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「『批判する人は中身読んでいない』脅迫されたトランスジェンダー本監訳者『学術価値高い』」(産経新聞電子版, 2024/4/4 11:00)を基にした再論考


1. はじめに

1.1 問題の所在と本論説の目的

近年、トランスジェンダーの人々の人権をめぐる議論が国際的に活発化しています。自認する性別と出生時に割り当てられた性別が一致しないトランスジェンダーの人々は、長きにわたり偏見や差別に晒されてきました。医療アクセスの確保をはじめ、雇用や教育の場での不当な扱いなど、基本的人権の享受を阻む様々な障壁が立ちはだかっているのが実情です。

こうした中、欧米を中心に、トランスジェンダーの権利擁護を求める運動が高まりを見せています。世界保健機関(WHO)が2019年に「性同一性障害」を疾病分類から除外したことは、トランスジェンダーを疾患ではなく、性の多様なあり方の一つとみなす理解が広がりつつあることの表れと言えるでしょう。同時に、トランスジェンダーの医療的・社会的支援のあり方をめぐり、活発な議論が展開されています。

しかしながら、トランスジェンダーの人権をめぐる議論は、しばしば感情的な対立に陥りがちです。特に近年では、若年層のトランスジェンダーへの医療的介入のあり方をめぐり、意見の相違が見られます。早期の医療的介入によって当事者の苦痛を和らげるべきとの立場と、介入の長期的影響への懸念から慎重であるべきとの立場が対峙しているのが実情です。

こうした中で話題を集めているのが、本論考で取り上げる書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」です。同書は、トランスジェンダーの少女たちへの安易な医療的介入の問題点を指摘する内容となっており、日本でも翻訳書の刊行をめぐり賛否両論の議論が巻き起こりました。同書の主張の是非はさておき、この議論の過程で、トランスジェンダーの置かれた困難な状況への理解が置き去りにされている印象は否めません。

本論説の目的は、このように錯綜する議論の背景を整理しつつ、トランスジェンダーの直面する困難の諸相を多角的に考察することにあります。医療アクセスの問題をはじめ、差別の実態など、トランスジェンダーの置かれた状況を、客観的なデータに基づいて明らかにします。その上で、「トランスジェンダーになりたい少女たち」の内容を批判的に吟味し、提起された論点の問題点を指摘します。

さらに、トランスジェンダーの尊厳を守り、包摂的な社会を実現するために求められる取り組みについても論じます。医療的支援のあり方から、差別解消に向けた法制度の整備、社会啓発まで、多岐にわたる論点を体系的に考察します。その際、トランスジェンダー当事者の声を十分に踏まえつつ、建設的な議論を促進するための方策についても探ります。

性の多様性をめぐる問題は、一個人の生き方の問題であると同時に、社会のあり方そのものが問われる普遍的な人権の課題でもあります。安易な二分法に陥ることなく、現状を多面的に分析し、様々な立場の声に耳を傾ける。それは容易な道のりではありませんが、排除や抑圧のない社会を築くために避けては通れないプロセスだと言えるでしょう。

本論説が、トランスジェンダーの置かれた困難な状況とその背景について理解を深める一助となるとともに、誰もがありのままの自分を肯定できる社会の実現に向けた建設的な議論の端緒となることを心より願ってやみません。

1.2 書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる議論の背景

書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」は、2020年に米国で出版され、トランスジェンダーの少女たちへの安易な医療的介入の問題点を指摘する内容となっています。著者のアビゲイル・シュライアー氏は、ここ数年で急増している思春期の女子青年のトランスジェンダー化の背景を探るべく取材を重ね、周囲の過剰な後押しによって医療的介入が拙速に進められている実態を浮き彫りにしました。

同書の刊行は大きな反響を呼び、トランスジェンダー当事者やその支援者からは、トランスジェンダーを疾患視する内容だとして強い批判が寄せられました。医療的介入を望むトランスジェンダーの存在を無視し、トランスジェンダーを「流行」として矮小化するものだというのが、批判の主な論点です。

