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【短編小説】心霊交渉人

その客は、何から何まで変わっていた。

「こんにちは。どちらまで行かれます?」

「ここに行ってほしい」

渡されたのは、二つ折りのメモ用紙だった。
それは珍しくもないが、それを渡してきたのは黒ずくめの男だ。
こっちはまだ半袖だっていうのに、皮の手袋、ロングコート、ジャケット、ブーツ。
おまけに、重そうに抱えた大きなダッフルバッグまで黒一色と来ている。

まあ、世の中にはいろんな奴がいるからね。
タクシー運転手になって20と数年、このくらいで動揺したりはしないさ。
心のなかでそうつぶやきながら、私は渡されたメモを開いた。

「お客さん、これ、もしかして座標コードですか?」

「ああ。ちょっと面倒な場所に行きたいんでね。追加料金が必要になったら言ってくれ」

トランクにダッフルバッグを押し込むと、男はどかっと音を立てて座席に座った。

これは面倒な客を拾ったかもしれない。
私は久しぶりにカーナビを操作しながら、なんとも言えない嫌な予感が膨らんでいくのを感じていた。


男が指定した場所は、町外れの山の中にあった。
昔は頂上に遊園地があって、観光客も多かったのだが、そこが閉園してからは寂れる一方の場所だ。

「ここが、お客さんのメモにあった場所ですよ」

私は山の途中で車を停めた。

「ここは昔、食堂でしたけど、もうだいぶ昔に潰れてますよ。本当にここでいいんですか?」

苔むした外壁、割られ放題の窓ガラス、雑草が生え放題の花壇。
看板はほとんど色あせてしまっているが、かろうじて「食堂」の文字だけ読み取れる。

「ああ、ここだ」

男は車の窓から建物を見まわすと、そう言って車を降りた。

「後ろ、開けてくれ。荷物が必要だ。それから、少し用事を済ませたらすぐ帰るから、ここで待っていてくれないか」

「はあ……」

こんな場所で、いったい何をするというのだろう。
思わず聞いてしまいそうになったが、客商売をする者のカンのようなものが私の好奇心を引き止めた。

男は一直線に店に歩いていく。
店の中に入ろうとして……急にこちらを振り返った。
私に向かって何かを喋っているのだが、よく聞こえない。

「はい? あの、なんです?」

それほど距離があるわけでもなく、周りは風もなく静かなのに、向こうも私の声があまり聞こえていないらしい。
仕方なく、私は車を降りて男の近くまで歩いていった。

「あんた、この店が営業してる時に来たことあるか?」

「ええ、ありますけど」

隣までやって来ると、男の言葉が聞き取れるようになった。
さっきまで、お互い大声を張り上げても何を言っているのかわからなかったのに。
私は不思議に思ったが、男は気にしていない様子で質問を続けた。

「厨房はどの辺だ?」

「たしか……入り口から見て右奥……でしたかね。その辺りにかまどがあって、いつも大きな釜が載っていて……」

私は記憶をたどりながら話した。
なにせ、最後にここに客として来たのは20年以上前だ。

「そうか。かまどはあるんだな」

そう言うと、男は担いでいたダッフルバッグを地面に置き、中身を取り出した。
出てきたのは、使い込んだ雰囲気の羽釜だ。
かつてこの食堂でいつも湯気を上げていた、あの釜そっくりだった。

「ちょっと、その釜、もしかして……」

どうしてそれを持っているんだ、と言葉を続ける前に、男は釜を持ったまま、すでに扉が壊されている店の中へと入っていってしまった。


釜を持ったまま、店内に散らばる瓦礫をブーツで乱暴に踏みつけ、男はどんどん店の奥へと歩みを進めていく。
私はといえば、「客に深入りしないほうがいい」というカンよりも、ついに好奇心のほうが勝ってしまい、入り口から体を乗り出すようにして男の様子をうかがっていた。

男はかまどの前まで行くと、そこに釜を載せ、拝むように手を合わせた。
なにかつぶやいているようだが、その声はさっきのようによく聞き取れなかった。


しばらくして、釜をかまどに残したまま、男が戻ってきた。

「すまない。待たせたな」

「あの釜は……」

「あれは、ここで使われていたものだそうだ。ここの店主だった人物の頼みで、どうしても店に戻してきてほしいと頼まれた」

そう言って、男は肩越しにかまどの方を指差した。
店主に頼まれた? ということは……

「ここの親父さん、お元気なんですか?」

「ああ、まあ……な」

男は少し言葉を濁したが、頼み事をすることはできるようだ。

「よかった。店がいきなり潰れて、行方知れずだったから。心配してたんですよ」

私は思わず胸に手をやった。

「私ね、この店で妻にプロポーズしたんですよ。話の流れでそうなっちゃったんですけど、無事成功しまして。あの時は、親父さんがお祝いにって日本酒を一升瓶で持たせてくれたっけ。奥さんなんか、自分のことのように泣いて喜んでくれて……」

「待て」

男が急に口を挟んできた。
なぜか慌てている。

「あんた、この店でそんな節目があったのか?」

「ええ、そうですけど?」

「……まずいな」

男がそう言った瞬間だった。
店の建物が、地震でも起こったかのように激しく揺れだした。
中のテーブルや椅子が倒れ、床が軋む音がするが、私と男の立つ地面は一切揺れていない。
揺れているのは、食堂の建物とその中だけだ。

「な、なんですかこれ!? 地震!?」

慌てる私をよそに、男は素早く手袋を外し、乱暴にコートのポケットに突っ込んだ。
そして、自分の首を両手でバチンと音がするほど強く、叩くように挟むと、くるりと後ろを振り返った。
こちらにも聞こえるほど大きく息を吸い込み、上半身を反らす。
なんだ、何が始まるんだ?

