付き合ってくれている。
みんな優しい。
私も他人のいろいろなことを「見透かしている」けれど、気がつかないフリしているもの。

結局、どんな自分をさらしたって、周りの人は思いのほか受け入れてくれるんだと思う。
嫌われる勇気を振り絞って、自分をさらしまくっても「嫌われない」ってオチなんだと思う。
要するに、あとは、嫌いな自分を、自分がどう受け入れていけるのかが課題ということ。

私は、すでに何十年も仮面をかぶって、だんだんと仮面の種類も数も増えていて、本当の自分がどれかわからなくなっている。
物心がついた頃から、ずっと何かに怒っているような、逃げているような感覚がある気がする。それは不安というものかもしれない。きっと、その奥深くに沈めた、くすぶっているところが自分の核のような気がする。それを必死で隠したせいで、よく笑う平和主義になってしまったのだと思っている。

最近読んだ、太宰治の『人間失格』の冒頭に魅了されたのも共感したからだろう。

「見透かされている」って言葉が今の私にはとても響いている。

『嫌われる勇気』とは、

『自分が自分を幸せにする勇気』

そして、大事なのが『共同体感覚』

どうかペルソナが、本物になる日がやってきますように。

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ケセラセラ
なんくるないさー
明日は明日の風が吹く
人生はブーメランやで
豚は豚


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