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平安のお仕事小説。

天神・菅原道真が“政治家”として目覚め、国政改革に奮闘する新刊『あるじなしとて』(PHP研究所)。一部オンライン書店さんにて電子書籍での配信も始まっています。この機会に、どうぞお手に取っていただければ。

さて、「菅原道真」と言えば学者や詩人としてのイメージが強いかと思います。学者としては文章博士を務め、六国史の類書である『類聚国史』の編纂が良く知られた仕事ですね。
漢詩人としては『菅家文草』の名作の数々、歌詠みとしても「東風吹かば」や「神のまにまに」など、学識はもちろん、言葉の美的センスは抜群の人でした。

それだけに忘れられがちなのが、道真が官僚であったことです。

当時の大学寮はあくまで役人の育成機関であって、卒業者は官僚として登用されるわけです。とくに方略試を通った道真のような優秀者は、現代で言えば東大卒のキャリア官僚としての道が約束されました。道真もこの例に漏れず、重要な役職を渡っていきます。

とは言うものの、当時の官僚も貴族社会の一員なわけですから、血筋や位階による上下関係は当然ありました。無茶を言う上司もいたことでしょうし、同輩同士の足の引っ張り合いなど、しがらみも多かったことでしょう。

一方の地方行政の状況も、道真は讃岐守として経験しています。つまり香川県知事ですね。

県知事といっても、当時の令制国は地方自治体ではありません。
国司はあくまで中央から派遣された行政官、代官に近い立場です。後の“受領”とちがって県の運営を担うというほどの権限はありませんでしたから、事務方や実務の長としての仕事も多かったでしょう。
また、実働部隊は郡司=在地の有力者が務めており、独自の権限が与えられていたので、容易に国司の言うことを聞きません。

本社から地方への単身赴任。出先のトップではあるけれど、業務は本社の意向が第一で独自裁量ほとんどなく。
実務は地域の施工業者にある程度を任せなければ立ち行かない。しかも相手は海千山千の曲者ばかりで、隙あらば権益をむしり取ろうとしてくる。
そんな関係先をなだめすかして仕事をさせつつ、本社の無茶な注文を達成していかなければならず。

書いていて胃が痛くなってきましたが、当時の宮仕えも、現代と同じく気苦労が多いものだったようです。

本作『あるじなしとて』では、お役人として奮闘する道真の姿も、できるだけリアリティを持って描いています。
そんな、平安のお仕事小説としても楽しんでいただければ幸いです。

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