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●2022年6月の日記 【下旬】

6月21日(火)

子どもを幼稚園に送り家に戻ったあとのわたしはブルドーザーになって居間を片付ける。ブルドーザーだから実際はモノを隅に寄せているだけだ。そしてすっきりしたテレビ前にヨガマットを敷き、ユーチューブのエクササイズ系チャンネルを見ながら体操する。汗をかくのでシャワーを浴びる。そして仕事があれば行く。これがわたしの平日午前のリズムになりつつある。一定の生活リズムというものを定着させたためしがないのでこれも一時のものになる可能性が高いが、ユーチューブ体操→シャワーのくだりの快感があまりに強烈なために続いていきそうな気もする。快に弱い。

今日は仕事があったので行った。仕事先では嬉しいことを言われた。美術モデルの仕事をはじめて10年以上経つのだが、これくらい続けていると長いことわたしを知ってくれている描き手の方もいる。ひと仕事終えて帰ろうというとき、そんな描き手の一人である白髪の女性に呼び止められて(『もし…』みたいな感じで。気品ある呼び止めかただ)、こう言われた。

「あなた、若いときもきれいだったけれど、なんだかとてもいいモデルになられましたね」

殺し文句だ。噛みしめて生きていきたい日本語だ。
若くてきれいとか、若くていいわねと言ってもらうことは職業上よくあって、そりゃ嬉しいは嬉しいんだけど、そこには「じゃあ若くなくなったらどうなんだ?」という影がつきまとう。今日言われたことはその影を吹き飛ばした。若さをうしなっていく間にも得ようと思えば得られるものがある、みたいな類の希望を持てる言葉だった。わたしはもともとそう信じている人間であるのだが、自分で思っているのと人に言われるのとでは威力が違う。言ってくれたご本人がまた、そのことを体現しているような素敵な年配女性であるので、よけいに響いたのだと思う。

6月23日(木)

子どもの在園時間中に近所のカフェで友人とお茶した。お茶、というかわたしはこの攻撃的ドリンクを飲んだのだが。

すがすがしいほど毒々しいカラーのアイスが好印象! この夏のチョコミントはじめはカフェ・ド・クリエということになった。冷やし中華はまだはじめていない。早急にはじめたい。

友人に紅茶のちょっとしたギフトを持っていって渡したところ、すかさず可愛らしくラッピングされた倍量くらいの紅茶を渡されて恐縮した。ちょっとしたものの応酬って楽しい。女に生まれてよかったなって思うことのひとつだ(女同士しかやらないわけじゃないけど格段にやりやすいとは思う)。

6月24日(金)

仕事に向かう電車で保育関係の本を読んでいた。

この本

おもに子どものいる人向けに、子どもの預け先を選ぶときの観点をかなり詳細に紹介する良書だ。しかしここに出てくる保育施設での乳幼児の死亡事例がきつすぎて目の前がくらくらした。事例は10ほど出てくるが、5件目くらいであまりのつらさに身体がオートで睡眠に入っていきそうになった。子どもと暮らすようになる以前、わたしがこういう情報と出会ったときどう向き合っていたのか、もはや思い出せない。平気だったんだろうけど、どう平気だったんだろう? 出産以前のわたしってときどき別人みたいに感じられる。というか人間、立場が変わると見える景色変わりすぎ。

腹に力を入れて最後まで読み切ったものの、読後感を落ち着かせるためにワンクッション必要だった。ワンクッションすなわち乗り換え駅の大阪王将でハイボールとキムチ。それを経て子どもを迎えに幼稚園に行ったが、マスクはキムチのかぐわしさをどれくらい遮断してくれただろう。

6月25日(土)

朝の起きられなさが学生時代以来でピークに達している。いつまで寝てるのって子どもに言われるしまつ。土曜の朝はスコーンを焼いて…と思い描いていた週末とはほど遠いものになってしまった。

午後、炎天下にもかかわらず吉田が子どもを連れて遊びにきてくれた。落ち着く間もなく外に出たがる子どもらをおやつでごまかし続けながら冷たい茶を飲んで過ごした。だって外35度超えだし。居間のテレビに魔女宅のブルーレイを流した。金曜ロードショーで魔女宅やるたびTwitterでボコボコに叩かれがちな登場人物ことトンボ(わたしのTL上だけか?)を吉田とふたりで擁護した。

トンボどうしてすぐ叩かれてしまうん

同じ叩かれるでも、アシタカがボロクソ言われすぎて荒廃してるTLを見るのは好きだったりする。金ローのジブリ祭り、今年の夏も楽しみ、TL的に。

暗くなってからみんなで近所の公園に行って花火をした。3さいと4さいの子どもが屈んで垂らす線香花火は美しかった。
夏の開会式って感じだったし、閉会式にもやりたいなあと思った。ていうか夏、開会式から閉会式まで長くて閉口しちゃうけど。閉会するする詐欺みたいなのも横行するし。