他方で、同書の主張に一定の理解を示す声もありました。トランスジェンダーの医療的介入については慎重であるべきとの立場から、拙速な判断がもたらす弊害を危惧する声が上がったのです。特に、性自認の揺らぎが大きい思春期の若者への不可逆的な医療的介入については、将来的な影響を見据えたより慎重な判断が求められるとの指摘もなされました。

こうした賛否両論の議論が交錯する中、同書の日本語版の刊行をめぐっても論争が巻き起こりました。とりわけ、精神科医の岩波明氏による書評が大きな注目を集めています。岩波氏は、同書を「非常に丁寧に書かれた学術的にも価値のある本」と高く評価し、批判する人々の多くが「中身を読んでいない」と苦言を呈しました。

しかしながら、この岩波氏の見解には大いに疑問の余地があると言わざるを得ません。確かに、トランスジェンダー医療については慎重であるべき側面があることは事実です。しかし、だからと言って、トランスジェンダー当事者の切実な訴えを軽視し、医療的介入を一概に危険視するような議論は、当事者の尊厳を著しく損なうものだと考えます。

また、岩波氏は「トランスジェンダーの問題は、人権の問題ではなく医療の問題だ」とも述べていますが、これは医療と人権の問題を安易に切り離す論法だと言わざるを得ません。トランスジェンダーの抱える困難が医療的な課題に収斂されるものではないことは明らかであり、社会の偏見や差別、法制度の不備など、人権課題が山積しているのが実情です。こうした複合的な課題への理解なくしては、トランスジェンダーの直面する困難の本質を捉えることはできないでしょう。

加えて、同書への批判者の多くが「中身を読んでいない」とする指摘も、十分な根拠を欠くものと言えます。トランスジェンダー当事者の間でも、書籍の内容を吟味した上で、様々な観点から同書の問題点が指摘されているのが実情だからです。

こうした議論の背景には、トランスジェンダーの置かれた困難な状況への理解不足があるように思われてなりません。センセーショナルな話題に飛びつきがちな昨今の風潮の中で、当事者の声に真摯に耳を傾け、複雑な現実に向き合う姿勢が置き去りにされている印象は拭えません。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる一連の議論は、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる私たちの認識のあり方そのものを問い直す契機となるはずです。特定の立場に与することなく、トランスジェンダー当事者の声を起点としつつ、医療のあり方から社会の意識、法制度の問題まで、包括的に現状を捉える視座が今こそ求められていると言えるでしょう。

以上のような問題意識から、本論説では、「トランスジェンダーになりたい少女たち」で提起された論点を批判的に吟味しつつ、トランスジェンダーの置かれた状況を多角的に考察してまいります。医療と人権の問題を架橋する視点から、トランスジェンダー当事者の尊厳の確保に資する建設的な議論を展開することを目指します。

2. トランスジェンダーの医療的側面

2.1 トランスジェンダー医療の現状と課題

トランスジェンダーの人々にとって、医療は切実な問題です。自認する性別で社会生活を送るために、多くの人がホルモン療法や性別適合手術を必要としています。しかし、こうした医療サービスへのアクセシビリティの確保や、医療従事者の理解不足など、様々な課題が指摘されているのが現状です。

日本における性同一性障害の診断と治療ガイドラインは、1997年の初版発行以来、数度の改訂を経て治療法の標準化に寄与してきました。特に2018年に性別適合手術の健康保険適用が認められたことは、アクセス向上の重要な一歩でした。しかし、性別適合手術とホルモン療法の併用が混合診療とみなされ、保険適用外となる問題や、認定を受けた限られた病院でのみ治療が可能であることは、地理的な制約も含め、多くの当事者にとって大きな障壁です。これらの課題は、性別違和を抱える人々への包括的でアクセスしやすい医療提供体制の構築を求めるものです。

加えて、トランスジェンダー医療に関する医学的知見は未だ発展途上にあり、ホルモン療法の長期的影響など不明な点も多く残されています。医療従事者の中にも、トランスジェンダーに関する理解が十分でない場合があり、当事者が不適切な対応を受けるといった問題も指摘されています。医療アクセスの拡充と並行して、医療従事者への啓発・研修等を通じ、適切で良質なケアが提供される体制の整備が急務と言えるでしょう。

