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忘れ得ぬモラトリアム

最近になって、行きつけのカラオケ店が休業した。再開の目処も立っていないようで、もしかしたらこのまま潰れてしまうかもしれない。中学生の頃サッカーの試合で訪れた有名企業のグランドは今では住宅地となり、高校の時付き合っていた彼女のアパートは既に取り壊されて綺麗な一戸建ての物件が建てられていた。僕が通っていた保育園や小学校も建て直されており、当時の記憶が実存していたものなのかを図ることが難しくなっていた。場所がなくなってしまうということは同時に思い出も失われてしまうようでなんとなく寂しくなる。
夜になると一人でよく散歩に出ていた僕は、そういった街の変化を目にする度に、ちゃんと大人になれるのだろうかと不安になった。

燦々とした太陽の下で、人工芝のゴムチップで黒く汚れたユニフォーム姿のみんなが僕を見ている。汚れた手で涙を拭うから顔まで黒くなっている。

「家に帰れないから泊めてくれ」と言って僕の家の駐車場で笑っている君が少し寂しそうで、家が狭いから僕は何もしてあげられなくて、早く大人になりたいと思った。

家族が嫌いになった日、サッカーボールを抱えて公園へ急ぐ。身体中に流れる汗が清々しくて、すっかり暗くなった公園でこのまま死ねたらなと思った。ずっと誰にも話せないことはあるけれど、誰にも話せないようなことを聞こうとしてくれる人がいてくれて嬉しかった。

月曜の朝だけはいつもより少し多めに睡眠をとることができる。それでも疲れは驚くほどに取れなかった。そんな朝に隣でやかましく喋る君の話を聞いていたり聞いているふりをしたり。しんどい時に無理して笑ったりしなくてもいいと思うけれど、しんどい時に笑っている人は好きだ。

「缶コーヒー飲みたくね」を合図に、ダックジャケットの内ポケットにくしゃくしゃになったhighlightとライターを突っ込み、近所のコンビニまで駆け出す。ただの散歩だというのにきちんとお洒落を怠らない君は黒縁メガネを微かに曇らせて待っている。二十二歳の僕らはくだらないの中にいた。
真冬の夜に缶コーヒが飲みたいという理由だけで散歩に誘ったりしない。

位置情報アプリを見ると近づいてきている君に笑いがとまらない。僕を自転車の後ろに乗せて失恋ソングを歌う君に笑いがとまらない。何故か君を背負って帰っている俄かには信じ難いあの光景に笑いがとまらない。

海の匂いと心地良い波の音を感じながら、君がギターを弾いてと言ってうるさい。僕は拙いストロークで、少し小さい声で歌う。隣で綺麗な声で口づさんでいるのがわかる。僕は少し照れ臭くなって、そっと瞼を閉じ歌った。

一晩中飲んで歌った後に家路を辿ると、次第に空が明るくなっていることに焦る。「こんなんでいいのかな」と僕は溜息をつく。でも、周りで楽しそうに笑っている君たちを見ると「こんなんでもいいかもな」と思ってしまう。


三月が終わる頃には桜が満開に咲いていて、親から「君が生まれたときは桜が本当に綺麗に咲いていたんだ」と言われたのを思い出した。
良かったことも悪かったことも、嬉しかったことも悲しかったことも、あまりに多くのことを覚えていて、想い出が積み重ねっていくのが時折苦しい。けれど春が終われば桜は散って、蝉の大合唱と共に必ず夏がやってくる。街も人も絶えず変化していて、ずっと同じまま存在するわけではない。何かが無くなって何かができたり、誰かがいなくなって誰かが訪れたりする。過去や変化を素直に愛せるようになれたら大人なんだと思う。

小学一年生の時、よく一緒に帰っていたあの子は学年が変わる頃にはどこかに引っ越してしまった。今では名前すらも曖昧だが、元気にしているのだろうか。多分二度と会うことはないのだろうけれど元気に生きていてほしいと思う。




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