6月26日(日)

単身、神奈川へ。
母とのヘヴィめの会談をもつため。
駅で落ち合うと、母はデパートのレストラン街に向かおうとしたが、長話になりそうだったので半ば強引に喫茶店に誘導。
前日にカフェイン飲料を飲みすぎたせいでろくな睡眠をとれていないわたしはハーブティーを注文。ポットで出てきてうれしい、わたしのすきな言葉はポットサービス。

父についての話などを聞いた。
子どもを交えずに母と話すのは、よく考えたら、子どもを出産して以来はじめてのことだった。

内容がヘヴィめなだけに心配だった。
母に対して苦手意識を持っていた時期が長かったので、話がまともにできるのか不安だったのだ。
でも普通に平和な会談となった。
母とこれほど落ち着いて話ができるようになったとは…と自分を頼もしく思った。
が、それも母がヘヴィめの出来事で落ち込んでいたせいかもしれない。
彼女が元気だったらこうはいかないのかもしれない。
今くらいのほうがわたしは付き合いやすいな。
元気ではいてほしいけど。

母を頑なに名前で呼ぶわたしの頑迷さは変わりなく、それについても自分が頼もしかった。

別れたあとドッと疲れて、ひとりでいくらか歩きたくなった。
駅の地下街をさまよい、化粧品を買ったことで少し元気を取り戻し、電車に乗ることができた。

6月27日(月)

幼稚園で夏風邪らしきものが流行している。
子どもの学年では5分の2程度の園児が風邪症状で休んでおり、まるで少人数クラスといった様子だ。
わたしの家の子どもに症状はまだ出ていない。「まだ」組の保護者たちも、わたし含め、戦々恐々である。次はうちかな、なんて。

6月28日(火)

未明、眠っている子どもの咳の不穏さにぎょっとして額をさわった。アッツアツだった。
いきなりの高熱。体温計では38度台後半。
幼稚園のクラスメイトたちに出ていると聞いていた症状と重なる。
「ああ、来てしまったか」という感じ。

いつもの時間に起き上がった子どもは自分の出す声が枯れているのが不思議そうだった。
身体の具合の悪さに気持ちがついていっていない、というようすで、いつもそれほど行きたがらない幼稚園にやたらと行きたがっていた。阻止。

仕事関係の各所に電話をかけて今日だけ休みを獲得。明日まで長引いたら夫が有給を取るということで合意。

近所の医院で診てもらえることになった。
診察室での子どもはハツラツとしていて咳も出ずでなんだかハラハラした。不思議なんだけどあるね、この現象。

処方されたシロップを飲んで夕方になるとようやく、気持ちが身体の不調に合わせて沈んだのか、ぐったりと眠った。

6月29日(水)

子どもの熱は下がらず。咳も止まらず。
ゼリーを食べる以外には食欲もなくなってしまった。水分はそれなりに摂ってくれるのが安心材料。

いつだかの休日出勤の代休をとった夫に看病をまかせて仕事に出かけた。
休憩時間、夫に用事があって電話をかけると子どもも電話口に出て、「うどんたべてる」とふわふわした声で言った。
電話越しに話したのははじめてかもしれない。
少し大人びた声に聴こえて一瞬、彼が出たのだとわからなかった。

6月30日(木)

きょうの子どもは平熱で、咳だけケンケン出つづけている。
わたしの仕事は休みだし、天候もえげつない様子だから、引き続き休んでもらうことにした。
38℃との予報を受けて幼稚園も「今日は休んでも欠席にせんよ」という通達を出してきた。
連日の体調不良で疲れているのか、本人も行きたいとは言わず。少し動くとすぐに眠くなってしまうようだ。午前中から昼寝に入ってしまう子どもをずいぶんひさしぶりに見た。午後までよく寝た。小さなからだが回復しようと一生懸命な感じする。

夕方になって涼しく…はなっていなかったが、目覚めた子どものリクエストに応えておもちゃを買いに出た。
出かけた先は駄菓子屋とおもちゃ屋が一体になった街の個人店で、表にはズラッと子ども用自転車が停められていた。店内には、レジに小銭(おもに1円と5円)を積み上げて店員に数えさせている子、地球儀型のグミにテンションが上がりすぎて叫びだす子など、いろいろな児童の悲喜こもごもがあり圧倒された。
わたしたちは小学生の間を縫うように動いて花火、トミカ、折り紙、色鉛筆削り、グミをカゴに集めていった。買おうと思っていたものをぜんぶ買えた。駄菓子も文具も玩具もあるせいで買おうと思っていなかったものまで買ってしまうのがこのハートフルな店の難点だが、今回はうまいこと立ち回れた。満足。

帰る前にコンビニでアイスを買ってふたりで食べた。白くまバーが驚きのスピードで液体に変わっていくのをナナメになって急いで受け止めていると、「こぼしてるよ?いいの?」とクーリッシュの子どもは涼しげに言った。


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