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白だし、登板

買い込んだ夏野菜をたすたすたすたす切っていく。午前中に台所に立つのは気持ちがいい。ビールもやりながら、といきたいところをきょうは体調がマズいのでやめておく。かわりにアイスコーヒーがいつの間にか常温に戻っていたやつをちびちびやる。ちびちび。たすたすたす。ちびちび。たすたすたす。しずかな集中。もたついたリズムにのせて。心のまわり、水垢みたいにこびりついた疲れが洗われる。

背後にもしずかな集中の気配を感じて振りかえると子どもが線路を組んでいる。眉間にしわをよせてなにごとかつぶやきながらああでもないこうでもないと創造、破壊、破壊、創造をおこなっている。いつもながらひとりで集中してあそべるのは頼もしいことだ。感心してまな板にもどる。夏野菜の山。色あざやかな顔ぶれ。トマト缶と煮てラタトゥイユにするつもりだ。温めたたっぷりのオリーブオイルとにんにくのところにまずはみんなを合流させてしわしわ言いだすのを心地よく耳に入れつつスマホをひらいてレシピを見る。えっ、白だし? 白だしで味つけするの? ラタトゥイユを? ローリエと?

まったくここのレシピサイトはいつも私を驚かせてくれる。でも悪いようにされたことは一度もない。今日もいっちょ乗っかるか。腹をきめたところで子どもから混乱の声があがる。びっくりして振り向くとマスキングテープを4メートルくらい引きのばして絡まっている子どもの姿があり、私も「うわあーーっ」と叫び声をあげて現場にかけつける、ところであれ? と思う。別に大したことは起きていないのでは。子どもと暮らしていると何が大したことで何が大したことないことなのかしょっちゅうわからなくなる。おもちゃの車が一台見つからないとか水をこぼしたとかいっては子どもといっしょに大さわぎしてしまう。これまでの2年半でほんとうに「うわあーーっ」て声を出すに値したの、子どもが私の手をふりほどいて車道に飛びだしてしまったときくらいかもしれない。そういうときに限って叫び声は出なくて一瞬ぼーっとしたりして。次点は公園で目をはなしたすきに水たまりで全身泥まみれになっていたときで、あのときはすっごい自然に「なんてこったーー!」って大声出た。アメリカ人ならこういうときにOh my God ! 出るんだと思ったね。まあ大したことか大したことじゃないかっていわれたら大したことないんだけど、洗えばいいだけだし。わかっているけどまいにち叫んでしまう。1日にクライマックスが何度もある。私はぜんぜん大人じゃなくて依然子どもなんだと露呈するような日々。

子どもは一度集中が途切れたらひとりで遊ぶモードでなくなったみたいで私の脚にからみついている。からみつかれたままでいよいよフライパンに白だしを投入する。大さじ3? へえ、けっこういくなあ。ひとさじ入れるごとに足もとから「なんかたべるー」と要求が届く、その声はくりかえされるたび悲壮な絶叫に近づいていく。ここにもクライマックス。うん、いいよ、あと煮るだけだから。白だしむきだしの香りを発するラタトゥイユのフライパンに不安をおぼえつつ蓋をかけ、子どものために菓子箱をあさる。あさるうちに私も欲しくなったからサッポロポテトをいっしょに食べる。YouTubeで鈴川絢子さんの動画を観る。

子どもは鈴川絢子さんを「鈴おかーさん」と呼ぶ。すずかわさんのつもりかお母さんなのかは不明だ。この子はいろんな女性をお母さんと呼ぶ、形容詞のあるなしで私と他の女性の区別をつけている。テレビに映るヨガインストラクターは「やあらかいおかあさん」、浅田真央さんは「かっこいいおかあさん」、じゃあ私は? ときくと「おかあさん」。だから鈴お母さんも普通にありえる。

そうこうしているうちにコンロからただようかほりはトマトおでんのそれからラタトゥイユのそれにきちんと変化をとげていた。味もどういうわけだかラタトゥイユ。子どもももりもりよく食べる。夜には冷やして食べるつもりだ。

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