こうした課題の背景には、日本の医療政策や医学教育におけるトランスジェンダー医療の位置づけの曖昧さがあると指摘できます。2018年に改訂された「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」では、「性別違和」という用語の導入など一定の改善が見られましたが、トランスジェンダー当事者のニーズを十分に反映したものとは言い難い側面があります。医療政策の立案過程により当事者の声を反映させるとともに、医学教育におけるトランスジェンダー医療の体系的な位置づけを進めることが肝要だと考えます。

一方で、岩波氏は「トランスジェンダーの問題は医療の問題」だと述べていますが、これには大いに疑問の余地があります。確かに医療アクセスの確保は喫緊の課題ですが、トランスジェンダーの抱える困難が医療の問題に収斂されるものではありません。社会の偏見や差別、法制度の不備など、人権課題が山積しているのが実情だからです。医療の問題を社会的文脈から切り離して論じることは、トランスジェンダー当事者の置かれた複合的な困難を矮小化しかねないと言わざるを得ません。

2.2 医療的支援の重要性と慎重さの両立

トランスジェンダーの人々にとって、医療的支援へのアクセスは自認する性別で生きていく上で欠かせない基盤となります。トランスジェンダー当事者の多くが強い性別違和を抱えており、医療によってそれが緩和されることで、心理的苦痛が和らぎ、生活の質の向上につながることは疑いありません。また、身体的な変化は、法的な性別変更の要件ともなっており、医療アクセスの確保は、トランスジェンダーの基本的人権の保障という観点からも重要な意味を持ちます。

他方で、安易な医療的介入への慎重論も根強く存在しています。トランスジェンダーの医療については不可逆的な処置も多いため、介入の是非の判断を誤った場合の影響は計り知れません。特に、児童・青年期においては、性自認の揺らぎも大きいことから、成長の過程で医療的介入を望まなくなる可能性も視野に入れる必要があるでしょう。

したがって、トランスジェンダーの医療的支援に際しては、画一的なプロトコルの適用ではなく、本人の意向を丁寧に汲み取りつつ、包括的なアセスメントを行うことが肝要だと言えます。身体的側面のみならず、心理・社会的側面も含めた慎重な見立てが求められるのです。多職種連携によるチーム医療体制の下、中長期的な視点から必要十分な介入を見極めていく姿勢が欠かせません。

ここで問題となるのが、「トランスジェンダーになりたい少女たち」に見られるような議論の立て方です。同書では、拙速な医療的介入の弊害が強調される一方で、医療を必要とするトランスジェンダー当事者の声への言及が手薄なのは否めません。医療的介入への慎重論は重要ですが、だからと言って当事者のニーズを軽視するような議論は本末転倒だと言わざるを得ません。

岩波氏は同書を「学術的にも価値のある本」と評価していますが、トランスジェンダー当事者の視点を十分に反映しない議論を是とすることには大きな違和感を覚えます。医療的介入の是非は、あくまでトランスジェンダー当事者との対話を起点として、個別のニーズに即して慎重に判断されるべき事柄なのです。

2.3 医療アクセス確保と包括的支援の必要性

以上のように、トランスジェンダーの医療的支援をめぐっては、アクセス確保と慎重な見極めのバランスを取ることが肝要だと言えます。しかしながら、現状を見る限り、アクセスの確保も介入の慎重さも、十分とは言い難いのが実情です。

トランスジェンダー当事者の医療ニーズに応えるためには、まずは専門医の育成や治療拠点の整備など、医療提供体制の拡充が急務と言えます。同時に、ガイドラインの策定や診療報酬上の措置など、医療行政の側からの支援も不可欠でしょう。こうしたハード・ソフト両面での環境整備なくしては、トランスジェンダーの医療アクセスは覚束ないと言わざるを得ません。

また、医療的支援と並行して、生活全般に関する相談支援や、周囲の理解を促すための働きかけなども欠かせません。就労支援や社会生活上の様々な困りごとへの寄り添い、教育現場や職域での啓発など、医療の枠を超えた包括的な支援が求められるのです。

こうした包括的支援の必要性を考えれば、岩波氏の「トランスジェンダーの問題は医療の問題」との認識の偏りは明らかだと言えるでしょう。医療アクセスの確保は重要な課題ですが、それはトランスジェンダー支援のほんの一端に過ぎません。

