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[小説] 氷 空を翔ぶより大切なこと 2


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第二章  猫耳と朱鞠内


「ふう……、ただいま」
 やっかいな男子を見送って一人でマンションの四階に着いた私は、まず自分の部屋の暖房をつけて食堂に戻った。本棚にたたずむロボットの朱鞠内は私が現れても反応を示さず、といってそれは私が猫耳を着けていないためでしかない。
「今日はカステラが──、夜の七時半に届く? 何を晩ご飯にするつもり?」
 私は昼に研究所から一度帰ったお父さんのメモを読んで額に手を当てた。カステラは主食ではないと、少なくとも私は信じている。
「おやつかと思った。朱鞠内にでも食べさせるつもり?」
 もちろん機械がカステラ食べたら壊れる、たとえあのお父さんが造った物でも。人間が食べるしかない。
 私は自分で作ろうと考えた夕食をあと回しにして部屋に入り、机の上の猫耳に手を伸ばした。これって本当の名前何だっけと思いつつ、あたたかいフード付きのコートを脱いだらまだ寒い。飛翔くんは身体をしっかりあたためているだろうかと心配になった。ここで気にしてもしかたないのにね。
 さて、私が「猫耳」と呼ぶこの機械は、黒いヘッドフォンから上に三角錐が二つ飛び出たような形で、私自身の耳が「ヘッドフォン」に隠れて正しく猫になる。しっぽはないけど。
 ──アイドルなんかで自分の耳が出てる奴は邪道だって言おうと思ってたら、隠してんのかよ。
 最初に見たときに飛翔くんが悔しがっていた。邪道ってどういうこと?
 私は猫耳のスイッチを押して頭に着ける。髪が軽いだけに頭がずいぶん重くなったと感じるこの機械で微弱な脳波を読みとり、電圧を大幅に強めて無線で飛ばす。ロボットの朱鞠内には自動で電源が入ってあやつることができる。これは造ったお父さんにもできないといい、私の脳波にしか合わなかったそうだ。
『岬は黒猫、僕は朱鞠内。今日もぶいぶい変態よなあ!』
 システムを起動させた朱鞠内が普段通りのあいさつを口にした。ただ最後の言葉、本当は「天才」と言っているのに、無線の影響か遠くの町のラジオにも似たなつかしい機械っぽさが私に「変態」と聞き間違えさせてくれる。声自体は小学生の男の子みたいな感じ。
「まあ、『天才』もどうかとは思うけど」
 私が小さく吐き捨てると、本棚に押し込まれた朱鞠内は『ほら岬、早くここから出してよなあ! こんな狭い闇の中は嫌だよなあ!』とわめきだした。私は猫耳で朱鞠内をあやつるとはいうものの、実際に考えて判断するのは朱鞠内自身で、飼い主の私にあやつれるのはわずかな機能だけだった。
「出してほしければ、土下座でもすれば?」
 私は声に背を向けて険しく無茶を言った。ロボットといっても考えてしゃべるのが精一杯の朱鞠内は、土下座に限らず自力で動くことができない。例えば災害時に大活躍のかっこいい奴らとは違って何の役にも立たず、私があやつって〝あるもの〟を表示させてやるのだ。
『自由に動ける岬は僕の近くであっぷあっぷしてずるいよなあ』
 動けない朱鞠内が文句を言ってくる。
「何それ、本のくせにしょうがない子ね」
 私は本棚から「一冊の重い本」を取り出し、さっきまで猫耳があった机の上に置いた。さあ──、銅色で時計台のレリーフが彩る冷たい表紙を開く。
「一昨日読むのをやめた、飛び降りか……」
 一昨日の自分が広げていた白い情景が瞼に現れ、怖くて胸の鼓動が重くなってくる。でも、こんなものはあっさり通り過ぎなければ。
 朱鞠内の金属でできた表紙を除くページは固定された見開きの硝子ガラスで、表紙を開けば中身を正しく表示してくれる。といって世に出たすべての本ではないし、お父さんが知人のエンジニアからデータを手に入れてくるのだが、猫耳を通して私が念じた本の中身が自動的に表示され、どのページも自由に映して読める。これは唯一朱鞠内が役に立っていることで、作者や出版社、書店にきちんとお金が行っているのか、まだお父さんに訊けてなかった。無断で読んでいたらごめんなさい。
 ああ何だ、自殺しないのか。
「もうっ、人を憂鬱にさせといて!」
 私は手にハンドクリームを塗りながら猫耳であやつってページを替えていき、小説の展開に不満を述べたら『おやおや、それをうっかり読み始めたのは岬だよなあ』と朱鞠内に叱られた。
