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●2020年12月の日記 【下旬】

12月21日(月)

きょう仕事にいくために新幹線に乗ったことを、子どもには言わずにいる。なんだか悪くて。子どもは新幹線がすきなのだ。そうはいっても乗ったのはひと駅ぶんだけで、20分くらい。でもちゃんと駅弁はたべた。深川めし。コートは着たまま。

900円のほうの深川めし。おいしい
(深川めしは2種類あるらしい)

遠くに行くのはやっぱりすきだ。日帰りでも。山の見えない土地に暮らしているから、車窓から山がみえるだけでうれしくなる。

帰路は鈍行にした。とても時間がかかった。西陽が落ちて空が夕焼けに染まり、夜がくるまでをずっと見ていた。外が暗くなってからちょっと寝た。電車を降りたらちゃんと夜だった。ゆずを買って帰ろうとして忘れた。冬至。

12月22日(火)

仕事帰りに新宿伊勢丹でクリスマスツリーを買った。伊勢丹で買ったとはいってもたいそうなツリーではなく高さ40cmの小さなツリーだ。わたしが探し求めていたツリー、身の丈(家の丈)に合ったツリー。見つけられてとてもうれしい。
売場にディスプレイされたツリーをみて(これだ!!)とひっつかんだしゅんかん販売員のひとと目が合い弱気になり、思わず「…すみません、これ、買いたいんですけど持っていっていいのですか…?」と訊いてしまった。伊勢丹に不慣れ。というかデパートに。販売員さんは「いいんです!いいんです!」と力強くこたえ、それから買い物カゴにそっとツリーを横たえて渡してもくれた。やさしい。
小さなツリーにおあつらえむけの小さな小さなオーナメントも買って、いざ尋常にクリスマスである。

なぜこんなにはりきっているのかといえば、2さいの子どもがクリスマスツリーに興味津々なのだ。保育園でツリーのかざりつけをしたのが楽しかったらしい。街の各所でクリスマスツリーを見かけては目を輝かせている。2さいだから今年はまだぼんやりとクリスマスを迎えるのかと思っていたらツリーのてっぺんに星をかざることも知っているし、サンタさんというひとがなにやらプレゼントをくれるらしいという知識もあるのだった。どうやら今回がかれにとってはじめての意識して迎えるクリスマスになりそうだ、ということで、がぜんはりきっているのだ。わたしも夫も。

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家に帰ってかざりつけを頼んだところ、たいへん真剣に取り組んでくれた。イブまでに電飾も買おう。たのしくなってきた。

12月23日(水)

昼にひとりで銭湯に行った。わたしは交互浴に取り憑かれているので水風呂はマストだ。できれば熱めの湯もあるといい。幸い、どちらも揃った銭湯が自転車圏内にあるのだ。水風呂は10℃台で、「高温風呂」と札のついた浴槽もある。そのうえいつ行っても空いているのだから最高だ。下町ばんざい。

交互浴は熱めの風呂→水風呂→熱めの風呂→水風呂を繰り返すのだが、何度やっても初回の水風呂でぷりぷり怒ってしまう。望んで浸かりに来たくせに「何が悲しくてこんな冷たい水に身を浸さないといけないの…なんなんだよあいつ…あのヨッピーとかいうやつ。なにが交互浴だよ、なにが銭湯神だよ」とヨッピーさんに八つ当たりまでしてしまう。ところが2巡目の水風呂では必ず「よ、ヨッピー様!!!」となるからすごい。3巡目以降は水風呂こそが気持ちよく、水風呂に入るために熱い風呂に入るという感じになっていく。水風呂に浸かると、今まで息なんかろくにしてこなかったんじゃないかと思うくらい呼吸が通る。肺がどこにあるのかわかる、ほかの内臓も息を吹き返す。皮膚の表面にぽうっと熱がともり、そのあたたかさは自分から出てきたものだ。わたし生きてる、と思う。大げさでなく。生きてるんだか死んでるんだかわからなくなったら銭湯に行って交互浴をする。ヨッピーさんに勝手にキレて勝手に感謝し直すルーチンも、わたしに生きる力を灯してくれる。

12月24日(木)

今年たくさん遊んだ友だち親子と2020年遊び納めってことでにぎやかな商店街を練り歩いてクレープを食べたりした。友だちの子どもはわたしが買ったしょっぱいクレープを気に入った。ひとくち大にちぎって適宜あげるのが楽しかった。自分の子どもとはけっこう本気で取りあいをしてしまうのに不思議なものだ。まああの子、容赦なく食べるからな。

家に帰るとツリー用に注文した電飾が届いていた。明かりがともると格段にいい。子どもの反応はオーナメントを飾ったときほど強くはなかったものの、家族の評判も上々だ。

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明日25日の朝おきたらこのツリーの根もとにプレゼントが積まれている、というアメリカ式(?)クリスマスの朝でいこうと思っている。根もとも何も、ツリー、40cmなんだけど。プレゼントの箱のがでかいんだけど。埋もれちゃう。でもそこは夫がうまいことやってくれそうだ。セッティングを依頼して、わたしと子どもは先に寝室にきた。明日の朝起きてツリーのあるリビングに出た子どもはさいしょに何を言うのだろう。プレゼントを心待ちにしている子どもたちと同じくらい、わたしも明日が楽しみだ。

