生首【ホラー怪談小説】


 山奥に暮らす気弱な男が、下町の親類のもとまで行って、そこで酒を振る舞われて、ほろ酔い機嫌になって帰ってきた。
 寒い春の晩のことである。
 その若い男は独り者で、親類に自身の縁談を依頼していたので、その用事もあって、下町の親類の家へ寄ったのだが、そこから出た頃には夜もかなり更けていた。
 男は、ふらふらした足取りで街中を歩いた。そして時たま、すれ違う恋仲らしい男女を振り返ってみたりした。その都度、男はやりきれない思いにかられた。
 縁談は、うまくまとまらなかった。それは、今晩に限った事ではなかった。いつものことであった。たとえ、良い条件の縁談を持ちかけられても、気弱な男は、その女の人は、俺にはもったいない人だよ、と急に自信を失い、自らをつまらないものとする返事をしてしまうのである。男は睦まじく囁き合う男女をぼんやり眺めながら、陰鬱なため息を吐いていた。
 淡い月の光が辺りの家々を静かに照らしていた。
 町外れの屋敷の脇の坂道を上っていき、そこを登りきると、男は右側の桜の木の下に人影を見つけた。満開に咲き乱れた桜の梢の上に、ぼんやりと月が浮かんでいた。白い花びらが、ぽろぽろとこぼれ、その人影の上にも落ちていた。
 男は、どうしたのだろうと思って恐る恐る桜の木の下へ歩いて行った。近寄ってみると、それは若い美しい女であった。色が白く、黒っぽい色の着物を着ていて、背が すらりと高かった。男は一目見て、いい女だと思った。しかし、そう思うだけであった。男は急に意気地をなくし、思い切って声をかけることができない。ただ、所在無さげに立っているばかりである。
「すみません」
先に声をかけたのは女であった。その声は 弱々しかった。
「どうかなされましたか?」
と男はわざと淡々とした調子で聞いたが、内心、嬉しくてたまらなかった。
「とても困っているのです」
「どちらかお探しになっているのですか?」
「ここからちょっと先に行った屋敷に、叔父がいるということを聞きまして、尋ねて行ったんですが、その叔父は、とうの昔にどこかへ引っ越していないので、ここまで帰ってきましたが、他に行く当てもないので途方にくれているのです」
女は沈んだ表情でそう言った。
「それは、さぞかしお困りでしょう」
「ええ、私は母と2人きりで暮らしていましたが、先月その母にも死なれまして、他に身寄りもございませんから、母の弟になる叔父を訪ねてきたのですが、もうすでに引っ越した後ということで、本当に困り果てているのです」
と言い終えた後、女は男の顔色をそっと伺った。その悲しそうな瞳には、男の情けに縋りたいという感じの光が宿っていた。
 男は考えた。そして、しばらく思案にふけっていると、
「女の身ですから、こんな夜遅くなっては 宿に行っても泊めてくれませんし、本当に困っております」
と女がまたこんなことを言った。
 それを聞くと男は、俄かに活気付き、別に泊めても構いませんが、自分は独り者で家には自分以外誰もいませんので…と言い、それから、まだ何か言いたげだったが ふと口をつぐんだ。言葉の途中で急に気恥ずかしくなったのである。女も、少し頬を赤らめたが、その顔には明らかに喜びの色が浮かんでいた。それから、2人は黙って立っていた。桜の花びらは、絶え間なく散っている。
 やがて男は、女を連れて歩き出した。
 道の右手は、切り立った崖になっていて、その崖の底には幅の狭い谷川が、ゆったり流れ、それにかかっている丸太橋が 月明かりに照らされ遠くに見えた。そしてその丸太橋を超えたあたりに、古びた納屋があるのだが、そこは半年前、若い女が何者かによって乱暴され惨殺された場所である。男はその納屋を見下ろしながら、せっせと山道を登って行った。その後から女もせわしない息を切りつつ、ついてきた。
 山奥の家屋は深い闇に包まれていた。
 男は女を戸口に待たしておいて、手探りで戸を開けて中へ入って、行灯の火をつけると女を招き入れた。2人は行燈の前に向かい合わせに座った。そして、ただ黙っていた。お互い言葉を発せず、二人の心を結ぶ手掛かりは何一つなかった。
 男は、間が悪くなり、すくっと立ち上がって、次の間へ行って、湯を沸かして始めた。茶でも進めて、堅苦しい場の調子をほぐすつもりなのである。すると女がそこへバタバタと走ってきて、
「私が代わりにいたしましょう」
と言うなり無理やり釜の前に座って火を焚いた。
 茶が出来上がると2人は、再び行灯の前に座った。
 今度は沈黙はなかった。
「こんなことを申してはすみませんが」と女が、
「男の一人暮らしでは何かにつけ、御不自由のようにお見受けしますが、どうか私を こちらの家に置いていただくことはできませんか。色々な雑多を致しますから、どうかお願いできませんか。先ほども話した通り、私には他に頼る者もございませんから、行き先が不安で仕方がありません。仮に長いことお世話になることができません なれば二三日でも結構なので、お願いします」
と言い、つつましく手をついた。
 この時、男には女に対する強いこだわりが生まれていた。どうしても他へやりたくなかった。
「それでは好きなだけ、ここにいるが良いだろう」
途端、女は蘇ったような生き生きとした表情になり、黒い大きい目を潤ませて男の顔を見上げた。男は、はにかんでそれに答えた。
 その夜は朝まで異様に寒かった。女と 枕を並べていた男は、その寒さに目が覚め、ふと見ると、表が大分明るんで来ていたので、女を起こさないようそっと一人で起きた。女を見ると女は、青白い顔をこっちへ向けて、すやすや眠っていた。
 男は厚手の羽織をひっ掛け、それから、裏の庭に降りて植木に水をやって、それが済むと辺りの戸を静かに開けたのだが、女は疲れているのか起きてくる様子がなかった。男は、にこやかに鼻歌を歌いながら米を洗って釜にかけ火を点じた。まだ女は起きてこなかった。
 男はおや?と思った。飯もとっくに出来上がったが、それでも、女は起きてこない。昨夜は釜に火を入れた途端、飛んできたはずなのに今朝はどうしたのかな、と不審に思い足音を忍ばせ、奥の室へ行ってみた。そして、そっと襖を開いて室へ入った瞬間、男は目をみはった。
 女はさっきと変わらず、青白い顔して寝ていたのだが、その口端からは鮮血がたらたらと流れていた。
 男はびっくりして枕元へ寄っていき、白い生地の夜具に手をかけて、しきりにさすってみた。すると、枕に寝ている女の首がその拍子にぽろっと外れた。生首は畳の上に転がった。その首の切り口から覗く無数の血管が、ぴゅぴゅと鮮血を噴いていた。
 男は慌てて戸外へ飛び出した。そして這うようにして山道を降りて行き、家々の戸を片っ端から叩いて助けを求め検視を願った。
 昼前には検視が行われた。それによると 生首は、半年前、谷間の納屋で殺された女のものであった。その当時は、胴体は小屋に残されてあったが、首だけは、結局、どこを探して歩いても見つからなかったという。
 年老いた検視は、柔和な笑みを浮かべて男に話しかけた。
「おそらく殺された女は、自分の首を見つけて欲しがって、お前さんの前に現れたのだろう。お前さんは気が弱そうだから、話をかけやすかったんだよ」
 男は、やりきれないため息を吐いた。


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