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独身アラフォー女性の奮闘記#18 転職回数8回、現在9社目の40歳独身女のキャリアの話

私は飽き性である。本当にハマったものは長年追いかけるオタクでもあるが、それ以外のことへの情熱は、大概、持って半年くらい。おばさんになってきたからなのか、最近はもっと短いかも知れない。
しかも、思春期を海外で過ごし、大学もヨーロッパで卒業しているので、一般的な日本人の就活とか仕事に対する考えは、良くも悪くも持ち合わせておらず、卒業タイミングも日本の学生とは違ったので、「就活」というものの経験がない。

そんな私がどうやって同世代女性の平均年収を上まったサラリーを獲得したのか、意地と気分だけで動いてきた話でもしてみようと思う。


初キャリアでの選択ミスと職場解体

前述の通り、私は日本人学生とは別の時間軸で生きていたので、就活の情報が全くなかった。いや、少しは考えていて、日本企業にエントリーしようともしたが、とにかく面接の時期に日本に居られなかったので諦めた。NHKに金髪の証明写真で応募して、書類が通ったことだけはよく覚えている。
数十年後、友人がNHKに契約社員で入社した際、滅茶苦茶な目に遭って辞めていた時に、「あの時面接に行けなくて良かった」と心底思ったのはまた別の話。

大学卒業後、両親の住まう国に残る選択肢もあったが、マスコミ関係の仕事がしたかった私は、外国人であるというのがネックで、向こうでの就活は余りうまく運ばず、英語も喋れるし東京の方がなんでもできそう、という安易な気持ちと、当時、憧れだったバンドマンと春休みに帰国した際に仲良くなったので、夏以降も一緒に日本で過ごしたい!という下心から、日本に帰国することに決めたのだった。昔からちょっと頭悪いよな、私。

そんなわけで幼女の頃からの幼馴染の実家に居候をさせてもらいながら、フリーター活動をしつつ、就職先を探すことになった。当時、何も知らなかった私はハローワークで仕事を探した。そんな悪条件の仕事しかない場所で何をやっているんだ、と当時の自分を引っ叩くためだけに過去に行きたい思いは強いが、過ぎたことを嘆いても致し方なし。そこで紹介された、英語が使えるお仕事に就くことになり、原宿のジーパン屋さんのバイトを卒業した。
余談だが、そのバイト先の先輩から、後日新しい職場で働いている時に電話がきて、「OASISのリアム・ギャラガーが来店してて、英語対応できる奴いないんだけど今から来れる!?」と聞かれた時には、行きたさで職場のデスクを台パンしたのを覚えている。
リアム・ギャラガーを蹴ってまで(?)勤めていた会社は、悪条件すぎて1年足らずで転職した。転職先は、エージェントに紹介してもらって、外資系アパレルのバックオフィスで、お給料もかなり上げてもらった。過去の記事でも記載したが、カニエ・ウェストに遭遇した会社だ。

この会社では、かっこいい女の先輩社員がたくさん居て、当時20代前半だった私はめちゃくちゃ可愛がってもらった。皆とは、今でも数年に一度は集まっているが、毎回先輩の最初の一言が「苗字変わった!?」なのが面白い。会社はその後日本から撤退が決まり解散したのだが、先輩たちは大手外資系ラグジュアリーブランドに転職していった。全員超美人なのに、なぜか40代になった今でも誰も結婚していない。やっぱり、美人で仕事で稼げちゃう女性は日本では「嫁」としての需要がないんだろうな。愚かなオスども、見る目なさすぎて草。

そう、この仕事も、転職後早急に職場解体されたので、私はこのタイミングに、学生時代の夢だった仕事に就くチャンスを手にしたのである。
20代前半で既に2社経験していたが、まだまだ「第二新卒」的なバフはついていたので、この当時の転職は、転職エージェントからも案件の入れ食い状態だった。しかし、アパレルからメディアはキャリアチェンジになるので、エージェントに頼らず、この時は自力で転職をすることにしたのだった。


