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人間は感情の動物である

♠️人間は頭で生きている

「人間は考える葦である」であると『パンセ』のなかでパスカルは言っています。
葦とはヨシと呼ばれている水辺に群生しているススキに似た穂をつける多年草です。弱々しいものの代表だと言います。
つまり、人間は弱い面もたくさん持っているが「考える」ということをするから偉大であるとも言っています。

が、果たしてそうだろうか?
私は「人間は感情の動物である」と思っています。なぜ?

私はあんまり学校の勉強はしませんでした。なぜ? 「嫌い」だからです。
学校は好きでしたから、病気や家庭の都合以外は休みませんでした。
でも、一度だけ小学生の時ありました。5年生の時かな?
私と兄を留守番ににして両親が一泊の旅に出かけた時です。
兄はもう中学生でしたから早くに自転車に乗って登校しました。
残された私は普段のリズムではありませんし、両親もいません。
ムラムラと私のサボタージュ気分が吹き出してきたのです。
まさに「鬼の居ぬ間の洗濯」です。ちょうどその日は雨が降っていました。
「行かない」という選択は容易でした。

さて、ここまでの流れ、頭で考えたことではありません。
「行きたくない」という感情が事を決行したのです。
もちろん、これまでの経過の中で良心が動きます。
「良心」、これは人間が作り出した「良いこと」「悪いこと」の区別です。
つまり、頭を捻って考えたことです。憲法や法律と同じです。
守らないと「悪い子」守れば「良い子」になるのです。
子供時代はこれを徹底的に鍛えられます。が、私はどちらかと言いますと「悪い子」でした。嫌なことはやらない主義でした。
そういう意味では両親によく叱られた経験を持ちます。
漫画「サザエさん」で言えば「カツオ」です。
そういえば思い出しますね、「かつ子!お前は男か⁉︎」ってね。
相場、イタズラするのは「男の子」と決められていたようですから。
そう、小学時代の私はお転婆でした。この時代私も「男に生まれたかった」の方でしたからね。
多分この頃からでしょうね、世間に反感を持ち始めたのは。いわゆる「不良」です。が、「スケバン」というものではありません。根は硬派です。
だから、祖母が言いました。「お前はいい女侠客になれるよ」って。

大体、日本人というのはこういう気質があるものです。
この気質は室町時代に生まれた「歌舞伎者」にあった気質です。
しかし、欠点は暴力的でした。
私も幼稚園時代この素質がありました。が、喧嘩にはルールがないことを知り、
以後は一切喧嘩はしませんでした。ですからよく言われたものです「負け子」。

ここまでザーッと流してきましたが、全ての行為は感情です。
頭の中で考えたことは「良心」ということだけです。
でも、その「良心」でさえ感情は押しつぶすのです。

優等生であったパスカルと不良であった私との違いはここにあります。
孟子は「性善説」を説きました。荀子は「性悪説」を説きました。
この両者はパスカルと私のように生まれた環境が正反対でした。
だから、つまり善悪は人間が作り出した掟に過ぎません。
このことを理解するには人間修養を経験してみればわかります。

では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊

〈今日の一言〉
いっさいの善の始めであり根であるのは、胃袋の快である。

知的な善も趣味的な善も、これに帰せられる。

ーエピクロス「メノイケウス宛の手紙」ー


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