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『利生の人』のこと①

何だか今年の夏は早いと思いきや、梅雨が復活するやら。なかなか落ち着かない陽気なうえ、世上もいろいろな出来事で騒がしいままですね。
こういうときこそ平常心、当たり前のことが当たり前にできるようでありたいなと思う日々です。

さて、最新作『あるじなしとて』。ありがたいことに、いくつか書評をいただいており、恐縮するやら嬉しいやら。大変光栄なことで、改めて感謝を申し上げる次第です。


今回はデビュー作『利生の人 尊氏と正成』につきまして。
発売からすでに1年半ほど。ありがたいことに、増刷1回、Amazon歴史・時代小説ランキング1位(最大瞬間風速)にもなりました。

デビュー以来ずっと動きつづけてきたこともあって、ちょっとひと息入れられそうないまのうちに、少しお話しできればと思います。

『応仁の乱』や『観応の擾乱』など、新書を通して中世ブームが巻き起こっている昨今。『利生の人 尊氏と正成』も、タイトルのとおりに中世を舞台にとした物語となっております。

以下、版元の作品紹介を。

ジャスト中世を描いた作品ですが、じつはブームを意識した企画ではありません。そういう流行りに乗れるほど、器用な書き手でもないですし、本作はそもそも公募文学賞への応募作なので、商業的なことを踏まえて、なんて言うのもおこがましく。

中世を書こうでもなければ、南北朝を書こうでもなく。
インタビューなどで言及してますので、あまり勿体ぶるのも何ですね。

本作のモチーフは「禅」です。

じゃあなんで禅なのか?

そもそも禅宗は中国で生まれましたが、いま現在、世界で「ZEN」といったら日本文化のイメージですよね。
海外のかたが日本文化だと認識しているものの多くは、禅の影響を受けた室町以降の武家文化に根差しているわけです。

禅が日本に伝来したのは奈良時代ですが、正式に伝わったのは鎌倉時代。栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗をそれぞれ伝え、武家、公家、皇族などから人気を集めました。

ちなみに、歴史の教科書などでは“質実剛健な気風が武士に好まれた”と説明されますが、公家層も禅宗の僧にしっかり帰依していました。

また、鎌倉新仏教として旧来の宗派と対立的に言及されますが、当時の禅はむしろ顕密を修したうえで取り組むものだったので、二元的に語るものでもなかったりします。

閑話休題。

さて、伝来して間もなく、禅宗の高僧に帰依した皇室や北条執権などの貴顕が彼らを保護するわけですが、それは決して組織的なものではありませんでした。
それを官制として庇護し、全国的に広がるきっかけを作ったのが、足利尊氏以降の室町幕府です。

尊氏自身も夢窓疎石に帰依し、さまざまな禅寺を建立・庇護するだけでなく、全国に安国寺・利生塔を建てているんですね。
尊氏は自らの意思で、特定の僧に帰依するに留まらず、積極的に禅を広めようとしている。

それは何故?というところから、『利生の人』の創作がはじまりました。

もっとも、この「何故」は自分にとって自明というか、すでに持っていたイメージがありました。
それが本作の骨の部分、尊氏は正成や後醍醐天皇の思想を遺したかった、という発想です。

そう思うきっかけは、子どものころに聞いたひとつの言葉でした。

『尊氏と正成、後醍醐天皇は同門だったんや』

京都の、確か建仁寺だったと思うのですが、そう言っていたお坊さんがいたのです。
それが作品の世界観を作っていったのですが……というあたりで、次回に続きます。

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