見出し画像

学びと遊び

♠️人生は遊びと学びの連続だ

何を学ぶかは個人の人生に任せられる。が、義務教育というのは違います。
与えられたものを理解しなければなりません。
が、生まれた環境や育った環境で人は好き嫌いが生じます。
得意なものと不得意なものがあるのはその傾向が強いということです。
が、中にはそういう傾向を全く持っていない人もあります。
きっと心の中が穏やかなのだと思います。
が、負けん気は人一倍強いように思います。
おそらく勉強も人一倍努力している人だと思います。そして真面目です。
これで健康面でも何も問題がなければ申し分ないのでしょうが、
「天は二物を与えず」なのでしょう。大体持病があります。
でも私はこういう人を好意的に見つめていましたが、運命は異なります。
学生時代のいいところはこのように環境の違う人とも接することができるということです。
学校の学習は嫌いでしたが、人に会えることは楽しみにしたものです。
が、根は遊び人なのかもしれません。
でも、遊びの中にも学習は存在します。
私はよく悪さをしたものです。まあ男の子の世界で過ごしましたから、
それは自然に身についたものだと思います。
ところがですね、この悪さは人の親は歓迎しないものです。
よく叱られたものです。
例えば、畑に実っている野菜など持ち主の子供が許可しても持ち主はその子の親ですから、その親の許可を得なければなりません。
が、ほとんどこの手続きは致しません。見つけた親は当然激怒です。
だから、盗みというものを徹底的に教えられるわけです。
子供の頃は前科が無数にあったような気がします。
幸い、私は小学校と中学校の環境が全く変わりましたので、
前科は消えました。今思えばこれも運命かなと考えられます。
なぜなら、環境は自分で選べるものではないからです。
そして、私はこの環境をすんなり受け入れられたようです。

しかし、ここでは言葉の壁に突き当たってしまいます。
方言です。
子供の時は方言丸出しで話しても通じ合えますから何も問題はありません。
ところがですね、登校初日、その問題が浮上しました。
何をどういうふうに話したか、その内容は忘れましたが、
初めて出会った同級生にその方言を丸出しで投げました。
が、その回答は「何言ってるのかわからん」と突き放されたのです。
今朝までその言葉を使っていたものが拒否されてしまったのです。
私はかなりの打撃を受けたようです。その日は一日慎重でした。
今までの私がいなくなった瞬間です。
この後もお話はありますが、この続きはいずれまたの機会に。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊

〈今日の一言〉

言葉は大きな力であり、それは小さくて眼にも見えない身体をしていながら、最も神に近い働きをする。

なぜならそれはおそれを終熄させ、悲しみを取り除き、喜びを呼び覚まし、憐れみを増すことができるから。

ーゴルギアス『断片』ー





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?