 実はこの声は「ヘッドフォン」部分ではなく、表紙にある口から発せられている。お父さんや飛翔くんにも聞こえ、逆に私自身の耳をふさぐ「ヘッドフォン」には穴があって外の音がさえぎられる心配はない。また、朱鞠内の目と耳も表紙に設けられている。機械としてはスピーカー、カメラ、マイクである。
 そうだ。今は本型ロボットに本棚から出してくれと頼まれただけで、深く読書につかるつもりはなかった。私は結局はそばにいないと文字が読めない朱鞠内を机に放置し、一旦はずそうと思った猫耳をそのままに部屋を出る。朱鞠内を生かすために毎日二時間は着けなさいと言われており、早くそれを消化したかった。今まで猫耳が一度壊れたとき以外は、その二時間をずっと守っている。
 私は大きく息を吐いて薄暗い食堂の椅子に腰かけた。わかってる、飛翔くんのために朱鞠内を乗り越えなければならない。
『岬、お話がとほほな感じだからって、僕をおいて死んじゃだめ!』
 朱鞠内が私の部屋で叫んでいる。
「うるさいな。私が死んだときはお父さんが猫耳着けてくれるよ」
 私の脳波にしか合わなかったのは無視だ。
『中年男の脳波なんかちっともおいしくないよなあ』
「食べる気か……、カステラ食べてなよ、悪趣味な無能ロボットめ!」
 ああ、こんなふうに冷たくするなんて元からやめるべきだしやめたい。猫耳を着けてるだけで恥なのに、感情に任せていじめるのはロボットとはいえ朱鞠内がかわいそうで自分が嫌だった。
 ただ──、
『ねえ岬、例のアプリもうかっきり捨てたよなあ』
 そのロボットの声が、私の鞄にひそむ例の人を浮かばせられるアプリを確認してくる。奴は私にいくらきつく当たられてもしつこく自分の意見を通そうとし続けるのだ。
「ナイーブアプリ、捨ててないけど何?」
 私は低い声で朱鞠内を突き放した。
『アプリはどろんしないとだめよなあ。ばかな岬のためにも』
 朱鞠内のほうは自分の出す雑音を楽しむように元気に答える、「どろん」は古いし「ばかな岬のためにも」って……機械が偉そうに。
 私は今度は子分を相手にせず、ふとこれも自分特有の〝ずれ〟なのかなと思う。もしかしたらいつも周りからずれていると言われる私は、そのずれがめぐりめぐって自分にこういったおかしな遊びに興じさせているのかもしれない。
 昨日のけんか中、飛翔くんに「初海は物事の受け取り方がずれてるんだよ、あんなささいなうそにかっとしてさ。うそもみんなのためになってるだろ!」と言われた。多くの生徒がやってこなかった課題を、先生の出し忘れだと口裏合わせさせられて怒った私。一人になって反省もしたけれど、うそをうそだと主張するのは間違いではないはず。
 私は学校ではずれたり埋もれたり、自宅に帰れば猫耳でそのずれのせいかロボットをいじめて自分が嫌に──、でももう一つ、私にはいなくなりたくなる大きな過去があった。
 だから飛翔くんに消してもらえばいいよ。
 過去──。
 私は脳裏に白い記憶の膜を見つけようと涙を流す夜を越え、あっという間にそれがかなうとは思えないほどの永い時間が経ってしまった。どちらにしろ、もう二度と取り戻すことはできないんだ。
 ふいに朱鞠内の声が私の揺れる意識を突き破った。
『あんな怪しいアプリ、すっぱり足洗って捨てなきゃだめよなあ!』
 怪しさでは十分肩を並べられるロボットのくせに、とは思っても言わない。それより私は、早く朱鞠内に許可をとるか強行するか決めてコンピューター探しを始めなければ。
『岬、聞いてる? ここばばんとテストに出るんだけど、きみの友達のペンギンもいじいじ持ってるよなあ。持つ前はうじうじだったなあ!』
 しつこいロボット、今度は飛翔くんを「テストに」ではなく話に出してきた。朱鞠内にまで「ペンギン」と呼ばれる彼の手には本人の気持ちはともかく人を消せるアプリがあり、どうも朱鞠内はそちらのほうを怖がっているらしい。
 反対に私が持つ彼を羽ばたかせるアプリは朱鞠内にとってさえ危険でも何でもなく、自分をどこか遠くへ飛ばしてしまうつもりかと疑ってはいたが、気にしているのはそんな物に頼る私の今後である。
 しかし私は、ナイーブアプリを手放すつもりはなかった。
「それで、やっぱり、強行──、しかないのかな」
 私は小声で自分を確かめて立ち上がり、朱鞠内のいる部屋に移動する。正直なところ説得は難しく、許可がとれるとは思えなかった。この本型ロボットはけして意見は曲げず、逆にいくら冷たくされても平気。私の説得なんか今までもそうだけど聞き流して応じないに決まってるし、それだけでなく強行してもきっと大丈夫だった。
「あーあ、もし猫耳をずっとはずしたままにすれば、こんなロボットに悩まされなくていいのにね……」
