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●2021年8月の日記 【下旬】

8月21日(土)

区内の大きな病院で注射を受けた。このワクチンの接種は今回で2度目。

看護師が「緊張しますか」とわたしに訊いた。「いいえ大丈夫です」と答え終わるときにはもう針が肩に入っていた。わお。

たいへん効率的に、最短時間で、誰の笑顔も見ることなく、今回の接種は終わった。この会場において医師やスタッフの笑顔が排除されていたことにより、わたしは医院や病院でいかに自分がほほえみを向けられることに慣れきっていたかに気がついた。

笑顔は見当たらなかったが、あの「緊張しますか」は親切だった。笑わなくても人は人に親切にできるということ、わたしはわかっていなかった。

帰宅からしばらくして接種した部分が痛くなり、もっとしばらくして体温が上がった。

8月22日(日)

きのう接種したワクチンの副反応で朝から全身の関節が痛く、熱を測ると37.5℃あった。普通につらめの風邪のような症状、しかし副反応とわかっているため、風邪のときほどの心細さはない。あっけらかんとヘバっていた。

子どもがときどきちょっかいを出しにやってきたから布団に寝たまま絵本を読みあげたりした。

とてもおだやかな絵本

3さいの子どもがいま最もはまっている絵本
2年前にプレゼントしてくれた友だちの
先見の明がすごい

夕方には身体の痛みがましになった。夕ごはんは家族と食べた。食べたら痛みがぶり返して早々に床に入った。

8月23日(月)

もやが晴れたようにからだの調子がいい。ベランダの植物に水をやっているとき、もうすこしで「おはよう小鳥さん」とか言い出しかねなかった。土曜日に接種したワクチンの副反応で熱を出したきのう、ちゃんとぶっ倒れて休めたおかげだろう。

わたしが接種したワクチンは現在世界中で流行する疫病に対する一定の免疫を与えてくれるもので、罹患を完全に防ぎはしないものの、罹ったときの重症化をかなりの高確率で防いでくれる。というかなり魅力的なものであるが、接種後の副反応にはかなりの個人差があるらしい。ぶっ倒れるかもしれないから接種できない人もいるだろう。仕事家事育児などをひとりで抱えていて休めない人が「ワクチン?無理無理無理!!!!」となってもまったく不思議ではない。そもそも現時点でワクチン接種の予約を取るには決まった時間にスマホないしはPCにベタァーとはりついている必要があるような状況だ。打ちたくてもかなり「無理!!!!!」だろう。わたしは時間も協力者もあったから打つ気になれたし、打てた。だけどそうでない人がたくさんいて、わたしの住む国はそれをよしとしている。

「おはよう小鳥さん」な気分は霧散した。わたしの心の小鳥は落ちた。

8月24日(火)

仕事の勉強のためにときどき参加させてもらっている絵画教室に出かけた。しかし着いてみたら会場は空っぽ。今日は休みになったらしい。がらんとした部屋の前に立ち尽くした。でかめのスケッチブックを入れた重たいトートバッグが肩からズルっと落ちて漫画みたいだった。

せっかくふだんは来ない街までやってきたのだから、子どもが欲しがっていた鉄道グッズでも買おうと思い立ち、浅草に出た。

目当ての商品は見つけた。が、個人的には売店の奥に重ねられていた「中古のつり革」がものすごく気になってしまった。古い車両から回収されたと思われるつり革。使い込まれた質感のベルト。三角のつり輪(三角でもつり輪?)。衝動的に購入した。これが家にあれば、つり革が気になりはじめたようすの子どもが喜ぶかなと思った。というのが後付けの理由である。じっさいは単にわたしが欲しくてたまらなくなってしまったのだ。わたしの購買衝動はときどきすごく理不尽に襲いかかってくる。

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買ったあと涼みに入った喫茶店の禁煙フロアには他に客がいなかった。店主がコーヒーを淹れている間につり革を取り出してしげしげと眺めた。そのときにはわたしの熱は冷めていて、いったいなぜ……と思っていた。

しかし子どもは想定以上によろこんだ。家の鴨居的なところにS字フックでぶら下げてあるのを見つけると目の色を変え、みじかい手を最大限伸ばしてもちたい、もちたいと泣いた。夫が持ち上げて掴ませてやるとにんまり笑った。自らの欲望のまま衝動買いしただけのわたしは「いい買い物をしたなあ」とたいへん誇らしかった。

8月26日(木)

仕事を2本。移動に費やせる時間がぎりぎりしかなく。乗りたかった電車には乗り遅れ。胃が痛い。午前の仕事先でもらったお土産のキンツバを昼ごはんに。芋は偉大、腹持ちがいい。純和風のカロリーメイト。午後の仕事、たのしい仕事、いくつもの白い箱の隙間や上で6つのポーズ。終わって放心。無印をさまよう。空腹に我にかえりスーパーでヤンニョムチキン。家でビールと共に詰め込む。まもなく子どもが園から帰宅。夫に抱かれてすでに眠っている。布団に降ろされそのまま眠り続けている。ここぞとばかりにわたしは読書。スマホ。

