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未熟

研究に行き詰まって、ゼミの先生に相談に乗っていただいた。

ゼミ生の中の一人としてではなくて、一対一でこんなに先生と話をしたのは初めてだった。

研究に関わること、ゼミ生同士の雰囲気のこと、自分の生い立ちのこと、そして将来のこと

就活アレルギーになりつつある私は将来についてあまり上手く話すことができない。
でも、不思議と先生には気負わずに「絶賛迷走中です」と正直に話すことができた。

先生は、
「君はある程度なんでも上手くできそうだし、仕事を通して良い影響を与えることができると思う。でも、その仕事に就いて君が幸せになれるかは分からない。」
と仰った。

どうしたら幸せか
私はどうなりたいのか

大学受験も、ゼミ選択も、私は自分がどうしたいのかが明確だった。
でも今は自分が一番何を大事にしたいのかが分からない。どう生きたら幸せなのか分からない。
むしろ、今までの自分がイレギュラーで、「どう生きたら幸せか」なんてきっと誰も分からないのだろう。

結局自分の中で答えが出せていないけど、研究室を出たときに頭の中に溜まっていたものが軽くなっていた。

「社会人になったらちゃんと自立する」というプレッシャーや、上手くできていない自分を恥ずかしく思う気持ちから、なかなか周りに頼れない自分がいたことにハッとした。

成人してお酒も飲めるしタバコも吸えるけど、20年ちょっとしか生きていない私はまだまだ未熟で、未完成で、それ故に話を聞いてくれたり導いてくれたりする大人が絶対的に必要なのだと思った。

未熟だからこそ悩んで、迷って、失敗して、周りを頼って当たり前なんだ、と自分の未熟さにポジティブな意味で気づいた。

自分が未熟であることを認めて、だからと言ってその未熟さに甘えずに、迷走しながら日々を乗り越えることが今の自分に出来ることだと思う。