見出し画像

分からないことを「分からない」と言う勇気

少し更新が空いてしまいましたね。

人は歳を重ねたり昇進をしていくと、後輩や部下が増えて行くことによって”プライド”が形成されていきます。
このプライドというものが厄介で、プライドを守るために頑張ろう!というポジティブな側面もあれば、見栄を張ったりしてしまい謙虚な気持ちを忘れてしまうネガティブな側面もあります。

今回の記事ではこのネガティブな側面について書いていければな、と思います。

ネガティブな側面のプライド

プライドを守る
という表現をするとポジティブなイメージがありますが、その守るという行為を行うためにする行動が時には良くない方向に進むことがあります。

例えば、「なんでも知っている人」というプライドを自負している人が知識の範囲外の質問をされたとしましょう。
プライドがなければ「なにそれ?知らんけど」と相手に聞くことができますが、プライドを守る行為をすると「あぁ〜、あれね」と知ったかぶりをしてしまいます。
結果的にその場を取り繕うことができても、相手に知ったかぶりを見抜かれてバカにされたり、結果的に知識が増えなかったり、プライドのせいでネガティブな結果になってしまいます。

後輩や部下からの指摘に対しては突っぱねてしまう行為は割と誰しもが経験あると思います。
図星を突かれていても、「それはね」とその場を取り繕うことをしてしまったり、言い訳をしてしまったりする行為です。

プライドが邪魔をして「そうなんだ、ごめんね。ありがとう。」この言葉が言えればどれだけ楽だったのか…と私自身も思い当たる節がたくさんあります。

しかし、”組織”という単位で物事を考えると、誰しもが得意不得意があり、その指摘をし合い、受け入れ合える組織の方が強い、と実感しています。

間違いを認めることは弱さなのか?

さて、ではなぜプライドを守るために取り繕うという行為をしてしまうのでしょうか。

答えはおそらく
間違いを認めることで自分が弱いと認識されることを避けるため
です。

誰しもが間違いはあります。
得意なことも不得意なこともあります。
しかし、後輩や部下の前では見栄を張りたい!と思うのも人間です。

では、間違いを認めるという行為は弱い人間なのでしょうか?

答えはNoです。

むしろ間違いを認められる、自分の不得意を認められる人間は強いです。

なぜならば、自分の不得意を理解している人はその部分を人に頼ることができるからです。
完璧な人間はいないですし、そのことは誰しもが理解をしています。
見栄を張る必要はないのです。

間違いを認め、薄いプライドを守らず、人に頼ることができる人間こそ強い組織を作っていくことができます。

分からないことを「分からない」という勇気

「そんなことも知らないの?」
と言われることは怖がる必要はありません。

その知識に関して相手の方が専門性があるのであれば頼れば良いのです。

分からないことを「分からない」と言ってみることから始めてみましょう。
周りの人は頼りになるんです。

自分一人で何かを成そうというのは難しいですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?