8月27日(金)

子どもと風呂に入っていたとき、ほくろの話になった。わたしのほくろに興味しんしんで、「ぼくにはほくろないの?」という。そういえば見かけたことないねえ。小さい子にはまだないのかもしれない…。でもふたりでよく探してみたら、あった。子どものひざにはじめてのほくろ。いつのまに生まれていたんだろう? 色が薄くて小さくて、ほくろの赤ちゃんといったかんじ。「かわいいねえ、ほくろまでかわいいねえ」。湯船の中でふたり手に手をとりあって、しばらくほくろを見つめていた。
風呂から上がった子どもはさっそく父親にも「ぼくのかわいいほくろ」を紹介していた。みんなで感動を共有した。きょうはぼくらのほくろ記念日。

8月28日(土)

新宿区へ。夕方から仕事があった。新大久保の駅から仕事先まで歩道が混んでいてまるでお祭りの境内みたいにのろのろと進まなかった。週末のこのあたりはこんなにも盛況なのだなあと面食らった。あんまり進まないので気が急いたが、会場には早すぎるくらいの時間に着いた。

仕事が終わったあとはふらふらと、いくらか人がまばらになった夜の街を駅に向かって歩きがてら、韓国製の顔パックをいくつか買った。店ではアバターみたいに美しくて灰の髪色をした店員がテスターのクリームを試させてくれた。話題のシカクリーム。

クリームを試した手の甲は家に帰って手を洗うときヌルリとすべった。買ってもよかったな、と思った。

8月29日(日)

わたしのすきな公園、秋ヶ瀬公園に子どもを連れて出かけた。

埼玉県の大きな公園で、敷地内には野鳥の森とかもある。エリアによっては他の人間を見ることがない。ひとときマスクを外して木のあるところを歩けるだけで天国のように感じられる。

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しかし、人間が少ない場所では人間以外が覇権を握る。この季節は虫。連れの3さいの都会っ子は、思えば、これほど虫が幅をきかせるところに足を踏み入れるのははじめてだった。耳もとに「プーン」とくるたびに棒立ちで泣いてしまう。助けてくれー!とさけんで。うーん、たしかに、わたしも初心にかえって新鮮な気持ちで「プーン」されてみると、これは恐ろしいかもな。と思った。抱きかかえて子どもの耳をふさいでやり、自分も頭をぶんぶん振るいながらダッシュで森の区域を抜けた。

遊具のあるゾーンは虫が少なく、楽しめていたものの、次にくるのは虫の勢力がもう少し弱まる季節がよさそうだ。晩秋?

すきな公園に付き合ってもらった礼にと、子どもが食べたがっていたかき氷を駅ビルでごちそうしたがあっという間に飽き、けっきょく山盛りのほとんどをわたしが食べた。手足がキンキンに冷えきった。ぬくい子どもをありがたく抱きしめながらの帰宅となった。

晩ごはんのおかずにはリクエストしていた「ささみの料理」を夫が作ってくれていた。夏ばてのおなかにさっぱりとしたお肉がうれしい。トマトとおくらのおみそ汁もおいしかった。

8月30日(月)

整骨院の帰りにふらりとスーパーに入り野菜を見ていた。野菜の陳列がうつくしいスーパーである。気持ちよくゴロ寝しているような野菜どもを眺めるうちなぜか強烈に「きゅうりとハムの入った春雨サラダ」を食べたくなり、買った材料をかかえて帰宅即、作って食べて、じーんとして、つくづく、自分の「いまあれ食べたい」を満たすためにする調理がいちばんすきであるなあと思った。すきだし大体それしかしていない。我は家庭における主な調理担当員、しかし、萌えのない料理はしないのだ。

8月31日(火)

子どもと同じ幼稚園に在籍する子と、その保護者と、はじめて幼稚園の外で待ち合わせて会った。子どもたちがおもちゃ売り場やアイスクリームやゲームコーナーに興じるあいだ、おとな同士もけっこう盛り上がって話したのだが、お互いにずっと敬語なのがわたしには心地よかった。1年とかかけてじわじわほぐれていくくらいでちょうどいい。

子どもの社会生活がきっかけで知り合った大人と仲良くなるのははじめてのことで、これ、出会わせてもらっている感がすごい。わたしの力ではきっと知り合えなかった人だ。同じスーパーですれ違ったりしながらも、言葉を交わすこともない人同士だったろう。

今度は子どもたちが園にいるあいだにお茶しましょう、と言いあって別れた。子どもたちもわたしたちもたくさん手を振った。

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