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●2022年9月の日記 【上旬】

9月1日(木)

8月は例年仕事が少ないとはいえ、それにしてもだよという水準で無風の8月がようやく終わった。終わってくれた。仕事がなければ報酬がないわたしは仕事のあることをとても愛している。9月の始まった今日、さっそく今月1本目の仕事に嬉々として出陣してきた。ら、久々の現場にふさわしくなかなかハードだった。わたしの仕事は美術モデルであるが今日指定されたポーズはかなりきつめのポーズで、台の上に立ちながら身体の内部からキシキシと音が聞こえてきた。そこで姿勢を静止させる。痛みを迎えにいくような作業。ああわたし生きていると思った。お久しぶりですパイセン、“生の実感"パイセン〜!

午後には子どもとおかしのまちおかに出かけて親子ともども「何を買ったらいいかわからん」状態に陥った。まちおかは見るときどきで店内に並ぶ菓子がかなり変動するので、前に買ってよかった商品を買いに行ったらことごとく無いということもざらにある。今日はそのパターンのまちおかだった。子どもの狙っていたキャンディ入りのポケモンボールは売り切れ、わたしが目当てにしていた激辛ワサビおかきも置いておらず。しかしわざわざまちおかだけに出かけてきて手ぶらで帰るわけにもいかないので(そんなことはない)おのおの、欲しいかな〜。欲しいといえば欲しいかな〜。というものをしぼり出してカゴに入れていった。買ってみればなかなか良い菓子ストックができあがっていた。今日のまちおか活動もなんだかんだで及第点。まちおからぶ。

9月2日(金)

子どもが通う幼稚園の始園式に出席した。ついに2学期が始まった。「ついに」っていうのは完全に保護者側の実感。子ども時代には思いもしなかったけど、むしろ逆の感想だったけど、夏休みって長い。

会場から出ると雨が止んでいた。子どもと協議の上、昼はかっぱ寿司で食べることにした。2学期もよろしくねの寿司パーティ。

パーティしているうちに外はどしゃぶりになっていた。南無三。帰りは自転車だ。
子ども乗せはレインカバーで覆い、わたしはレインポンチョを着た。わたしの薄くて軽いファッショナブルなレインポンチョは水がすぐに浸みる。袖が腕にはりついてひたひたする。視界不良による事故やスリップを恐れたのろのろ運転でマンション下にたどり着いたときには“レインポンチョ改め濡れた布“を身にまとっている状態だった。

9月3日(土)

夫が子どもを連れて子どもの祖父母の家に出かけていった。泊まりである。
かくしてわたしは4年半前に出産して以来はじめてひとりの自宅で夜を過ごすことになったのだ。
ここまで長かった。逆パターンはだいぶあった。わたしは子どもとふたりで軽率に遠出するから夫が家でひとりになることはざらだった。自分で出かけておいて何だけど、夫のその状態については「うらやましいぜ」といつも思っていた。ついにわたしの番がきた。もう、1週間前からうきうきしっぱなしだった。

昼過ぎに夫と子どもは出かけて行った。

今夜は誰も帰ってこないのだ。閉まったドアの内側を眺めてじーんとした。何をしてやろうかと思った。パーティだ!なんてツイートもした。最高の気分だった。
その実やったことといえば専ら洗濯と家の掃除だった。洗濯機3回転。ごみとごみでないものを仕分け、床やら台やら便座を重曹やらクエン酸やらで拭いた。
楽しかった。わたしこれがやりたかったんだ?と思った。一晩だれも帰ってこない家で時間に追われずダラダラとものを片付けることが真っ先にやりたいことだった。
掃除の合間、処分する不用品を探していて見つけたシャボン液を持ってベランダに出た。尽きるまで何度も何度もスティックを液にひたして吹きつづけた。空には明るい雲とそれに薄く隠れた太陽が光のフリルを作り出していて、わたしの小さなシャボン玉のマーブル色がゆったりとらせんに舞いあがるところは、夢の光景をみているみたいだった。泣き出してしまいそうな時間だった。

15分も吹き続けたころ、隣室のベランダから男の人が誰かに「どうしてこんなに飛んでくるんだろうね」と話す声が聞こえてようやくハッとして逃げ込むように室内に戻った。

それから長く長く、炭酸のタブレットを入れた風呂に入り、村上春樹のまだ読んでいなかった本を読んでふやけさせた。

濡れた髪にオイルをぬりこんでいるときに父のスマホを借りた子どもからの着信があった。LINE電話。レンズに近づきすぎる子どものおさまりきらない顔をみてなごんだ。あちらも風呂上がりのようだった。

