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ライター中村洋太さんに学ぶ「この助詞って変ですか?」

A:「このカレー、どうだった?」

B:「味は良かったよ」

なんだか含みがあるような言い方だ。カレーを作った人は間違いなくモヤモヤするだろう。こんなわかりやすいモヤモヤを、自分が生んでいたとは…。

以前、ライター師匠である中村洋太さんから、助詞について指摘を受けた。

「池田さんの文章は、こういうときはこの助詞でしょ?っていうのがズレてるときがあります」

あわわ。こりゃ大変だぞ。この弱点を克服しなければライター生命に関わる!そう思ったわたしは、果てしない「助詞の旅」にでることにした。

コロケーションってなんぞ?

中村さんは「コロケーションから学んでみては?」とおっしゃった。

え?ころけーしょん…?キテレツ大百科?もう一度聞き返した。

collocation(コロケーション)とは、文法用語で、ある単語と単語のよく使われる組み合わせ、自然な語のつながりのこと。

なるほど。初めて知った!

中村さんから「単語と単語の組み合わせがおかしい」と、以前から指摘を受けていた。コロケーションを学べば、助詞のミスマッチも起きにくくなるかもしれない。というわけで、ことばの結びつきをこちらの本で学ぶことにした。

著者の神永暁さんは、日本国語大辞典の元編集長で辞書一筋37年だという。この本では2つ以上の似たようなことばを並べて、その正しさを論じている。例えばこれだ。

「骨をうずめる」と「骨をうめる」/「的を射る」と「的を得る

言われてみたらわからない。ネットで検索すると「どっちが正しいか」という記事がたくさん出てくる。

この本では「昔はこうだったけど、今はこういう認識がされているよ」と、コロケーションの進化する過程を説明しているのがわかりやすい。

前後の文を考えると、「は」よりも「を」

助詞についてネット検索すると「”てにをは”に気を付けよう」という記事が多かった。自分はこれが弱いと思う。

「文章を書くとき、助詞感覚的に使います」
「文章を書くとき、助詞感覚的に使います」

単体で見ればどちらも似たような意味だが、「は」と「を」の違いによってその文が文章全体の中で果たす役割が変わってくる。

どちらでも意味は通じるけれど、前後の文を考えるとこっちではないか?そんなことを考えながら自分の文章とにらめっこするようになった。

「も」を多用する心理

”ウイルスが流行する以前は、少し熱っぽくても体温を計らない方多かったでしょう。”

例えば、この文章だが特に問題がなさそうである。

しかし、「も」は「こんな方もいたよ」という追加のニュアンスとして使われるべきだ。

”ウイルスが流行する以前は、少し熱っぽくても体温を計らない方多かったでしょう。”

「も」を多用する心理を「ライターあるある」と中村さんはおっしゃった。文章を誇張したいという気持ちが多用する原因かもしれない。それ以来、記事を書いたら「Ctrl+F」して、「も」の使い方チェックをするようにしている。

この助詞って変ですか?

助詞は感覚的に養っていくしかないという。自分なりに考えて、調べて、使ってみてを繰り返すしかないのだろう。

どうしても不安なときは、こんなことをしている。

・好きなライターさんの記事を写経してみる。
・「この助詞って変ですか?」と中村さんに聞いてみる。
・友達や家族に読んでもらう。

努力の先に、きっと「読後感の良いわたしの文章」が待っている。そう思って日々取り組んでいる。

(余談:「助詞の旅」へでることにした。/「助詞の旅」にでることにした。どっちがいいんだろう?)

記:池田あゆ里


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