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【ショートショート】私が夜に出歩いてはいけない理由
十月四日。
昼過ぎ、妻が産科医院へ。
医師より、妊娠しているとみて間違いないとのお墨付きを頂いたとのこと。
いよいよ、私にも子供が産まれるのである。
父親になるというのは、結婚以来待ちわびていたことであるので、非常に嬉しい。
夕方からは地区の祭事があり、私はその宴席で黙っていられずに子供ができたことを皆に告げてしまった。
すると、皆はまるで自分のことかのように喜び、口々に私を温かな言葉で祝福してくれた。
改めて、私は親になるのだという喜びを感じることができた。
普段は控えるようにしている酒も、今日ばかりは皆が注いでくれるままに、浴びるがごとく飲み続けてしまった。
家に帰る頃には、私はすっかり泥酔していた。
そして、私はとんでもない失態を犯したのだ。
あとほんの数分で家に着こうかという時だった。
千鳥足で歩む足がもつれ、私は止まる前の独楽のようにふらふらとその場で回転した挙句、道端に尻餅をつくような形で勢いよく転んでしまった。
その転んで尻餅をついた先というのが、畏れ多くも我が家に続くあの道の入り口にある祠だったのだ。
子供の頃から、親父に我が家の守り神だから絶対に不敬を働いてはいけないと再三再四に言われてきた、あの観音様がおわす祠である。
見ると、祠の扉は外れ、中の木彫りの観音様はお倒れになっていた。
酒で浮ついていた頭は、桶いっぱいの氷水でもかぶったかのように一瞬で冴えた。
私は考えつく限りの言葉で人生最大の謝意を口にしながら、観音様を助け起こし、外れた扉を元に戻した。
その時である。
祠の裏から、何かが飛び出してきた。
それは、何か、としか言い表すことのできないようなものであった。
強いて書き記すのであれば、「夜闇の塊」とでもすればいいのだろうか、夜の闇を集めて固めたかのような、非常に黒黒とした塊である。
「観音を倒してくれたのはお前か。あの家の輩だな」
驚いたことに、その夜闇の塊は人の言葉を話した。
「お前の先祖達が長きに渡りこの観音で封じてきた儂を、まさか尻餅ひとつで台無しにする阿呆があの家から出てくるとはな。愉快よ、ほんに愉快」
その口ぶりで、これは良からぬ、妖怪や物の怪の類だと察するには十分であった。
なんと、守り神だと教えられてきた観音様は、真に我が家を守ってくださっていたのである。
にもかかわらず、この物の怪が言うように、私は尻餅ひとつで先祖代々の苦労を水泡に帰してしまったのだ。
私はいよいよ焦った。
そして、初産を控えた妻を残し、またこれから生まれてくる初めての子供を残して死にたくはない、勘弁してほしいと命乞いのような言葉を並べたてた。
今思い返せば情けなくもあるが、元は己の失態が招いた事態なのである。
妻と子供のためには、己の情けなさなどは取るに足らないものだ。
すると、物の怪は勝ち誇ったように笑った後にこう言い残して、ゴム毬が跳ねるかのように闇の中へと勢いよく消えていったのだった。
「お前の阿呆ぶりに免じて、今だけは見逃してやる。だが、もう夜をのうのうと出歩けると思うなよ。次に会うことがあれば、儂は連れて行くぞ。お前を。お前の妻を。子供を。孫を。儂が夜の中へ連れ去ってやるからな」
おそらく、私は物の怪に許されたのであろう。
しかし、我が家を先祖代々の昔から守ってくださっていた観音様の御加護は、今までと同じとはいくまい。
今後は、我が家の者は夜に出歩くのを禁じることとしよう。
そして、己への戒めとすべく、こう書き残しておく。
どれほど喜ばしいことがあったからとは言え、羽目を外しては全てが一瞬で水泡に帰すのだ。
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「……なるほどね」
私は祖父の日記帳をそっと閉じた。
今は、60年後の10月4日。
祖父は昨年他界し、こうして孫の私が形見分けでもらってきた日記帳を読んでいる。
子供の頃から、祖父の「夜に出歩いてはいけない」というルールへの執着はものすごかった。
帰ってくるなり鬼のような形相で怒鳴られたことなんて数え切れない。
それだけじゃなく、友達の家で夢中になって遊んでいると必ず祖父が迎えに来たし、高校の時の部活やバイトは帰宅時間が遅すぎるからと辞めさせられた。
その反動から、私はずっと夜に憧れていた。
それは、今も変わらない。
「――どしたの? 何読んでたの? 暗い顔しちゃってさー。ちゃんと飲んでる? 悲しい時には思いっきり飲んで寝ればさ、朝には忘れてるって!」
「そう……かな。じゃあ、ボトル……もう1本入れようかな」
ただ、どうしてあんなに怒ったのか、なぜ夜に出歩いたらダメなのか。
この日記に書いてあることを正直に、ちゃんと教えてほしかったな、おじいちゃん。
「はーい! 姫様からボトルオーダー頂戴しましたー!」
数年来推しているホストがいつものように元気よく叫び、私にとっておきのウインクをする。
再び開いたその瞳は、白目も黒目もなく、夜の闇を集めて固めたかのような黒一色をしていた。
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