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中田英寿やイチロー。取材から学ぶ小松成美さんのインタビューの極意【イベントレポート 後編】

この記事は、インタビュー特化型ライター養成講座『THE INTERVIEW』、オンライン講義イベントレポートの後編である。

ノンフィクション作家、小松成美さんが著名人に取材された内容をもとに、「インタビューの極意」を学んだ。

イマジネーションを働かせる【中田英寿さん編】

小松さんは、サッカー選手である中田英寿氏に10年間取材を重ねてきた。

「彼は、大人が大嫌いでした。取材した当時は19歳。彼はチームや監督、そしてマスメディアを批判したことで糾弾を受けていたんです。ベテランの記者たちからは『中田のような生意気な選手の取材はしたくない』と言われてしまうほど。

でも、私は生意気だとは思わなかったんです。なぜこんなに強烈で明解に自分の意見を持っているのだろう?と探究心が膨らみました」

小松さんは中田氏の過去の発言を、紙面の小さなコメントまでつぶさに調べたという。そこでひとつの答えを見出した。

「彼は『チームを勝たせたい』という想いが、誰よりも強いのだと思いました。自分のエゴのためではない。チームのためだと。だからこそあえて厳しい意見を発言してきた。それを取材の中で触れると、彼が大きな声で言ったんです」

『そのことを初めて理解したのは、小松成美だ!』

中田氏は頬を紅潮させ、少し涙を浮かべながらこう続けた。

『勝つためにサッカーをしていることを、サッカーを知らない小松さんが理解してくれるのに……。どうしてサッカー関係者は理解してくれないんだ』

「もちろん、当時の彼の言葉は配慮が足りなかったのだと思います。ただ、この燃えたぎる想いを持ってサッカーに打ち込んでいる彼を見たとき、確信したんです。この人が日本をワールドカップまで連れてってくれるって」

つづけて、小松さんはこう語った。

インタビュアーや作家は、相手の心の内や未来を想像する仕事です。このイマジネーションを使うことを許されている。それが本当に楽しいなと、思うんですね」


知らないことを「知らない」と伝える【イチローさん編】

野球選手のイチロー氏に5年間取材したエピソードである。小松さんはサッカー同様、野球の知識がほとんどなかったという。

「彼は、道具を本当に大事にする方です。例えば、バットを決して地面に置かない。滑り止めのスプレー缶の蓋に、バットの取っ手を被せて置いていましたね。こんなに神経質な方が野球をどんなふうに見てるんだろう?と興味を持ちました。

そして、彼は世界で最高のバッターです。観衆が熱狂している4割打者とイチローさんの静かな表情には、どこかギャップがあるように感じていました」

その疑問を解明すべく、小松さんはイチローさんを丁寧に調べた。いざ取材の第一声で、こんな質問をしたという。

「どうしてそんなに、ヒットが打てるんですか?」

これにはイチロー氏も面を喰らったような顔をしたそうだ。数々の取材を受けてきた中で、このような直球の質問は受けたことがなかったのだろう。

「最初はちょっと不機嫌そうで、『そんなこと……考えたこともないです』と言っていました。『でも、どうしても読者に伝えたいから言葉にしてください』と頼むと、3分くらい腕組んで黙ってしまったんです。

皆さんもそうかもしれませんが……沈黙ほど怖いものはないですよね。本当に長く感じました。もしかしたら、もうインタビュー受けたくないというサインなのかなって不安になりました。

すると、『なぜヒットを打てるのか、僕自身もわからないので、今からやってみまーす』と言って、その場で丁寧に実演してくださったのです。そこで彼の細かい準備やルーティーンを見て、彼のヒットの秘訣や観衆とのギャップを知ることができたのです」

この出来事を振り返って小松さんは言う。

「知らないことを『知らない』と伝える。すると、相手自身も『気づかなかった』と面白がり、笑ってくださることがあります。真っ白な気持ちで向き合うことで、得られる言葉があると感じました」


取材相手とは、友だちにならない【YOSHIKIさん編】

ここで、オンライン講義のインタビュアーである宮本恵理子さんが、「小松さんにどうしても聞きたかったことがあるんです」と問いかけた。

「小松さんは『取材相手とは、けして友達にならない』と公言されていますよね。確かな信頼関係を築きながらも、距離感を持つことにこだわる理由はどういったところでしょうか?」

この問いを受け、小松さんは一つのエピソードを語った。ロックバンドX JAPANのリーダー、YOSHIKI氏に取材したときのことだ。

「今ではもうご自身で発言し、そうしたボランティア活動もされていますが、彼は取材の中で『自分は自殺遺児だ』ということを話してくれました。小学校5年生の時、お父様が自殺をしてしまったんです。

大好きなお父様への渇望と同時に、自分や家族を置いていってしまった憤りを、心の中にずっと持っていたんです。それが彼の音楽の根源だった......。彼の書く曲ってラブソングではなく、お父さんを求める少年のものだったんです」

小松さんはその思いをすべて書いた。その原稿を読んだYOSHIKI氏は、「この時期にこれを書いていただき、良かったと思います」と話したそうだ。「そう仰ったけれど、とても大きな稜線を越えなければならなかったと思う」と小松さんは振り返った。

「もし私が彼の親友だったら、過去のことを封印し、ロックスターとしての彼だけを書いていたと思います。私はとても弱い人間なので、一気にそうなっていくでしょう。

取材相手と友達にならない理由は、『その方のすべてを書く』と決めているからなんです。インタビューで得たことを、単にきらめいたストーリーでは決して終わらせない。100年後の読者にも、本当のことを伝えたいと思っています」


インタビュアーには、胆力が必要

オンライン講義も、佳境に入る。

「インタビューには、胆力が必要だと思います。和紙を1枚1枚重ねていくようにしか、人の信頼って紡げないと感じます。なかなか心を開かない人に出会ったとしたら、その方はとても慎重で、自分や相手を大事にしているということです。

その方が大切にしていることに意識を向けてみてください。いつか、伝わる日が来ると思います。拙速に結果を出すことが、必ずしも良い会話ではないんです。相手と向き合うまでに時間を要することを、ぜひ素敵な時間だと思っていただければと思います」

最後に、インタビュアーの宮本さんが問いかける。

「小松さんにとって、インタビューとは?」

小松さんは少しだけ間をおいて、ことばに力を込めた。

「新しい世界に通ずる、私にとっての扉です」

「その扉を開けるたびに自分の知らなかった風景を見て、胸がいっぱいになりますし、活力をいただきます。ひとりの人間として、そこにある真実を大事にしたいですし、人が人を思うイマジネーションを大切にしたい……。その両方を併せ持ち、作品にする。この仕事ができて本当に幸福だなと、感謝しています」

そう語る小松さんは、にっこりと笑顔を見せた。

小松さんのお話は、目が覚めるような驚きの連続だった。景仰と畏怖が混ざり合った気持ちである。

喉が焼けるように熱い、オンライン講義だった。

(記:池田アユリ)

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