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【ショートショート】ヒットから逃れたい

男は、パソコンの画面に向かって大きなため息をついた。
目の前には、ついさっきまで懸命に書いていた小説の原稿が表示されている。

「違う。違うんだ。こうじゃない」

男は書きかけの原稿を何度も読み返した後、そうつぶやいてから電話をかけた。

「先生、新作について相談があるとのことでしたが、どうされましたか」

電話に出たのは出版社の担当編集者だ。
自分の仕事ぶりになんの疑いも持っていないその口調に、申し訳ないと少しだけ思いながら、男はこう切り出した。

「あの……、次はまったく違うものを書くわけにはいきませんか」

「何を言ってるんですか! 今、先生の『心霊交渉人』シリーズはいちばん大事な時なんです! アニメの放映も始まりましたし、ここで新刊を出してさらに新規の読者を取り込んでいかないと!」

『新進気鋭のライト文芸作家』それが男の職業だ。
デビュー作がヒットし、そこから1年でアニメ化されるという、ある意味賞を獲るよりもすばらしい栄誉を得ていた。

「担当さんの言うことはわかります。でも、私はヒットから逃げたいんです」

「は?」

「もう、うんざりしたんです。誰かが知ったかぶりで『この文章はこの作品が出典だ』とか言い出すのにも、それにすぐ反論が出てケンカになるのも、原作とアニメの違いを論じられてしまうのも」

そう、ネットでは連日自分の作品について誰かが語っている。
しかし、作品の感想というよりは、自分の作品を通じて己の知識をひけらかしたいだけのようなものばかりだ。
挙句の果てに『アニメ派』『原作派』なんていう括りで、お互いが「違う、そうじゃない」と言い合っている。

それを目にするたび、そうじゃないと言いたいのは俺の方だ、と男は常々思っていたのだった。

「それから、『ヒット』という型に合うようにいろいろ削らなきゃならないでしょう。キャラの設定だったり、文字だったりを。この頃は、そこで削ぎ落とされたものこそが本当に書きたいものではないかという気がしていて」

「はあ……」

担当の相槌というよりは呆れの声が聞こえた。

「ですが、おっしゃるような、己の書きたいものだけを書くとなると、それはウェブ小説や同人誌と同じです。それでは、先生は何のためにプロの作家になったというんですか。スケジュールが非常にタイトなのでお疲れだとは思いますが、少し休憩なさって、続きを執筆してください。いいですね」

い・い・で・す・ね、をことさら強調して、担当は電話を切った。

「……己の書きたいものだけ書いたら、ウェブ小説や同人誌と同じ?」

男は担当の言葉を繰り返すと、ニヤリと笑った。


そこから男の行動は早かった。
パソコンに向かうと、さっきまで書いていた原稿はほったらかしのまま、全く別の物語をゼロから書き上げていく。

もともと筆が早いほうだが、自分の書きたいものを好きなように書いているせいか、恐ろしい速さで物語は書き上がった。

そして、それをアマチュア小説家向けの投稿サイトに適当な名前で載せ、男は再びニヤリと笑った。

「いやー、これはヒットしないぞ。今まで研究してきたヒット作の作法なんて全部無視して、俺の好みを全部詰め込んだからな。最高だ。ヒットから逃れるというのが、こんなにも気分がいいなんて」

その日、男は久しぶりにせいせいした気分で、ぐっすり眠ることができた。


それから数日後、男のもとに担当編集者から電話がかかってきた。

「あの投稿サイトに『田中ポンティチェロ』の名前で小説を載せたのは先生で間違いありませんね?」

どうやって探し当てたのか、担当は男が適当に決めたペンネームで投稿したあの小説のことを言うではないか。
男は内心驚いたが、平静を装ってこう言った。

「ええ、そうです。己の書きたいものだけ書いたものはウェブ小説だと担当さんがおっしゃったので、そのとおりにしてみたんです。ああ、『心霊交渉人』の原稿も進めていますので、ご心配なく」

「先生、ご覧になっていないんですか? あの小説は今、サイトの人気ランキング1位です!」

「え?」

「ネットではすでに二次創作もたくさん出回っていますし、田中ポンティチェロの名前はSNSでトレンド入りしていますよ」

「どうして……」

男は呆然とつぶやいた。
ヒットとは無縁の作品を書くつもりだったのに、結果は真逆のものだった。

読者の読みやすさなんて全く考えなかったし、プロットも作らなかったから、ストーリーはあちこち破綻しているはず。
なのになぜ、そんなことになってしまったのだろうか。

「いいですか、先生。先生はヒットというのを『そうなるように作るもの』だと思っていらっしゃるようですが、世の中の小説やドラマや映画はみんなヒットするように作られています。なのに大当たりするものもあれば、酷評されるものもある。なぜだと思います?」

「それは、脚本が独りよがりだったとか、俳優の演技がイマイチだったとか……あとは運のようなものでは?」

「違います。ヒットとは『作り手』そのものです。先生はあの小説のように本来ならヒットは望めないジャンルの作品でも、宣伝や作者のネームバリューがなくても、ヒットさせてしまった。それはもう、運や実力を超えた超常的な力だと言えるでしょう」

「はあ……」

相槌のような呆れ声を上げたのは、今度は男の方だった。
超常的な力だなんて、それなら俺の今までの努力や研究は何だったんだ、そんな思いが胸の中でこだましていた。

「さて、つきましては田中ポンティチェロ先生の作品も弊社から出版させていただきたく思っておりまして。現在の『心霊交渉人』シリーズが完結しだい、本格的にお話を……」

「はあ……」

男は、電話を終えるとパソコンの画面に向かって大きなため息をついた。
目の前には、ついさっきまで懸命に書いていた小説の原稿が表示されている。

読者のことを考えて、ああでもないこうでもないと文字をこねくり回していたが、どうやらその必要もなさそうだ。

ヒットからは、逃れられないのだから。




「……田中ポンティチェロ先生の小説、うちから出せそうです!」

「でかした!」

「ありがとうございます!」

「以前からそうではないかと思ってはいたが、彼は昔で言うところの出来神しゅったいがみ、出版界の福の神というやつだろうな。私も出会うのは初めてだが」

「書くもの書くもの重版出来の神様ということですか。それはすばらしい」

「ああ、だがそこが困ったところでもある。なにせ、出来神は何を書いてもヒットしてしまうんだ。そのうち書くこと自体がバカらしくなるか、粗製濫造による良心の呵責に耐えかねるかで筆を折ってしまうことが多いらしい」

「それはいけません」

「だから、なんとしてでも彼を上手いこと扱ってくれ。バランス良く褒めたり叱ったり、とにかく何でもいい。どんな手を使ってでも書き続けさせるんだ。我が社のため、ひいては出版界のためにな」

「はい!」





※このお話はフィクションですが、なぜか『心霊交渉人』というおはなしはあります(笑)。




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