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死にたがり───彼女

「彼女が自殺未遂をしたんです」
 出勤前に山谷から電話。
「わかった。じゃあ、私が代わりにシフト入るから」
「すいません」
「支配人にも私から伝えておく」
「嶋さん、ありがとうございます」
 泣きそうな山谷の声を裁断するように電話を切った。

 私はホテルのフロントで働いている。山谷は職場の後輩で、五年ほどの付き合い。仕事の愚痴を言いあったり、時々プライベートな話もする仲である。
 山谷の彼女は、一年前に入社した上村さんだ。明るくて人当たりが良く、誰からも好かれるような女性で、何より美人だった。山谷が夢中になるのも仕方がない。
 そんな彼女がまず初めに付き合ったのは、大学生アルバイトの吉田君。就職活動に専念するという理由で十か月前に退職し、同時に二人の仲は終わった。上村さんが次に付き合い始めたのは、山谷と同期の風間君。彼は半年前に他のホテルへ転職。二人の仲は終わった。それから、次に付き合い始めたのが山谷。

「秘密ですよ」
 そう言って、山谷は私に上村さんとつきあっていると打ち明けてくれた。そして、彼を通じて、上村さんの男性遍歴を知ったのである。
 上村さんが、わずか一年の間に職場内の男性三人と続けて付き合っていたことに関しては驚いた。全く気付かなかった。だが、思い返せば、吉田君と風間君が辞めた直後に、上村さんは数日、体調不良で欠勤。シフト調整して私が代わりに出勤したから覚えている。あの時は、上村さんは体の弱い人なんだという認識でしかなかったけれど。

「彼女が手首を切って」
 山谷が上村さんと付き合い始めて一か月。彼はそう言った。
「リストカット?」
「そうです」
「なんでまた」
「僕が橋本さんと仲良くしているのが気に食わないみたいで」
 橋本さんは山谷と同期の女性スタッフ。音楽の趣味が合うので、二人はよく雑談している。しかし、橋本さんには長年付き合っている彼氏がいるし、山谷も彼女を異性として意識はしていないと、上村さんに説明したそうだ。
「それでも、納得してくれなくて。幸い傷は浅かったのでよかったんですけど。だから、彼女が出勤の時は、橋本さんと話さないようにしてます」
「上村さんって、感情的になる子なんだね」
 意外だった。職場での彼女は、いつも笑顔で嫌な顔ひとつ見せなかったから。感情に流されるような子ではないと思っていた。
「そうですね。すぐ泣くし怒るし」
「まぁ、それだけ山谷の前では、素の自分でいられるんだろうね」
「ですかね」
 山谷はまんざらでもなさそうに笑う。
「橋本さんと仲良くするのはダメで、私は大丈夫なの?」
 私も一応女性である。
「ああ、嶋さんは大丈夫だって言ってました」
「なんで?」
「それは、その、なんていうか……」
 山谷が言葉を濁す。
「色気がない?」
「まぁ、そんな感じっすかね」
「あ、そう」
 子供の頃から、男子に間違われることが多かった。大人になって、女性らしい服装や髪型を心掛けても、色気がないと言われることが多々ある。それでも、時々、恋人が出来ていたので、色気がないと言われたら、こいつは見る目がないのだと思うようにしている。

「くれぐれも内密にお願いします」
「私に話してるってことは、彼女も了承済み?」
「彼女は知らないです」
「知らないってさぁ」
「だから、秘密ですって」
「だから、重たいって」
「一人じゃ抱えきれませんって」
「私にも抱えきれませんって」
「だって、今後、彼女がまた自殺未遂したりして、俺が仕事休むことあるかもしれないじゃないですか。それを、うまくフォローして欲しいんですって」
「あーそういうことですか」
「これって、あれです。ほら、根回し」
「はいはい」

 それから一か月後、上村さんは再びリストカットをした。今度の傷は深かったらしい。山谷は病院へ付き添うことになり、私が代わりに出勤。この埋め合わせは、いつかしてもらおう。

「彼女には僕がついていなくちゃダメみたいです」
 数日後、上村さんは、自殺未遂なんて嘘のように、明るい笑顔で接客をしている。そんな彼女の様子を眺めながら、山谷は傍にいた私にぽつりとこぼしたのだった。
「頼られてるんだね」
「頼られてるっていうか、彼女は自分に自信がないみたいなので、僕が見捨てたら、きっとまた自信を無くしてしまいます」
「あんなに美人でいい子なのに」
「両親が厳しかったみたいで、自己肯定感が低いって言うんですか」
「自己肯定感ね」
「元彼にも、重たいってフラれたらしくて」
「山谷は重たいって思わないの?」
「僕はそういうの平気なんで」
「そういうの」
「か弱い女の子は守ってあげたいと思っちゃうんで」
「なるほど」
「寄り添ってあげたいんで」
「私にもそういう人が現れないかな」
「嶋さんは、一人でも大丈夫じゃないですか」
「それ、どういう意味?」
「強いんで」

「強くねーよ」
 私は、部屋のベランダで一人呟いていた。
 金属製の手すり。冷たさは指先から血脈へと侵入し、少しずつ少しずつ私の身体を凍えさせる。肩が震え出す。奥歯が震え出す。
 目の前に広がるのは闇。点在する光には、おそらくあたたかな食卓と、溢れんばかりの笑顔。幻想。私にとってそれは幻想でしかない。
 五階。手すりから身を乗り出したらきっと一瞬。
 爪痕のような形の三日月。夜空に爪立てた。立てた。零れ落ちるのは、月明かり。涙で滲んだ月明かり。私の頬を優しく撫でる。大丈夫、一瞬で終わる。おいでよ、おいで。
 三日月から垂れ下がる光の糸に、私は手を伸ばした。

 電子音が鳴った。それが携帯の着信音だと気づき、私はベランダの手すりから手を離した。リビングのテーブルに置いていた携帯を手に取る。画面には知らない番号が表示されている。知らない番号なら出ない。いつもの私なら。だけど、私は画面をタップして、電話に出た。
「誕生日おめでとう」
 幼い女の子の声がした。
「え?」
「ユキコおばちゃん、あかりだよー」
 私の名前はユキコじゃないし、あかりなんて子知らない。
「ごめん、私、ユキコおばちゃんじゃないよ」
「え?ユキコおばちゃんじゃない?」
「うん。番号間違ってるんじゃないかな」
「おかあさーん」
 女の子は電話を代わり
「ごめんなさい。大変失礼いたしました」
 母親らしき女性が謝って電話を切ってしまった。

 私は、崩れ落ちるように、その場に座り込む。
 一体、何をしようとしていたのだろう。手すりの冷たさを思い出し、身体は再び震え出す。
 もしかして、私はさっき、死んでしまったのか。そしてたった今、生まれ変わったのか。
「お誕生日、おめでとうだって……」
 おかしくなって、声をあげて笑う。そして口ずさむ。
「ハッピバースデートゥーミー」

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