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●2022年9月の日記 【中旬】

9月11日(日)

仕事に出かけるときに子どもが「お仕事がんばってねー!」と盛り上げてくれる。なんと景気のいい声かけだろう。ありがとがんばってくるねーとこちらもいくらか邪気の抜けた声で応答してドアを閉めた。
体調が悪い。感染症等ではなく周期的な要因による体調の悪さゆえ仕事には行く。仕事があってよかった。日曜日に家で大人が寝込んでいたらはしゃぎたい子どもの邪魔になるだろう。
自転車で行くのは諦めて電車に乗る。電車は客車に乗り込んで立ち止まっているだけで目的地に運んでくれるところがすごいと思う。いつも自転車で行く街だから改めてそう感じた。
しかし交通機関ばかり利用しているときのわたしは身体感覚と移動距離とのつながりがうまく持てずに身体と精神がどんどん乖離していく感覚がある。最近このことばかり考えてしまう。ジョギングかウォーキングをはじめたほうがいいのかもしれない。
村上春樹の『羊をめぐる冒険』か『ダンス・ダンス・ダンス』にもそんなようなくだりがあったことを思い出す。東京から北海道まで飛行機で行ってあまりに速く着いたんで気持ちがついてこない、みたいなところ。読んだときは20代で「えっ、何それ、わからん、おもしろ」と思ったので印象に残っている。
まさに今わたしが囚われている感覚そのものっぽい記述なのに、たかだか7、8年前にはまるでぴんとこなかったなんて不思議だ。別人みたい。別人なのかも?

脚のしびれと全身のだるみを相棒に仕事を乗りきって駅までよろよろ歩く道はいちょう並木で、風が吹いたひょうしにギンナンがわたしの肩を打った。「いった!」と声が出て、うしろを歩く英語話者の家族の子どもの驚く声がした。連れの大人が「何かが彼女の肩を打ったようだね(和訳)」と解説するのに照れて、本当は立ち止まってしばらく痛がりたかったのだけれど、歩調をゆるめずに歩きつづけた。マスクの中でぶつぶつ「今のすっごく秋じゃん」と言った。

9月12日(月)

早くに家を出たので子どもの「いってらっしゃい」をもらうことができた。わたしの子どもの「いってらっしゃい」は抜けがよい。あれほど質の高い「いってらっしゃい」をわたしはもう発することができない気がする。敵わない。見送りのあいさつひとつとってもこうなのだから、成人の能力が児童のそれを常に上回るなんてまったくの嘘だとわたしは踏んでいる。

ふだん行かない街での仕事は、終わったあとにあたりをぶらつくのが楽しみだ。いい感じの個人店を見つけたらそこでランチやお茶としけこむのもよい。
今日の街は臨時休業中や閉業の店が多くてコロナ禍の爪痕というか生傷を見る感じでウッとなったりしつつ「結局ゼリヤか〜」とひとりごちながらサイゼリヤに吸い込まれる直前、つらがまえのよい喫茶店を見つけて入った。
迷いに迷ってサンドウィッチ・ランチにした。今まで喫茶店で食んできたどのサンドウィッチよりも美味しかった。

9月13日(火)

朝から元気いっぱいと見えた子どもは発熱していた。あー、と思う。昨日からあやしかったのだ。幼稚園からの帰りにも「お咳こほこほ出ちゃったんだよねー」と自分で言っていたし。
幼稚園に欠席の連絡を入れてから小児科の朝一番の予約をとりつけ、怖がる子どもをなだめすかして連れて行く。午後からの仕事に行くためにすごくてきぱきと事を進めるわたしがいた。
家に戻って処方されたてほやほやの甘い薬をなめる子どもは、謎にハツラツとしていた寝起きとはうってかわって動作のひとつひとつが気だるげで、熱を測ると39.6℃と出た。幼児の熱は派手に上がるので毎度驚かされる。熱にとろけるようにして眠った子どもを在宅勤務の夫に託してわたしはバタバタと仕事に出かけた。やれることはやったのだから、とは思いつつも仕事に穴を空けないで済んだことへの安堵が強い。
仕事終わりには我慢できずに餃子の王将に寄ってハイボールと餃子とジャストサイズ酢豚をキメた。15分で飲み食いしたがハイボールが濃すぎてクラクラした。急いで帰った。

9月14日(水)

子どもの熱は昨晩のうちに平熱にまで落ち着いた。が、幼稚園の出席ガイドラインに従って子どもは今日も園を休むことになる(「発熱の場合、熱が下がった翌日まで欠席」とある)。
夫にもろもろ託して(夫も家で仕事があるのだが)わたしは今日も仕事に出かけた。すまん!と思いながら背中でドアを閉じた。もっとも、出がけに子どもに縋りつかれる時期はとうに過ぎている。病み上がりでふわふわしていても「お仕事?がんばってねー」と送り出してくれる。頼もしいことこの上ない。だからすまんというのは心配性で業務が手につかないであろう夫への気持ちである。