12月25日(金)

クリスマスの朝の子どもらしく2さいの子がすっくと起きあがった。6時台、まだ外は薄暗く、夫がリビングの中央に設置してくれたクリスマスツリーの電飾がいい具合にたくさんのプレゼントを照らしていた。わたし、夫、そして各所から寄せられたプレゼント。
「サンタさんからプレゼントがとどいたみたい」
と子どもは言って、包みを抱えてはそわそわと、ひとつひとつわたしの足元に運んできた。包みを開けてくれということだろうが、プレゼントに囲まれてちょっとしたツリーの気分だ。
子どもがよろこぶ現場を目撃できないのはかわいそうなので夫も起こして開封の儀。
鉄道図鑑(わたし)、でかいレゴ(夫。今回の目玉)、ねじまわしあそびセット(子どもの祖父母)、絵本(〃)、トミカ(〃)など。すべての箱が開け放たれて子どもが試しに次から次へ遊び散らかすおもちゃの転がる混沌のリビングはいかにもクリスマスで、われわれ家族もクリスマスをするようになったのだなあと思ってじんとした。

12月26日(土)

午前中、夫が子どもを公園に連れだしてくれたから、今のうちにとはりきって家の整とん・掃除に着手して30分。ふと我にかえって自分のいるところを見回すとそこには掃除をはじめる前よりも散らかった空間がひろがっていた。呆然。いや、ちょっと大がかりな片づけには必ずこの段階がある(よね?)。コンマリでもクローゼットの中身ぜんぶベッドの上に出すみたいな段階あるし、あれみたいなことだとおもう(2話しかみてないコンマリを引き合いに出しちゃう)。一度こうなるのは仕方ないとわかっていても、バラバラのおもちゃや書類やら段ボールに囲まれてなんでさっきより散らかっているんだ意味わからんもうぜんぶ投げだしたいという衝動にかられた。しかしここで投げだせばわたしはただの部屋を散らかした人だ。踏みとどまってひとつひとつ作業をすすめ、ふたりが帰ってくるころにはなんとか「掃除をはじめる前よりちょっときれいな部屋」にまで整えることができた。うーん。

12月27日(日)

きのう片づけた部屋、今日には片づける前と同じくらい散らかっていてわーおだった。クリスマスの新入りのおもちゃで子どもがダイナミックに楽しんでいるからだろうし、あと年末の休暇に入って家族の3人が3人、家にいるからでもある。べたべたの床、トミカの駐車場と化したテーブル、どこからか食べかすが湧いてくる魔法のカーペット。2さいの子どもと暮らす家で常に整った環境はむりだからきっぱり諦めたらいい。わかっているのだが、わたしは散らかった部屋にいるとひどく混乱してしまう。そのくせ片づけが大の苦手ときている。難儀な人生だ。難儀だなーと困っているうちに日中が終わってしょうもなかった。

12月28日(月)

夫と子どもが風邪をひく。ふたりとも咳だけで熱はないからPCR検査を受けることにはならず。近ごろは&この地域では、熱があるとわりとすぐに検査となるらしい。念のためPCR検査も受けられる医院で受診してきた夫が言っていた。子どもはわたしが小児科に連れていき診てもらった。心配なさそうとのこと。液体のくすりを処方された。ヨーグルトコーラの味だって。とろっとしていておいしそう。おかわりを要求された。断ったらちょっと泣いていた。きほん的に元気そうでなによりだ。

12月29日(火)

年末から元旦にかけて夫の両親の家に泊まりにいく約束をしていたのだが、夫と子どもが風邪をひいていて特に夫は咳がよく出るからこれはあかんということで今回の帰省は取りやめにした。夫の両親の家で年を越すのは6年前の結婚以来(なんなら結婚前からだったかも)恒例だったものだから行かないとなるとちょっと気が抜けてしまう。夫の実家で快適にもてなされつつ、でもアウェーだから緊張感をもって過ごすのは、わたしにとって新しい年にスイッチするための必要な行事になっていたらしい。必要不可欠というわけではないけれど、好きだったみたい。とくに子どもと行くようになってからは子どもも楽しそうだし。祖父母にかわいがってもらう子どもを見るのはうれしいし。行けなくて残念だが、夫の両親宅はとなりの県にある。みんな元気になったら日帰りで会いにいこうとおもう。
ちなみにわたしの両親宅もとなりの県にあるのだが、母は大きな医療機関に勤めている。ふだんから新型コロナウイルス感染症の近くに身をおいてふんばっている医療関係者のひとりだ。「すごく会いたいが今回は遠慮させてもらう」とのことで、年始に顔を出さないことはあらかじめ決まっていた。

