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独身アラフォー女性の奮闘記#1 私の30代 あらすじ

瞬きをするように、30代が過ぎ去っていった

振り返れば、随分と愉快な30代だった。
それ以前を2、3行にまとめると、15歳で海外の寄宿学校に放り込まれ、親元を離れて孤独の中で生き抜くために努力し、20代は社会に対する憤りと怒りにまみれてエネルギッシュに駆け抜けた。そんな私の低迷期とも言える30代をかいつまんでハイライトしてみようと思う。


30代前半、やっぱ恋愛向いてないから仕事に生きた話

30歳になった時、「30代で一番モテるのは30歳!」と豪語しつつも、休むことなく仕事に没頭し、深夜に仕事を終えては同僚と飲み歩き、時にはひとりでも行きつけに足を運び、朝は少しの寝坊と二日酔いでぐだぐだと出勤する、男っ気のない日々を過ごした。20代の頃から、憧れの仕事ができていたので、それでも充実した毎日だった。

30歳のクリスマスの日、ひとりで行きつけのお店で飲んでいた時に隣の席に座った男性と、その後お付き合いを始め、同棲をし、家出され、音信不通になり、仕事終わりに彼の職場の前で待ち伏せをしてとっ捕まえて問い詰めたり、そのまま相手の居候先で押し倒されて仲直りして、家に引き戻したりしているうちに数年が経った。
彼からは、一緒に暮らし始める前に結婚しようと言われていて、もう少し時間に余裕が持てる仕事へ転職もしていた。結局恋も、その仕事もうまく運ばず、私は広告代理店に転職をすることになった。

男と別れた後は、また随分と仕事が忙しくなったけれど、お金を持て余したアラサーOLオタクとして、忙しい合間にも全国を飛び回り、推しのライブ翌日、帰りの飛行機の中でその日の夕方の会議に呼び出されて羽田から会社に直行しなければいけなくなってしまったり、その現実が嫌すぎて機内で嗚咽して、同行していた友人と前の席の乗客をドン引きさせたりもした。
北海道のフェスに行くために有給休暇を取った時も、事前にアナウンスしていたにも関わらず、クライアントから緊急対応の電話が入り、フェス会場のテントの中でPCを広げて作業にふけって同行した友人達に酷く気を使わせてしまったこともあった。


仕事に忙殺されて生きる屍と化した30代後半

30代も後半に差し掛かった頃、知人の会社からマーケティングマネージャーとして引き抜きの話をもらい、職位も年俸も上がるので一つ返事で転職を決めた。年始からの入社だったのだが、上長にあたる女性との業務の打ち合わせでその年の年間マーケ予算とKPIの確認をした所「予算は都度、社長に相談です。」と言われ、あれ?この会社大丈夫かな…?と一抹の不安を抱えたスタートを切った。
結局、その上長の女性は社長がラウンジから水揚げしてきた何もできないお綺麗なだけの方だったことと、KPI達成のためのマーケ活動に必要な予算の承認が一生おりず、社内無職みたいな状態が続いたことがきっかけになって、数か月で転職を決めた。なんなら、終業後に同じビルの上層階にある会社の面接を受けたところ、スムーズに内定が出たので転職を即決したが、ビルの喫煙所や飲食店で前職の人達にその後も遭遇し続けるという生活を、2年近く続けた。

その上層階にオフィスを構えている会社で30代後半の老体に鞭を打って、20代後半の頃を彷彿とさせる深夜残業に次ぐ深夜残業や、取締役からのゼロ営業日翻訳依頼が重なり、次第に心が病む感覚を、生まれて初めて味わった。
また、上司が自分より私の方が仕事ができるという脅威から業務の一切をネグレクトしてくることもあったし、匿名で同僚と思わしき人物から早く辞めろというような内容が記載された嫌がらせメールが送られてきたこともあった。
極めつけは、コロナ禍だし、英語対応ができる人が他にいない、という理由からほぼひとりで外資系の案件を担当させられ、年末のキャンペーンに向けて日々通勤・出社したことで、最終出勤日とされている日の前日にコロナ陽性が判明した時に、英語対応できる人が他にいないからと引継ぎを拒否され、在宅で仕事をさせられた時に、もう限界だと感じた。しかもその時の人事担当者の対応がまるで「コロナになんか罹りやがって」と言わんばかりの態度と言動で、正直大人ってこんな泣き方するのかな?っていうくらい幼稚園児みたいにしゃくりあげて泣きながら、在宅で年末のキャンペーンの準備を進めた。

社長が従業員を物理的に殴る、といった類のブラック企業も経験してきた私ですら、この時の勤務先は、私史上、ブラック企業カテゴリーで不動の1位として語り継いでいる。


物理的に荒波に揉まれて開眼した話

しかし、当時は転職活動をする時間も取れないくらい忙しかったので、枯葉に擬態した虫のような気持ちでカサカサと生きていた。
そんな最中、30代前半に同じ職場で働いていた戦友から、「マンボウ明けに沖縄行こうよ」と旅行に誘われたので、こんな仕事意地でもブッチしてやる!と息巻いてリゾートしに飛んだ先で、荒治療とも思えるような出来事があった。