チャラキャリアの始まり

都内のラジオ局への転職が決まり、そこでは生放送でアーティストの対応をしたり、英語のニュース原稿を編集したり、ウェブサイトやSNSアカウントの運用をしたりと、色々なことを経験させて貰った。当時の同僚は、今では取締役になっていたり、仲良かった女の先輩は結婚出産で地元に帰ってしまったが、オタク活動中に地方で再会を果たしたりと、今でも交流が続いている。
とはいえ、20代でも帰国子女で生意気だった私は、自分の意見を言ったり、納得がいかなければ上司の言うことを聞かなかったりしたので、おじさん社員に厄介払いされるような形で、契約打ち切りになった。
その通達を聞いた時は悔しくて泣いたし、直属の上司からは「お前は頭が良すぎるから烏合の衆のこの会社ではやっかみの対象になってしまったのかも。守ってやれなくてすまん」と謝罪すらされた。でも、転んでもただでは済まさない私は、ここからキャリアアップをしていくことになる。

この時は、会社都合での退職だったのと、若年層支援みたいな制度で、失業保険を半年以上もらってプー太郎をしていた。やりたいことをやっても、辞めさせられるとかあるんだ、と学んだので、どういう企業に勤めるべきかをちゃんと調べたりもした。が、結局「30歳まではやりたいことだけやって生きて行こ」と言う結論に至り、音楽業界での仕事を探した。中途枠で応募したプロダクションの面接に引っかかったので足を運ぶと、新卒の皆さんと一緒に適正試験を受けたり、合同面接をさせられた。自己紹介がみんな「◯◯大学□学部3年」みたいな枕詞で進められていく中、私は「アマリリス28歳(当時)、無職」と言う自己紹介をしてやった。しかも、皆リクルートスーツなのに、私は銀座のスナック勤めかな?みたいな白のスーツだった。そりゃ目立つだろ。
まあ、就活気分を味わえたのと、業界的には上記のようなぶっ飛んだアマリリスの方がハマったのか知らないが、とんとん拍子に第二、第三面接とかまで進んで、「このアーティストの担当だったら入社してもいいかな」と思っていたアーティストがいたのだが、まんまとそのアーティスト担当になることで内定が決まった。

しかし、それからは地獄の日々だった。
お局様たちにいびられ、現場から締め出され、それでもなお、メンバーに気に入られ、お局嫉妬が更に厳しくなり、チーフマネージャーは鬱で飛び、その後別のスタッフもよく地方のライブ現場で行方不明になりそれっきり戻ってこないなんてこともあった。徹夜作業で22連勤したり、地方のフェス会場で誕生日ケーキを手配したり、生放送の20分前にあれがないこれがないと買いにパシられたりなんてこともあったが、憧れていた世界だったのでめちゃくちゃ楽しかったし、無理難題をこなしていくことでメンバーに気に入られていたこともあって、お局ババアを見返すこともできた。夢のような憧れの人たちに会ったり、お話する機会もあったので、満足度や充実感はとても高かった。
今でも、その職場の先輩や同僚たちとは飲み友達だけど、相変わらず大変そうで、懐かしさ以上に、同情心しか湧いてこない。

この職場に在籍中、海外事業を強化する、と言う目的で、TOEICで一定の得点を取得すると高額のボーナスが出る、という施策を社長が急に思いついた。私は最速でそのスコア獲得を達成し、ボーナスも貰ったので、その年の源泉徴収票額が有効なうちに、その給与ベースで転職を進めようと決意したのだった。その時、既に30代になっており、恋人も居たので、無理な働き方はしたくない、と思うようになっていた。その後、近しい業界で、音楽に携わる事業をしている会社に転職が決まった。前述の通り、お給料もその金額以上に釣り上げることに成功した。


チャラキャリアの終焉と虚無時代

既に5社目となるこの会社では、素晴らしい仲間に出会えたと同時に、クソみたいなゴミカス人間たちのクズみたいな嫉妬心で散々な目に遭わされた。今でもそいつらのことを「美人で頭が良くて仕事ができる人を蹴落とそうとすることでしか自我が保てない哀れなブスども」って思っている。
※プロフィールにも記載していますがアマリリス姉さんは口と性格が悪いです。