すっかり出かける予定がなくなって、これはもう腹をくくって家でだらだら過ごす正月を楽しみたい…が、早くも子どもの風邪は治りかけていて、元気がありあまっている。家に閉じこめていたら家がこわれそう。どうしたものか。

12月30日(水)

予定のない年末年始に退屈しきってどこかに出かけたくて仕方ないわたしと、風邪の症状がなくなり元気をもてあました子どもとで、年末の空いた電車にのって街へ出かけた。まだダウンしたままの夫は家で留守番。スタートラインでは子どもと同じ症状だったのに、大人はなかなか治らない。悲しいね。

おもちゃ屋を見てまわったり、パスタを食べたり、庭園をさんぽしたり、休日らしく過ごした。子どもがヨギボーとかいう巨大なクッションの店にはまって大変だった。店には展示品がたくさん並べられていて、

子どもはそれらを片っ端から試し、座ってはすべり、座ってはすべりをえんえんくり返して、もう買わないと帰れないかと思った。いや、わたしだってちょっとは買いたかったけど(座ったら気持ちよかった)、よほど部屋が広くないと置けないよ。これは。

ショッピングモールの前には大きな広場があって、帰る前、そこで子どもと遊んだ。まだ日は明るく、車の入ってこない広場で思うぞんぶん走り回る子どもはいかにも楽しそうだった。よかったなあと微笑ましく追いかけていた矢先、かれは派手に転んで怪我をした。不幸にも、下は芝生ではなくコンクリート。打ったところを見るとくちびるが切れて血が出ていた。
「べちーん!」としかいいようのない音をたててのあまりの転びっぷりに通りかかった人々も仰天し、次々と助けを申し出てくれた。
おしりふきを出してくれるよその子のお父さん、ビニール袋を差し出してくれる男性、お土産品から引き抜いた保冷剤を渡してくれるよその子のお母さん(おみやげ品、大丈夫だったかな…)。病院の場所を知らせてくれる人もいたし、「おかあさんもびっくりしちゃったよねえ」と同情してくれる人もいた。やさしさに取り囲まれて、おかげで取り乱さずにすんだ。
痛みと驚きに泣き叫ぶ子どもを抱いて、タオルで口もとを血が止まるまで押さえていた(すぐに止まった)。タオルの隙間から見えたくちびるは痛々しく腫れ上がっていた。
しかし抱いているうちに子どもは少し立ち直ったのか、トミカをにぎらせてくれと身振りで要求するまでに調子が戻った。
救急病院に駆け込むほどではなさそうと判断して、帰りの電車に乗った。子どもはほどなく、自分でタオルを口にあてたまま眠ってしまった。まつ毛が濡れていた。

最高に楽しんでいるとき痛い目にあうなんて、本当にかわいそうだ。わたしにも覚えがあるだけに、心から同情した。

家に帰りついてからもくちびるを気にして口数が少なく、食べものや飲み物も受けつけなかった。好きなお菓子もジュースもだめ。夫は「こんなこの子ははじめて見るよ…」と言っていた。わたしもだ。
布団の上で頭をなでているとやがて疲れたように眠った。朝まで注意して様子をみるつもりだ。#8000に電話をかけていざというとき駆け込める病院を教えてもらってあるから少しは安心だ。

#8000の人はいつも安定感がある。
たすかる。

12月31日(金)

きのう、怪我をしたくちびるの痛さから水分を摂ろうとしなかった子どもだが、けさ未明にはやはりのどがかわいたのか起きあがり、水を口もとに運んでやると半分寝たまま飲んだ。ひと安心だ。脱水がいちばん怖かった。

朝がくると開口一番「ジュースものめるね」と言った。あげてみると実際、ストローで飲めたのでほっとした。

きょうは大晦日だが診療をしてくれる医院が地域にある。合掌。朝一番で子どもを連れて行った。診察は1分以内であっさり終わり。「様子を見ましょう」だ。ともかく傷が深くないことを確認してもらえ、胸をなでおろした。

子どもは実際かなり元気を取り戻していて、医院の帰りにわたしの手を引いて神社へずんずん入っていった。境内は来たる元旦に向けて準備が進められていた。参道が半分まで掃き清められてきれいだ。賽銭箱の前まできたのでせっかくだからと子どもに参拝のやり方を教えてみた。「ペコリ、ペコリ、パンパン、ペコリだよ」。すると、すぐに自分で「ペコペコ…」唱えながら実践していたから感心した。気に入ったらしく3度も参っていた。

夜中には夫とふたりで蕎麦を食べた。えび天の乗った冷凍のやつ。
子どもは早々に眠っていて、起きて年越しはまだむずかしい。次の年末には大人といっしょに夜更かしをしたがったりするのだろうか。来年はどれくらいの成長に目をみはることになるのか。わくわくするやら、はらはらするやらだ。

2020年はたいへんお世話になりました。みんなにとって2021年がとてもすてきな年になりますように。


12月中旬 | 1月上旬


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