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翼を拭く

 あなたの背中には翼がある。
 それは大きな翼だった。今日みたいな雨の日は、差した傘からはみ出してしまうほど。だから、濡れた翼で帰ってくるのである。
「ただいま」
 玄関で佇むあなたの両翼からは雫が滴り、足元には水たまりが生まれている。水面には、抜け落ちた羽根が数本浮かんでいた。
「おかえり」
 私はタオルを手に出迎える。あなたはいつものようにくるりと背を向け、玄関の上がり框に腰を下ろした。大きな翼が私の前に広がる。
「今日は会議が長引いて疲れたよ」
 あなたが大きくため息をつくと、翼も大きく揺れた。
「また意味のない会議?」
 タオルで翼の水滴を拭きとりながら、あなたに訊ねる。
「そうそう。意味のない会議。一時間の予定が三時間」
「それはお疲れ様」
「俺が出世したら、あんな会議廃止させてやるのに」
「ぜひそうして」
「頑張るよ。あーお腹すいた」
「今日の夕ご飯はカレーだよ」
「じゃがいも入ってるやつ?」
「入ってる、入ってる」
「やった」
 あなたは、大きめのじゃがいもがゴロゴロ入っているカレーが大好きだ。手のかかる洒落た料理よりも、ご馳走だと喜んでくれる。
 濡れた翼からは雨の香りがする。あなたの髪の毛からも、スーツからも、雨の香りがする。雨の香りが立ちこめる玄関で、あなたの翼を拭いている時間が、私は大好きだ。

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