 ぐちを言った私は机に置き去りにしていたロボットをじとっと見つめる。その「顔」である本の表紙を机に伏せている朱鞠内は、私の目つきが見えない状態で『何だか視線がぺしゃんこで痛いよなあ』と返してきた。
 今の私の口調から判断したのだろうか、私はかまわず続ける。
「ねえ、お父さんに猫耳着けてもらいなよ」
『だから、僕はおっさんの脳波はしっしって言ったよなあ』
 私の提案も朱鞠内からの返事もさっきと同じではないか──いやいや、私には朱鞠内の「命」を消さないために猫耳を着ける以外の道は選べない。そして自分がよけい消えたくなろうとも、もう厳しく強行するしかなさそうだった。
「私、朱鞠内なんかに負けないから」
 私は机に手を伸ばして本を閉じる。表紙が上になったロボットは、歯ぎしりする私を狐みたいにけたけた笑った。笑えない狐にたとえるのはおかしいのだが、狐が笑ったらこれっていうか、そう思ってしまったからしかたない。
 とにかく私は朱鞠内にばかにされている。
「はいはいはい、勝手に笑ってなさい。私の脳波がそんなにほしいなら有料にするよ?」
 私はありえないことを口にして、いいか悪いか普段の自分の調子が戻ってきた気がした。
『じゃあアプリはちゃっちゃっと捨てるよなあ』
「捨てないよ。捨てないもんね!」
 朱鞠内をにらみつけ、さあ強行突破するんだ。私は腰の脇で握った両手がかすかにしびれるのを感じ、さらに力をこめていく。
「いい、聞いて。朱鞠内が何と言おうとアプリは持ってるし、アプリを動かすコンピューターも絶対見つけてやるから、私──」
 朱鞠内が『だめだよ!』と鋭くさえぎった。私は話を止めない。
「飛翔くんと決めたの。私は朱鞠内に決着つけるから飛翔くんは体調に決着つけるって、約束だから」
 咳をして震える飛翔くんの丸い背中が脳裏に浮かんできた。もう何度も起こしている症状とはいえ、彼は今ごろどうしているだろうか。今日のところは住宅地に出るまで見届けたから大丈夫だろうけど、重度の方向音痴である彼一人でのコンピューター探しはさすがに危ないとしか思えなかった。
『岬、僕は何よりきみのことを思って……、いいかい? きみは悪人が造った危ない代物にほいほい手を出そうとしてるんだよなあ。そしたらきみも同じ悪人よなあ』
 朱鞠内が私の頭の中を横切って生意気なことを言う。あんたねえ、と上からため息をつく私。
「どうして悪人って決めつけるのよ!」
『だって岬が持ってるのは遊びだけど、ペンギンのはむちゃばり武器よなあ? 僕は岬に人殺しに加担してほしくないんだよなあ』
 口調は極端でも、朱鞠内の声は落ち着き払っている。逆に私はかっとなって「わかってるくせに! 私は消される側の人間なの。人殺しと一緒にしないで!」と返したが、飛翔くんに消してもらうにしても自殺みたいなものだし、自分を殺すのも人殺しとすれば否定はできない。ではどうしたら──ああ説得じゃない、冷たくするのが嫌でも強行するんだった。
「ええと、だから、私は朱鞠内が何て言おうとかまわないんだから。もう強行するって決めたの!」
 私は表情のわからない本型ロボットの表紙に決意をぶつけ、今度は本をひっくり返した。裏表紙が上になって顔を伏せた状態の朱鞠内は何やらもごもご言っていたけれど、かまわず三十分も着けていない猫耳を頭からはずす。お父さんの茶髪のせいだと好きになれない褐色に光った髪が二本、床へと舞い落ちていく。
「ぐう……っ」
 気がついてみれば耳や手にずいぶん汗をかいており、私は朱鞠内にひどいことをしてずきずき痛む胸にそっと手を当てた。
「小説の自殺のところを読んだとき以上じゃない」
 騒がしい心臓を外からとんとんと優しくたたき、弱々しい笑みを浮かべて机の前の椅子にゆっくり腰を下ろす。ふとあの蒼い発電所の近くにある自殺の名所、翡翠ひすい色の沼のどこか焼いたパンを思わせるにおいがしたような気がした。
「小説は死ななかったけど、私は自殺のこと考えてどきどきして……、自殺するのかな。人殺しになっちゃうね」
 だとしても死にたい気持ちは変わらない。
 私は机の脇に倒れ込んだ鞄にそっと目を落とした。私にナイーブアプリを使うような人間になってほしくない朱鞠内は、この鞄の中にない人を消せるアプリのほうをより嫌っており、人殺しにならないでほしいらしい。でも本当は、その何倍も私が消えるのを恐れているのだ。私は最悪を望んでいる。
 しかし私は、あの世で重い十字架を背負うことを覚悟しているつもりだった。


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