今日の仕事先では民族衣装を着て立つことになった(美術モデルの仕事をしている)。先の尖ったパンプスを履いて立ちつづけたためにつま先がしぼられるように痛く、忘れていたパンプスへの憎しみが復活した。
描き手の方に朝採れピーマン(from庭)をもらってうれしかった。ビニール袋ごしにもハリがあるのがわかった。「全員分はないから秘密ね。ホラすぐしまってしまって」と言われて袖の下みたいだった。

9月15日(木)

増えた髪を3か月ぶりの美容室で梳いてもらい、内側の毛をカシスピンクに染めてもらった。思っていたよりド派手な仕上がりでヤッターという感じ。素朴な顔をしているので(自己評価)、顔まわりの毛髪だけでもド派手な色をしていると強そうに見えてよい。
10年くらい黒髪ロングでいたけれど、素朴な顔の女が黒髪ロングでいるとめちゃくちゃになめられるというのがその10年間の実感であり、わたしはこれからもしばらくはインナーカラーにド派手な色を入れつづけると思う。

9月16日(金)

金よう日の夜に子どもが早くに眠りについて、わたしは外に走りに行くことにした。5年ぶりに使うランニングシューズはありがたいことに腐っていなかった。
試しに全力で走ってみた速さに自分で驚いてしまった。わたしってこんなに速く走れるんだ?
たぶん大した速さではない。5年かけて縮こまったわたしの身体では。普段の子どもの歩調に合わせて歩くことが多いので、そのギャップにたまげただけだろう。しかし「いざとなったらこのスピードで走れる」の体感を急激に取り戻したことで自己信頼感は有意に上がった。「速く走れる」って小学生でなくてもわかりやすく自信につながる項目らしい。感心してしまった。

全力で走ったのはほんの短い時間だけで残りは歩くような速さでだらだら走ったり、競歩のイメージでぐいぐい歩いてみたりした。隣の区まで行って引き返してきて時間を見たら、なんやかんやで2時間弱も移動に興じていたことがわかってびっくりした。感覚としてはあっという間だった。
これからも週一くらいで夜抜け出して走ったり歩いたりできたらいいなと希望をもった夜だった。

9月17日(土)

全身が……痛い…。

5年ぶりに全力疾走するとこういうことになる。朝から思い知った。それでもまた走りたいという気持ちは萎えないが。

夕方になって子どもと公園に出かけた。わたしはベンチで本を読み、子ども(4さい)はいろいろな大人や子どもにゆるく絡んで相手をしてもらっていた。彼はとくに年下の幼児が好きなようで、2さいの子に自転車を漕ぐ姿を見せては反応を楽しんでいた。

9月18日(日)

今日モデルをするために訪れたアトリエは高くて白い壁に囲まれていて大きな窓も分厚い布で覆い隠されていたから外の様子が全くうかがえず、ただ豪雨と雷とおぼしきゴオオオオ、ドシャアア、ビシャーンという音だけがとてもよく響いてくるからいったい外の世界はどうなってしまっているのだろうと思った。
夕方にアトリエを出たら世界はびしょ濡れなだけで健在で、家に帰れば夫も子どもも元気に生きていた。世界も他者もわたしが思うよりずっと強靭。

9月19日(月)

ここ最近きまって23:45ごろお腹が空くのに困っている。がまんして寝たらいいのだが、わたしは空腹を抱えたまま眠れるようにはできていない(キリッ)。
それでよなよな暗いキッチンに出ていって冷蔵庫の光をたよりにヨーグルトをよそってハチミツをかけこそこそと食べることになるのだが、やっていることが両親の家に暮らしていた子どもの頃と変わらなすぎる。こうして食べるヨーグルトがなぜかふだんより美味しいのも同じだ。
大人だからちゃんと歯を磨きなおして寝る。

9月20日(火)

「老酒かめ 差し上げます 店主」

仕事をした街で見かけた「差し上げます」。なかなかの大物だ。わたしはいろいろな街の「差し上げます」や「ご自由にお待ちください」を見るのが大好き。品物の様子から持ち主だった人の暮らしぶりが透けて見えるような気がするし、その人がなぜそれを手に入れ、そして手放そうと思うに至ったのか、勝手にドラマチックに想像するのも楽しい。
この老酒かめはそのへんの楽しみをすっとばして純粋に「欲しい!!!!!!」と思ってしまったが、老酒かめを抱きかかえて電車とバスを乗りつぐやばい奴になる勇気が出ずに、泣く泣く諦めた。そもそもこんなでかいかめ家のどこに置くんだって話だし。諦めるまでに2分ほど老酒かめの前で立ち尽くしていた。

来週また同じ街に行く。そのときも老酒かめはまだ路上に並んでいるだろうか。もし残っていたらわたしはどうするだろうか。

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