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1月12日ブログ 〜「計画」と「機会」〜

効率的に過ごしたい、という気持ちは皆さんありますよね。出来るだけ無駄を省いて、スムーズに生活や仕事をしたいと思います。
例えば、皿洗いにしても洗濯畳にしても、スムーズに行くと気持ちがいいものです。

でも、効率的にしようとすればすれほど、それはある意味「息苦しくなる」かもしれません。ルールを細かく作りすぎて、自由度を失うこともあります。

例えば、定時の掃除。10時にしたら次は12時。これは一見仕組みとしてはいいかもしれません。しかし。その時間にやるから、それまでやらない、汚いまま放置するということも起こり得ます。

よって「計画」と「機会」を分けて考える必要があります。

例えば教育もそうでしょう。
毎月月末に勉強会をやりますと「計画」的に行う場合、「月末に毎月勉強しているからこれで十分」と感じてしまうと、タイムリーな課題に向き合うことに距離感を生じることになります。本来は計画にない「都度の課題」に対しては「機会的」に向き合う必要があるからです。

効率的に仕組化しすぎると、本来のこういった機会的な時間の運用や積極性を失うリスクもあると思います。

よって仕組みを考えるときにも、「計画」と「機会」を並行して考えることが有効と考えます。

先ほどの例で言うと、教育は計画教育と機会教育に分けて考えます。
毎日の終礼時に「今日はここがみんな良かったね、でもこうやると更にいい。それをやるには・・・」と、さっと教育することも大事です。当たり前にやっていることも多いと思いますが、それも仕組みとして考えた方がいいと思っています。

むしろ、こう言った機会的な対応こそが管理職には必要とされていると思っているので、計画立てて、その計画通りにやればいいのであれば誰でもできるので大したことではないとも思うんです。

だから、本来、年間計画を立てて効率的に教育をする場合も、それは効率的に勉強をしているのではなくて、ただ予定の型にはめただけで、管理職が考えなくなった片手落ちの状態とも思えます。

ただ、機会教育を全くしない上司はほとんどいないので、そういった事態は実際はほとんどありません。ただここで言いたいことは、他にも掃除にしても、経理にしても、戦略分析にしても、それはある一定の計画の中だけで行うものばかりではなくて、常に「機会的」な側面を探ることがいいと言うことです。

機会的に物事を考えられる人が、本来は管理者に向いているのではと思う次第です

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