何はともあれ、この職場で同僚だった現友人は、戦友だし超絶良き理解者なので、あの会社に勤めて良かったなって思える理由になっている。そして、存命の中では人生の最推し様とお仕事をさせて頂いたのもこの職場なので、もうなんとでも言えって感じ。この仕事の前日にはご先祖様のお墓参りもしたし、帰り道はテンションがバグりすぎてエスカレーターを逆走しそうになった挙句、電車は逆方面に乗ってしまい、その日の夕飯の箸は逆に持っていたくらい情緒がぶっ壊れていた。でも、推しの視界に近距離で入るなんてちゃんとしないと!とか言って、仕事が決まってから当日まではめちゃくちゃダイエットもしたので、あの当時の私、すごく美しかったと思う。あの日に帰りたい。

そんな風に公私混同していたら、顔も心もブスな人達に嫌がらせをされたので、最推しと仕事をする夢も叶ったし、お給料も上がらないし、尊敬していた上司も辞めちゃったし、私も辞めることにした。
ここまで読んでいる方はお気づきだろうが、私の転職はほぼ、人間関係と条件が理由だ。そして、転職回数は多いが、実は英語ができるというだけで、30代半ばまでは、回数が多いことが不利だと感じたことはなかった。
英語喋れるようにしてくれた親に超感謝!とこの頃から思うようになった。20代の頃は、転職活動中に「あなたみたいな海外かぶれの人って日本語の読み書きは大丈夫ですか?漢字とか読めないでしょ。笑」などの圧迫面接をされたこともあったが、私は中学までは都内の進学校に通っていたので国語は大丈夫だったし、舐められないようにペン習字もやって履歴書の直筆は綺麗に書いていた。あの圧迫面接、超ムカついたな…社名出してネガキャンしてえ!!あの社長。

話を戻すと、この会社を辞めるときに、もう、憧れの人と仕事ができたし、好きな事はやり切ったので、あとはお金が欲しい、と思って、広告代理店に転職をした。プロパーだったら絶対無理だけど、ここでも英語ができるだけで入れた。部長がヤクザみたいだったが、喫煙所で仲良くなったら最強の味方になってくれた上司だった。仕事は世間の知る通りだいぶヤバかったが、超ドメな会社だけあって、その部署では英語ができる私にしかできない仕事がたくさんあったし、トリッキーなクライアントババア対応はかつてのお局で慣れているのですぐに懐柔して仲良くなったりして、結構面白かった。世間では色々と言われてはいるが、大きな会社なので、それなりに優秀な人もたくさんいて、そういう人たちと仕事ができたのは勉強にもなった。

この職場で仲良くなった同世代の女友達が、今は脱サラしてバーを経営している。そのお店にはたまにバイトで手伝いに行っているけれど、結局は、どの職場も仕事の内容じゃなくて、人脈と出会いにたくさん助けられてきたなって実感している。


枯葉時代の到来

代理店の仕事は、勉強にはなったけど、それまでのキャリアと比べてもやり甲斐は全くなかったので、2年ほどで見切りをつけて、契約更新をやめた。その時、知り合いの会社からマーケマネージャーの引き抜きの話を、貰っていて、キャリアアップになるので即決で転職した。お給料と肩書きが上がれば、次につながると思ったからだが、この職場は中身がヤバすぎて数ヶ月で退職して、同じビルに入っている別の会社に転職した。
この辺りの時代の話は以下の記事に少しだけ書いてあるので、参考にしてみてほしい。