「「お前、俺だ。わかるか? いいか、よく聞いてくれ。店は別の場所で息子が続けてくれてる。何も心配なんかいらない。お前の居場所は、なくなってなんかいない!」」

上半身を一気に戻しながら、男が誰もいない店に向かってそう言った。
不思議な声だった。
叫んでいるわけではないが、あたりを震わせるように響くのだ。
なにより、さっきまでの男の声とは全く違う。
男はせいぜい30代くらいだが、この声はもっと歳を感じさせる。
そう……

「親父さん……?」

この食堂でいつも楽しそうに客と世間話をしていた、店主の声とそっくりだった。

男の声の響きが消える頃、揺れは少しずつ収まっていった。
完全に止まったのを見届けると、男が振り返る。

「行こう。なるべく早くここから離れてくれ」

そう言うやいなや、車に向かって走り出す。
私も慌てて後を追い、最初に男を拾った駅へ向かって車を出した。


「なんだったんですか? あれ」

私は車を走らせながら、恐る恐る尋ねてみた。

「あー、いわゆる心霊現象だ。説明すると、長くなるが……」

男は言葉を選ぶようにして、話しだした。

「あの店の店主が、あの釜から『声』が聞こえると言い出してな。妻が戻りたい、店を続けたいと言っていると。それで、息子から俺に相談が来たんだ」

「すると、お客さんはいわゆる……?」

「まあ、そういう方面で飯を食ってる」

変わった男だとは思っていたけれど、まさか霊能者の類いだったとは。

男が言うには、店主があの店をたたんだ理由は、奥さんの病気だったそうだ。
治療のために遠くの病院に入院する必要があって、家族全員で病院の近くに引っ越すことにしたらしい。
しかし、奥さんは治療の甲斐なく亡くなってしまった。
病院では、ずっと「店を続けたい、あそこ大切な自分の居場所なの」と言っていたそうだ。

「そういう、亡くなった人間の『声』が聞こえるときは、本当にその人間が叶えたい望みがあるということだ。大抵、人は死の本当の間際まで『耳』が生きてる。声が聞こえてるんだ。そのせいか、亡くなってからも『声』でコミュニケーションを取ろうとする場合が多い」

「コミュニケーション、ねえ……」

男の話は、なんだか小説かなにかの話のようだったが、なぜか「嘘だろう」と笑ったりするような気持ちは起きなかった。

「まあ、普通は生きてる者には声と認識されないんだが、それが聞こえたっていうことは、よっぽどの事態だと思ったほうがいい。店主も精神的にやられていたしな」

店主は昼夜を問わず妻のことを話し続け、日に日に衰弱していったそうだ。
心配した息子があらゆる病院に連れて行って、最終的にどうにもならずにこの男に会いに来たらしい。

「奥さんが特に大事にしてたっていうあの釜を店に戻して、店に戻ってきたと告げれば望みは叶うと思ったんだがな。あんたがいたことで、少々予定が狂った」

「私がいたからですか?」

「ああ、あの店で人生の節目があったんだろう? そういう節目は、人や場所に少なからず『縁』を結ぶ。そんなあんたが話す店での記憶を聞いたことで、昔のことを思い出して、望みが暴走したんだな。もともと、あの店には奥さんの望みが強く充満していて、俺達の声も聞こえないほどだった。はじめから暴走寸前だったのかもしれない」

そういえば、あの店では少し距離を取っただけで声が聞こえにくかった。
あれも「いわゆる心霊現象」のひとつだったということか。

「暴走って、あの、店が揺れたのが……」

「そうだ。暴走した望みには、その人間が聞きたい言葉を、聞きたい声で届ける必要がある。あの時、俺の声を聞いただろう?」

「あれ、親父さんの声でしたよね? どうやって?」

「企業秘密だ」

男がニヤリと笑うと同時に、車は駅前のロータリーへと滑り込んでいった。


男はきちんとチップもつけて代金を払うと、カラになったダッフルバッグを肩にかけた。
いつの間にか、手袋も元のようにはめている。

「すまなかったな、変なことに巻き込んで」

「あの、私のせいで奥さんや、親父さんに迷惑がかかったりすることはないですか? 私、けっこう常連だったんです、あの店」

私は心配のあまり男に聞いてしまった。
深い知り合いというわけでもないが、誰だって人生の節目を祝ってくれた人には幸せでいてほしいと思うものだろう。
私のせいで奥さんの望みが暴走しなければ、あのままあの店で穏やかにいられたのかもしれないと思うと、心が痛む。

「言っただろう。『聞きたい言葉を聞きたい声で届けた』と。なくなってしまうと思っていた自分の居場所を、旦那からそうはならない、居場所はあると告げられたんだ。望みは叶ったんだ、あんたは何も気に病む必要はない」

その言葉に、なんだか私も救われたような気分になってしまった。
あの店での件から、妙な説得力というか、聴かせる力のようなものを男の言葉にときどき感じるようになっていた。

「そうですか。それなら……よかった」

「まあ、もし心配なことがあるなら、いつでも連絡してくれ。俺のクライアントにはタクシー運転手も多いからな」

そう言うと、男はコートのポケットからくしゃくしゃの名刺を一枚手渡した。
私はその名刺を広げ、書かれた文字を読む。

「心霊、交渉人……かしい、あや?」

「リョウだ。綾と書いてリョウ。霊と交渉する必要があったら呼んでくれ。じゃあな」

そう言うと、心霊交渉人・香椎綾は、車を降りてひらひらと手を振りながら駅の中へと消えていった。

何から何まで変わった男だ。
本当に。

私はくしゃくしゃの名刺をもう一度広げなおすと、ワイシャツのポケットへ入れた。



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