見出し画像

【短編小説】骨まで凍る(7)

 山下やましたさんが話してくれたのは、彼の祖父が子供の頃に体験したというこんな話だった。


 ――昔はこの辺りの子供の遊び場なんて山くらいしかない。だから、彼の祖父は毎日友達と連れ立っては山へ行き、山菜や木の実を採ったりして遊んでいた。

 ある秋の終わりごろ、その日はいわゆる『骨まで凍る』ような寒い日だった。アケビを取りに行こうと誘われて、彼の祖父は友達と三人で山に行った。
 山の中を歩いているうち、一人が急に叫んだ。
「姉ちゃん! どうしてこんなところにいるんだ!」
 見れば、少し離れたの木のそばに人影があった。その子はその人影に向かって、嬉しそうに手を振って飛び跳ねている。
 だが、人影はその子が声をかけたとたん、こちらから遠ざかっていこうとしていた。その子はそれに気づくと、走って追いかけた。
「姉ちゃん! どこ行くんだ、待ってくれよ、俺だよ!」
 あっという間にその子の姿も人影も見えなくなり、姉のことを呼ぶ声さえ聞こえなくなってしまった。

「なあ。あれ、本当にあいつの姉ちゃんだったか? 違うよな」
 もう一人の友達が彼の祖父にそう言った。なぜかと聞いたら、
「あれは俺の親父だった」
と答えるではないか。
 彼の祖父はそれを聞いて背筋が寒くなって、その友達を無理やり引っ張って村へ帰った。「そんなことはありえない。これはおかしいぞ、ここにいてはいけない」、そう思ったのだ。
 なぜなら、その子の父親は戦争で徴兵された後、外国で戦死したと聞いていたから。
 それだけではない。彼の祖父にはその人影が5年前に病死した自分の兄に見えていた。

 その日、あの人影を姉だと言って追いかけていった子は、家に帰ってこなかった。
 大人たちが夜通し探したが、見つかったのは次の日の昼だった。山の奥で、体が凍りついた状態で亡くなっていたという。

 後から聞いた話では、亡くなった子の姉も、嫁ぎ先で産後の肥立ちが悪く、その年の春に命を落としてしまっていたそうだ。
 その子は、忙しい親に代わって自分の面倒を見てくれた、年の離れた姉のことをたいそう慕っていた。嫁いだ後には、しばらく毎日泣いて泣いて食事も喉を通らなくなるほどだった。だから、両親はその子には姉が亡くなったことをすぐには告げられずにいたらしい。

 葬儀の後にその子の両親を見かけたが、立て続けに子供二人を亡くした悲しみに沈みきった顔は、子供だった彼の祖父も見ていられないと思うほどに辛く、痛々しいものだった。

 その子の葬儀の後、彼の祖父と友達は、あの時のことは秘密にしよう、あの子を誘って山に行ったことも誰にも言わずにおこうと誓いあった。
 あんなことは誰に言ってもまともに聞いてなんてもらえない、きっと「頭がおかしくなった」と言われてしまうに違いない。聞いてもらえたとしても、今度は「なぜお前たちはあの子を止めなかった、探さなかった」責められてしまう。そう思ったからだ。
 それに、あの人影を父親や兄だと思っていた自分たちもあの子のように追いかけていたらどうなっていたかと思うと、二人とも背筋が凍るような恐ろしさに襲われた。とてもじゃないが、誰かに話すなんてできなかった。
 それ以来ずっと、あの子の月命日には二人で山に行き、手を合わせている。「ありがとう。どうか許してほしい」、それを伝えるためだ。

 幸いなことに、あの妙な人影に会ったのは後にも先にも一度きりだ。
 けれど、骨まで凍るような寒い日に山に入るなら、用心しろ。
 もし、今はもう会えないけれど会いたい誰かに会ったなら、どんなに恋しくても絶対に追いかけるな。
 さもなければ、自分もまた誰かの会いたくても会えない相手になってしまう――


(続く)


前→
←次


読んでいただき、誠にありがとうございました。 サポートいただけますと、中の人がスタバのラテにワンショット追加できるかもしれません。