で、このヤバい数ヶ月を経て転職した先も、ホワイト企業を装った大ブラック企業だった。私は、これだけ多くの転職をしてきてもなお、在職中に給与が下がる、ということを経験したことがなかった。だが、この会社は、従業員が絶対に達成できない売り上げ目標を立てた挙句、達成していないからと給料を下げると言い出したのだ。その話が出回り始めた頃には既に、私の心も体も限界だったので、下げ交渉の前に転職したのだが、残った同僚は本当に、給料が下げられたと憤っていた。その人も後日転職している。
この日本社会で、女性がここまで(一般女性平均の数百万以上)のお給料を稼ぐために、それまでに何年もかけてしてきた努力をそんなクソみたいな会社に潰されてたまるか、という一心で、私は今の会社に転職をしたのだが、さすがに40歳目前、転職回数多すぎマンだった私は、書類すら通らなくなっていた。
そして、唯一書類が通った今の会社に対してすら「こんな私でも面接したいくらい人がいない会社ってヤバそう」と思っていた。実際は、ベンチャーだからまだまだ規模が小さいし、人の新陳代謝が激しい状況だったわけだが、それでも、今も求人を出しても全然応募が来ないので、「この会社、超ホワイトですよ!」と声を大にして言いたい。しかし、英語でのビジネス経験必須で実務がこなせる人って本当に少ないから、なかなか良き人材とは巡りあえないでいる。


その時々の自分にあった条件で働く

さて。面接での口八丁と英語というスキルだけでここまで生き残ってきた私だが、人生において、その時間に適切な条件や気持ちで働いてこれたと思っている。若い頃はがむしゃらにやりたいことや好きなことを全うするために動いていたし、大人になってからは経済とかプライベートとかも考えるようになった。
転職する理由は「あいつ嫌い」とか「こんなに働いても給料上がらないのムカつく」とか「疲れた」とか「飽きた」とかの感情論でしかなかったけれど、本田圭佑も言ってたじゃん。お給料を上げたいなら結果を出して転職しろって。私はそうしてきた。日本社会では一般的ではないレベルで転職回数も多いけれど、今の日本でお給料を上げ続けて生きてきたことは自慢でもある。

もう当分転職はしたくないけど、ちょっと仕事に飽きてきていたので、友達に「転職しよっかな」って言ったら「今の会社くらい楽な仕事なんてそうそうないよ、転職やめな」って諭された。大正解だ。
私の場合は、やりたくないことを仕事にしているのではなくて、もはや仕事自体をしたくないだけだ。だから、どこに行って何をしてもやりたくなさそうだし、結果、1年の大半をゆっくりのんびりできている今の仕事が今のところは最善の選択なんだろう。仮に忙しくなっても、タスクのレベルとしては難易度が高いわけではないし。

私がよく言っているのは、「働き方も、働く理由も人それぞれだから、別に転職回数が多いからって気にしない」ということ。もちろん、面接で退職理由を聞かれた時にうまいこと伝える技術は必要だが、そんなのはどうにでもなる。転職したいけどできない人は、したくない理由がどこかにあるし、転職に失敗したとしても、失業保険や、最悪生活保護という制度があるのだから、上手に活用しながら生きていけばいいと思っている。
自分が辞めたら誰かが困る、なんて知ったこっちゃないんだよ。私の人生、私が一番大事だから、自分さえ困らなければいい。経営者だったらその考えはダメだけどね。
労働契約なんて利害が一致していないと成立しないんだから、搾取されるくらいなら辞めたほうがいいっていうのがアマリリス的な私見だ。

私は将来、日本が経済的になのか物理的になのか、沈没することになっても、別の国で生きていける力があると思っているので、その時々の環境によって条件を変えることは大事だと思う。いつまでも、「今」が続くわけじゃないのが私たちの生きている時代の特徴だから。仮に英語ができなかったら、コンピューター言語を学んだり、投資を学んだりして、別の生き残り方を考えていただろうし。そういう意味でも、情弱ではなく情報強者の側に片足だけでも突っ込んでおかないと厳しいかなって考えたりもする。

とりとめもなくなってきたのでこの辺にしておくが、お給料は転職すれば上がるし、お給料の上がらない転職は無意味だし、居たくない職場にいつまでも居続けるのは時間の無駄。

人間関係も一緒だ。男でも友達でも高め合える相手じゃなかったら縁はいずれ切れるし、一緒に居たくない人とずっと一緒に居るのも時間の無駄。
もう、人生の半分終わってるし、残りの人生の方が圧倒的に華がない枯れゆく道だから、さっさと見切りつけていこうぜ。

あ、キングクリムゾンさんが最近ちょっと可愛い話はまた別の機会に。

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