通話を終えて夜の外に出た。濡れたままの髪を夜風になじませがてらなじみの揚げ物屋に行ってアジフライとからあげを買ってきた。夫がストックしていたビールを開けて、きれいになった居間のおひさまの匂いがするじゅうたんの上で飲み食いした。

寝るのがもったいなかったけど1時には寝た。あした目が覚めたらとなりに子どもがいなくてびっくりするだろうな、と思いながら。

9月4日(月)

ひとりの家で目が覚めた。
子どもが部屋にいないことよりも、寝覚め早々気持ちが悪いのにびっくりした。ひとりで好きな時間に寝て朝はスッと爽快に目覚めるはずだったのに。
昨晩飲んだビールは1本だけだが、飲んだ直後にYouTubeの体操チャンネルに従って筋トレをはりきってやったのがマズかったのか。多分そうだよアカリちゃん。

気持ち悪さを吹き飛ばそうと今日の仕事先には自転車で行くことにした。上野。シュッとした自転車で飛ばしても30分以上はかかる距離があるので運動としてはちょうどよい。
車道の端を駆けぬけるだけだからとマスクをすっかり外して走行していたが、これがよくなかった。10分も走ったころには目と鼻と喉の奥がシャバシャバになり、くしゃみと咳が出て止まらず、息がうまくできないほどになった。わけがわからない。よく晴れた外を気持ちよく走り抜けていただけなのにどうしてこんなことに…と空をあおいだときにひらめいた。これ、何らかの花粉症じゃん。
以降マスク着用でほんの少し症状が落ち着いた。水筒の水を飲み飲みだましだまし上野に到着した。
そんなわけで不調を吹き飛ばすどころか不調に拍車がかかった状態で仕事をしてしまった。昼休みに近くの焼肉屋でスンドゥブチゲを食べることで小回復を果たしたので午後はそれなりに良いコンディションまで持っていけたと思う。(自己評価)
スンドゥブチゲという料理は最後までしつこいくらいにアツアツなので、熱いわ!と思いながら食べているうちにどんなときでも元気が出てくるのがよいなあと思っている。(スンドゥブチゲ賛美)

家に帰って玄関に立ったとき、間仕切りの向こうから子どもがでんでんでん!と駆ける音が迫ってきたのがたいそうよかった。祖父母の家に泊まってきた子どもと夫は乗り物の博物館に寄って帰ってきたところだった。ふたりとも「楽しかった」と言っていた。なによりだし、しめしめだ。どんどん行くといいと思う。

9月5日(月)

友だちとコーヒー屋さんでランチ。彼女にはわたしの子どもと同じ年ごろの子どもがいて、わたしたちがわたしたちだけでランチできるようになったのはつい最近のことだ。かみしめる。
アルコールもいきたいねとなってきゃっきゃしながらかんきつのビールとおつまみを頼んだ。

キャラメル色のチーズが美味しすぎてもんぜつしたり絶句したり。ノルウェーの国民食だと店員さんが説明してくれた。あとで調べたらカルディにも同種のものが売っているらしく、近々カルディに走らねばならない。美味いチーズは人を駆り立てる。チーズは魔。

飛ぶように時間が過ぎた。時間の流れって少しも均一じゃないじゃんってこういうときいつも思う。

9月6日(火)

仕事終わりに行きつけの古着屋で服を3着買った。中には冷静に考えてみたらわたしこんなん着ないべという服(具体的にはビスチェ)もあったが、美術モデルをなりわいにしているわたしには「仕事で使うからいいんだも〜ん」という強力ないいわけの持ち合わせがある。実際、衣装として重宝している服(普段は着ない)もいくつかあるだけに、このいいわけがやめられない。手放せない服は増える一方だ。

子どもを幼稚園に迎えに行ったときにはすっかり夜の空で、着実に季節が進んでいるのを感じた。お腹をすかせたわたしと子どもが安定で「このままぎょうざを食べにいこう」と盛り上がっていると、同じ時間にクラスメイトの姉妹を迎えにきた女の人が「えーわたしたちも行こっかなー」と言った。同じぎょうざ屋の常連らしい。子ども3人おとな2人で店に行くことになり、普段子どもとふたりきりに慣れているわたしは、これってパーティじゃん!とうれしくなってしまった。注文用のタブレットですかさずグラスビールをタップする彼女を見てもっとうれしくなった(わたしも飲んだ)。

