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【お題小説】オンライン飲み会

「それ何本目ですか?」
ディスプレイの向こうにいる真島先輩がプシッっと缶ビールを開けた。指は長いが、関節は太い。あれ、こんな指だったっけ? とカナは思った。
「3本目。ほら」
真島先輩はすでに空になった缶を2個、画面の外から摘んで、テーブルの上に並べた。
「いいじゃん。明日休みだし」
「休み前日に元後輩とオンライン飲み会なんてしてて良いんですか?」
「外出自粛だし行くとこないしな。明日洗濯して、部屋掃除して、走りにでも行って、それだけだよ」
「飲みすぎると走れないでしょう?」
「バカ、お前。走ってアルコールを抜くんだよ。分かってないな。お前も走れよ。いいぞ、ランは」
「確かに体力落ちてるから、走るのもいいかもですね」
「だよ。体力と筋力維持のために、走るべき」
「考えときます」
「バカ、お前、考える前に始めちまうんだよ。考えてると時間なんてすぐ経っちまうだろ? 俺たちにもう余裕はないぞ」

確かに時間はあっという間に過ぎていく。真島先輩と同じ会社で仕事をしていたのは、もう四半世紀前になる。そう考えると恐ろしくてとても、あれから何年? なんて口に出せない。

当時女子社員の憧れの的だった真島先輩は、アラフィフになり、確かにそれなりに年を重ねて、肌の質感や目尻の皺は中年のそれだ。けれど同年代の男性と比べると若く見える。
真島先輩はチャコールグレーのTシャツから覗く鎖骨のあたりをポリポリと掻いた。
「お前ぜんぜん飲んでないじゃん」
真島先輩がこっちを睨む。
カナは目を逸らす。自分の容貌はどう見えているのだろう。出会った頃の20代とは、何から何まで比べようがない。カメラの画素数はどのくらいだったっけ?
「経済的なんですよ。少し飲むとすぐ酔うから」
「朝まで豪快に飲みまくってたお前がねぇ。変われば変わるもんだ」
「ワカゲノイタリってやつですよ。先輩は毎日オンラインで飲んでるんですか?」
「さすがに毎日はないな。ギガ死するから参加してこない奴もいるし。でもオンラインの方が良いこともあるよ。場所を選ばないから、離れてる奴とも飲めるし。お前みたいに」
「ですね」
「まだ時間大丈夫なのか? 夕飯のしたくとかは?」
真島先輩がカナの背後に視線をやる。
「娘らは大学生なんで、自分のタイムスケジュールで食べるから、うちは各自作るんですよ。旦那は単身赴任先から移動自粛で戻って来れなくて。だから楽なもんです」
「ふぅん。旦那大変だな」

この流れで聞きたい質問があるが、長年その言葉は飲み込んできた。
ケッコンハ、シタンデスカ? コイビトハ、イルンデスカ? 

Facebookの書き込みから家族の影は見えない。けれど結婚しましたなんて、報告する義務は、真島先輩にはもちろんない。だから友人たちに見せるのが恥ずかしいから書き込まないだけで、本当は奥さんや、もしかしたら子供もいるのかもしれない。いや、でも、とカナは思う。子供がいれば、普通は言葉や写真の端にその存在が映り込む。だからきっと子供はいない。けれど恋人はいるかもしれない、いて当然だ、とカナは思う。

「別に旦那は大変じゃないですよ」
「お前が向こうに行ってやればいいじゃん」
「嫌ですよ。戻って来れなくなるでしょ」
「いいじゃんか。二人きりで巣ごもり」
「空気重そう」
「子作りでもすれば?」
真島先輩はカッカッカと笑う。
「ありえませんって」
カナはビールをグビリと飲み下す。

男性はアラフィフになっても変わらないのかな、とカナは思う。
少し前に夫が寝る前にぼそりとつぶやいた。
「年のせいかな。孕ませたい願望がすごく強くなってさ。遺伝子を残したいっていう危機感なのかな。どう思う?」
それから若い娘がどんなに魅力的に見えるかをひとくだり話した後、真顔で言った。
「最後にもう一人、作る? 他で作るわけにもいかないし」
しばし絶句。
「ありえないんだけど」
カナは背を向けた。

女には期限がある。妊娠できる期限だ。賞味期限とか品質保持期限とか甘い区切りではない。過ぎても何とか食べれますとかではなく、閉経すると妊娠はしない。生理が来なくなった時、ああこれで開放された、楽になった、避妊も気にしなくていいぞってカナはせいせいした。

けれどそれと同時に「女ではなくなってしまったのではないか」という疑問符がチラリと脳裏を横切った。
夫は、カナがその期限をすでに過ぎているとは思っていないようだった。自分から伝えるのは何だか癪で、カナは未だにはっきりとは夫に言っていない。
このまま年を取っていって、そのうち性欲もなくなって、セックスもできなくなるのだろうか。

真島先輩はコンビニの袋からソフトサキイカを出して、封を切って一切れ口に頬張った。
「先輩、女性とオフラインで飲む時はサキイカはNGですよ」
「知るかよ。オンラインでもオフラインでも食いたいものを食うんだよ。何でNG? 臭いか?」
「ですよ。デートの時はやめた方がいいです」
「じゃあその時は控えるとするよ。でもオンラインなら臭いも関係ないし構わないだろ? それに相手はお前だし」
「クソだな、先輩」
「うっせー、クソとか女のくせに言うな」
「女のくせにとか、その考えもう古いですよ」
「古いとか言うな。俺と変わんないくせに」

真島先輩とは昔からこんな感じだった。男の後輩と同列の扱い。
「お前本当は女じゃないだろ?」って頭をワシワシされながらよく言われた。
当時真島先輩は、カナの同期入社の千恵と一時期付き合っていた。千恵は「一度は通る千恵さん」と言われる美人で、いつも違う男性からアクセサリーや服のプレゼントをもらっていた。社内でカナは千恵と一番仲が良い同期だった。千恵は退社してしばらくして結婚し、今でも年賀状だけはやり取りしている。千恵の実家が開業医で、千恵は医者と結婚した。真島先輩のこと、すごく好きなの、でも別れるんだ、親との約束だからって千恵は言った。千恵はカナの前では一度も泣かないで、最後まで笑ってた。
千恵に遅れて3年後、カナも会社を退社し、別の仕事を始めた。その後、当時の会社関係者と話していて、いつも真島先輩の話題が出たけれど、誰かとつきあっているとか、そういう噂は一度も耳にしなかった。

真島先輩はまだ千恵が好きなんですか?
千恵が一番だから今も一人なんですか?
言葉に出せない質問は、埃みたいに降り積もる。

「今の状態が収束したら、出張でそっち行った時オフラインで飲もうぜ」
「いいっすよ。事前に連絡して下さい」
カナはまた一口喉に流し込む。
でも、都合が合わないって断るかもしれないですよ、真島先輩。
直接会ったら、変な事言いだしてしまうかもしれないから。
デキナクナルマエニ、センパイト、シテミタイデスって。

読んでいただきありがとうございました! (^_^)/~