実は、私は泳げない。子供の頃、今だったら100%アウトな児童虐待系スイミングスクールに通ったことがあり、その経験から、プールが大嫌いだったからである。が、「せっかくの沖縄なんだから」と、旅行初日の午後、友人の勧めでシュノーケリングに挑戦することになった。当日は波が高く、あまりおすすめできないとお店からは言われたけれど、当日で返金対応もないとのことで、洞窟のシュノーケリングツアーを強行した。
その日は、普段なら潮が高くないため足がつくルートで行ける洞窟に、泳いでいかないといけないらしかった。ライフジャケットを着ているとはいえ、私は足がつかない海で泳いだことがない。でも好奇心が勝った。私は躊躇なくボートから海に飛び込んだのである。そして、東映のオープニングかな?というレベルで崖に波が打ちつけている海を必死に洞窟まで泳いだ。大半はお店のお兄さんに引っ張ってもらっただけだけど。

外の荒れ狂う波とは裏腹に、洞窟の中は凪で、私はお魚と一緒に端っこでうつぶせに浮かびながら、潮が落ち着くのを待った。
帰りもボートまでは波に揉まれたものの、我ながら高めの順応力を持ち合わせているので、なんとか人生初シュノーケリングから帰還することができた。帰りの車の中で、友人に「事前に言えなかったけど、泳ぐのと海が好きな私でもビビった。あれが初シュノーケリングとかマジでごめんね…」と平謝りされた。友人のお気持ちとは裏腹に、正直事件すぎて面白いから良いよって気持ちの方が大きかったし、かつて「ブリジット・ジョーンズより面白い」と謳われた私の人生に、またひとつおもしろエピソードが増えただけだからいいよーってことで、その夜は宿泊先のちょっといいホテルのベランダで、ふたりで爆笑しながらお酒を飲んだ。

その時のお酒が良くなかったのかも知れない。そこで私たちは何故か喧嘩した。いや、何故かっていうか、私が急にへそを曲げた。だって、「仕事がそんなに嫌ならさっさと辞めなよ」ってしつこく言われたから。
あの当時は、本当に時間もないし気力もなくて、転職したいけどできないなっていう状態だった。精一杯の反抗心で沖縄には行けたけど、それ以上を考えられなかった。
でも、心を許している友達にそう言われたことがずっと心に残っていたお陰なのか、後日、「40歳を目前にして、生まれて初めて海に飛び込んで、今まで避けてきた水遊び(と呼ばせてほしい)に挑戦することができたし、それを楽しめたんだから、私は現状を打破して、夏までにちゃんと仕事を辞めよう!」と決意し、友達にもそう伝えた。

20代、30代は、会社のネームバリューや、業務内容にこだわってきたけれど、この時は、純粋に年俸・カルチャー・人を重視した転職になった。正直、30代後半で転職回数が6~7回もある私は、とにかく書類すらなかなか通らなかったけれど、今の職場は唯一面接まで進めた会社だった。
とにかく前の仕事を辞めたかったから、興味のないポジションだったけれど、面接を受けてみたところ、好印象だったし、とんとん拍子で内定を頂いたので、宣言通りに夏には転職していた。有言実行できた自分を、ちょっと誇らしく思ったりもした。
比較対象になる企業を受けていなかったから、入社後合わなかったらどうしよう、という懸念もあったが、当時は「これだけ転職回数が多いと、あと1回2回増えてもどうせ一緒だし、合わなかったらまた転職すればいいや。これはもう、転職ガチャです。SSR来い!」くらいの気持ちになっていたのも事実。それに、この年になるとあんまり細かいことに動じなくなっているし、「私は仕事ができるおばさんなんですよ」という自負はあったから、とりあえずやってみよっか、という気楽な感じでジョブホッピングしてやった。

そして今はその転職先でのんびりと、40代の腰掛けお局様くらいの心持ちでお仕事をさせて頂いている。自称腰掛けでも、数字はそれなりに作っているので文句は言われないし、上司や経営陣も同世代で気が合うし、外資なので人間関係もいい意味でドライで、居心地はとても良い。
忙しいなって思うこともあるけれど、30代の頃の、あの寝る暇もない忙しさに比べたら鼻くそみたいなものだし、お正月も休みの間に取引先から何かを催促されることもないし、社内の人の尻ぬぐいもしなくていい。
心穏やかに、ホワイト企業の有難みを噛みしめている。


40歳、決別の予告

そんなこんなで仕事が安定したことで、プライベートも以前より丁寧な暮らしができるような気がした。
でも、運命は残酷なんだ。
40歳を迎えた2022年の5月の時点では、こんな日が続いたらいいなって、私は呑気に過ごしていたけれど…。
お別れは、例にもれず私にも突然訪れたのだった。

次回、私の人生におけるかけがえのない存在との出会いと別れまでを、備忘録として書き殴って行く予定。


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