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時透有一郎に共感しかない件について

死ぬ間際まで誤解される有一郎

誰にも気づかれないよう、先に険しい道を進み、茨の道のとげを取り、転びそうな石を拾い、地面をならす。本当は一番、まわりのことを考えている。そんなキャラが好き。

「鬼滅の刃 」の登場人物では、断然、時透有一郎だ。有一郎は、主要キャラではなく、天才剣士・時透無一郎の双子の兄で、11歳で弟をかばって亡くなってしまう。口が悪く、死ぬ間際まで弟から誤解されていた。

そんな時透有一郎に、共感しかない。ひとことひとことが、刺さる。涙が出る。「人のために何かしようとして、死んだ人間の言うことなんてあてにならない」「あんな状態になってて、薬草なんかで治るはずないだろ。馬鹿の極みだね」「米も1人で炊けないような奴が剣士になる? 人を助ける? 馬鹿も休み休み言えよ!! 本当にお前は父さんと母さんにそっくりだな!! 楽観的すぎるんだよ」

不器用な母親のこと

自分の母親は、とても不器用な人だった。ヤクルトのフタを親指の爪で開け、そのまま指をつっこみ、5分の1くらいはこぼす。コーラの缶は開けたフタの穴の逆側から飲み、鼻に入ってしまってむせてしまう。おにぎりのラップはいつまでも剥がせず、ごはんがぼろぼろと崩れ落ちる。銀行のATMで現金を引き出したことが無い。立体駐車場で停められないなど。

まず、自分が小学校時代の話から。ある日、蟯虫検査のやり方が間違っていると担任に指摘される。家庭科のお道具箱の注文書、物の名前が分からず注文できない。図工の持ち物「バレン」の意味がわからない。学校で必要だった巾着ぶくろは、ミシンで縫ってあり、ヒモでしばる横の部分と、たての接着部分、どちらを裏返しても、どちらかが裏側になってしまっている。

とにかく、何かを質問して答えてもらった事は無い。なんでも「これで、調べろ」と小学校の入学式で貰った国語辞典を渡された。小学校用だから、高学年からは、知りたいことはほぼ何も載っていなかった。だから、自分で考え、自分でできることは相談しないでなんでもやった。裁縫セットは、自分で「くけ台ひっぱり器」という、到底使わない謎グッズも注文した。

中学2年生のとき、急性虫垂炎になり病院で手術した。手術の数時間前、ベッドのわきに出ていた、針金のような金属が母親のズボンに引っ掛かり、紙のようにビリビリと太ももからひざあたりまで裂けた。そして、着替えるからとそのまま帰宅してしまった。そしてひとりで、不安な気持ちで手術室へと向かった。

何が愛情で、何が愛情でないのか

成人したあとの話。あるとき、近所の人からいただいたお中元を母親はそのまま放置し、台所のすみで腐らせていた。「いらないものは、笑顔で受け取らず、食べないんですと断るほうが優しさだ」とわたしは言った。

また、同居していた祖母は、病気で徐々に指が曲がらなくなり、皿がうまく洗えなくなった。ほかにも加齢による老化で日常生活ができなくなったが、そんな衰えに対してのサポートを両親はしなかった。サポートすることは、本人のためにならないからと話していた。

そしてとうとう、祖母が亡くなる前の、一か月間。両親は急に態度が優しくなった。それは、心を入れ替えたというより、亡くなったあと、誰かに責められることを気にしているような接し方だった。「そんなパジャマの柄や素材、おばあちゃんは嫌いなのにわざわざ買ってきて」「死ぬ間際だけ、優しくするのはおかしい」と、モヤモヤした気持ちが思わず口からこぼれた。

同居していた祖母と両親は、長年いろいろと確執があった。それも分かるが、長年の鬱憤を、サポートの放置という形で昇華させようとしているように見えた。そして亡くなる前もあとも、自己保身が強かった。

親の何が優しさで、何が愛情か、いつも考えた。子どもを大学まで卒業させること?ごはんを朝昼晩食べさせ、洗濯掃除をしてあげること?子どもの親に対する愛情についても考えた。おいしくなくても「おいしい!」って言うこと?嬉しくなくても「ありがとう!」ってお礼を言うこと?

親の愛情とは、子どもを自律・自立させることだと思う。その行為に対して見返りを求めてはいけないと思う。親子のなかでは、それだけが必要なのだと思う。そのために、最低限の生活能力が必要だと思う。そして、まわりの体裁を気にしてはいけないし、自分だけが正しいと思い込んでもいけない。常に考えをマイナーチェンジさせていくことも大切。

大人になってからも両親から「お前は冷たい」「意地悪だ」とたまに言われた。わたしも、有一郎と同じで、冷静にものを見て、バッサリとはっきり言うタイプだ。そしてたぶん、ひとこと多い。それで家族にずっと誤解されているように思う。

目からウロコの「ダニング=クルーガー効果」

母親はよく、「自分はよく頑張った」と言った。そうか。そういう認識か。頑張ったという認識ならそうなのだろう。しかしわたしは「お疲れさま、ありがとう」とは言わなかった。

去年、とあるクイズ番組の解答で「ダニング=クルーガー効果」という言葉を知った。優越の錯覚を生み出す認知バイアスについての言葉で「能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込む」ということらしい。この言葉を知り、胸がすく思いがした。パッと目の前が開けたような気がした。

ただ、親に対して「毒親」という言葉はぴったりこないように思う。謝ってほしいとか、苦しみを分かち合いたいという気持ちも無い。有一郎の両親に対する気持ちと少し似ている。「楽観的すぎるんだよ」と。

で、有一郎の話に戻るよ

時透有一郎は、死ぬ間際にこう言った。「人に優しくできるのも、結局選ばれた人間だけなんだよな」と。そうかな。そこだけは共感しないな。「家族のことを一番に考えていたね」「よく頑張っていたよ」「いつも支えてくれてありがとう」わたしが弟なら、そう言葉をかけてあげたい。有一郎は、とても優しかったよ。

そして、子どもを含め自分の家族には、有一郎のように、誤解されたまま死なないつもりだ。丁寧に会話するし、フォローもしていく。厳しさも称賛も、弱さも、強さも、感謝も、謝罪も、すべて伝えていこうと思う。

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