ちょっと酔っ払っていたから帰り道の夜風は身体をいたわってくれているみたいにやさしかった。まんぷくの子どもは家に着くなり眠ってしまった。もうしばらく絵本を読んであげられていない。

9月7日(水)

いつも決まった薬局で薬を処方してもらっている。どこの医院で処方箋をもらってもそこの窓口に持っていく。その薬局は空いているところがいいし、薬剤師がいつもごきげんなのも好ましくて、行きつけにしている。今日の処方箋を見た薬剤師はにこにこ顔で「おや、今日はアレルギーっぽい感じですねー?採血されたような形跡もありますし…」とばんそうこうつきのわたしの腕にも目をやって言った。この人、処方占いを楽しんでるな?と思ったが、わたしもオーバーなくらいに「その通りですー!最近花粉症っぽくて。今日は抗体検査でした」と返す。薬剤師と患者。カウンターごしの形式美を今日も気持ちよく決められた。快感である。

医療機関をたずねるときのわたしは、この手の形式美に囚われるあまり、本当に訊きたいことを訊けないまま帰ってきてしまっているじゃあないか!とあとで気づくことが多いので、実際は気持ちよくなっている場合ではない。しっかりしろである。

9月8日(木)

今シーズン初のりんごをむいて朝の食卓に出した。生協できのう届いた「徳用・ふぞろいりんご」のひとつだ。あっという間に食べ尽くした子どもが「もっとほしい。次はやきりんごにしてほしい」と具体的な要望を出してきて、朝は常に時間に追われているわたしは大急ぎでスライスしたりんごに「レンチンで許してくれ!」と叫びながら砂糖をぶっかけ、レンジでチンした。煮りんごになってしまった(そりゃあそうか)。子どもは疑わしそうに煮りんごを見ていたが、「(味は)けっこうやきりんご」と最終的には納得して食べ終えると元気に登園していった。彼はおとなに要望を出して叶えられるのが好きだし、わたしもきっとそうだったと思う。これまでに彼に要望されて曲がりなりにも叶えてやれたリストは、叶えてやれなかったリストにくらべてとても短いように思えて、わたしはわたしをバッドな母に感じる。今朝はりんごひとつ分だけ罪悪感を縮めることができた。

9月9日(金)

夜、子どもが寝静まった寝室の隅でひとりiPadを光らせてドラマ鑑賞をした。『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』。

1話か2話だけサクッと観て寝るつもりだった。しかし今をときめく面白ドラマ相手にそんな芸当できるはずもなく、iPadを閉じることができたのは午前3時を過ぎたころだった。それも耳に突っ込みっぱなしだったイヤホンの充電が切れてようやく諦めがついただけのことだ。
面白韓国ドラマに慣れていないウブなわたしには刺激が強すぎた。『ウ・ヨンウ弁護士』。もちろん明日の夜も観る。

9月10日(土)

夕方、自転車をこぎたいという子どもに付き合って外に出た。子どもの自転車が近くの公園に向かっていくのを大股歩きで追いかけた。ちょうど町内放送で夕方ソングが流れ終わったくらいの時間だったから、公園はガランとして他の子どもはいなかった。
公園にはトイレがひとつある。いろいろな会社の営業車がここに横づけしたかと思うと、降りてきた男性が遊具で遊んでいるわれわれめがけて走ってくるのに、この公園に不慣れだったはじめのころはびっくりした。彼らは用を済ませるとあわただしく車に戻っていく。わたしはベンチに腰かけて、見るともなしにそれを見ていた。今日は、佐川、東京ガス。

辺りが暗くなったのを見て子どもが自主的に、そろそろ帰ると言いだした。さっさと自転車を走らせて坂を下っていくのを、思わず走って追った。

わたしが夕飯にモロヘイヤのスープを作る間に子どもは眠ってしまった。
モロヘイヤのスープはわたしと夫で飲んだ。このスープはスープオブザイヤーを受賞した(夫の)。

このレシピで何度も作っています
おいしいのでぜひね

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