トランスジェンダー当事者の尊厳を守るためには、私たち一人ひとりがトランスジェンダーをめぐる複合的な課題を自らの問題として引き受け、それぞれの立場から息の長い取り組みを続けていく必要があります。医療従事者によるケアの質の向上はもとより、心理・福祉的支援の充実、社会の意識改革に向けた地道な啓発など、多岐にわたる課題に向き合わなければならないのです。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる議論に象徴されるように、トランスジェンダー医療への理解はいまだ発展途上だと言えます。しかし、医療と人権の問題を切り離すのではなく、トランスジェンダー当事者の抱える困難を包括的に捉える視座に立つことで、より実効的な支援の在り方を探ることができるはずです。

医療的支援の意義と課題を踏まえつつ、より広い社会的文脈の中でトランスジェンダーの権利擁護を進める。そうした複眼的な認識こそが、岩波氏をはじめとする関係者に強く求められていると言えるでしょう。医療アクセスの確保は言うまでもなく、社会の隅々に潜むトランスジェンダー差別の解消に向けて、私たち一人ひとりが意識改革と具体的行動に踏み出すことが何より重要だと考えます。

3. トランスジェンダーの人権的側面

3.1 トランスジェンダー差別の実態

トランスジェンダーの人々は、医療面のみならず、社会生活の様々な場面で深刻な差別に直面しています。2000年代以降、各国で次々と性的マイノリティの権利保障が進む中、日本でも一定の前進は見られたものの、トランスジェンダーに対する差別の実態は今なお深刻だと言わざるを得ません。

雇用の場では、性自認に基づく服装や言葉遣いを理由とした不当な扱いが後を絶ちません。採用面接時のアウティングによる不利益や、職場での嫌がらせなど、様々なハラスメントも頻繁に報告されています。教育現場でも、校則等による画一的な性別分けが、トランスジェンダー生徒の困難を増幅させている実情があります。

法制度の整備の遅れも、差別を助長する大きな要因となっています。2004年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行され、一定の要件の下で戸籍上の性別変更が可能となりましたが、要件の厳しさゆえに利用は限定的です。雇用や住居など、生活のあらゆる局面で、性別二元論に基づく不合理な取り扱いが横行しているのが実情だと言えるでしょう。

さらには、トランスジェンダーであることを理由とした暴力や嫌がらせも深刻な問題です。近年ではSNS上の誹謗中傷も深刻化しており、差別の温床となっているのは看過できません。

こうした差別の背景には、いまだ性の多様性への理解が十分に広がっていない現状があります。トランスジェンダーを男女いずれかの枠組みに無理矢理当てはめようとする意識や、異性愛を前提とした社会規範の強固さが、マイノリティを排除する土壌となっているのです。

しかし、ここで見逃してはならないのが、差別の解消に向けた取り組みの広がりです。近年、トランスジェンダー当事者による手記の出版や、当事者団体の活動の活発化など、社会の意識改革に向けた様々な動きが起こっています。こうした息の長い営みの積み重ねこそが、差別の芽を摘み取る原動力になると期待されます。

3.2 人権尊重の必要性と具体的な取り組み

トランスジェンダーに対する差別は、彼らの尊厳を著しく損ない、生存そのものを脅かす重大な人権侵害です。その解消は、人種、民族、宗教など他のマイノリティの権利擁護と同様に、我々社会の責務と言えるでしょう。多様な生き方が尊重され、誰もが自分らしく生きられる環境を整備することは、民主主義の基盤を成す営みでもあります。

差別解消に向けては、まずは法制度の整備が不可欠です。現行の男女雇用機会均等法をはじめとする各種法令で、性自認や性表現に基づく差別の禁止を明記するとともに、包括的な差別禁止法の制定を急ぐ必要があります。合わせて、各方面でのガイドラインの策定や、相談・救済体制の拡充など、差別の防止と、被害者保護のための実効的な施策も求められます。

同時に、差別意識の解消に向けた息の長い取り組みも欠かせません。学校教育や社会教育の中で、性の多様性への理解を促す学習機会を拡充することが肝要でしょう。報道やフィクションの世界でも、ステレオタイプ的な表象を改め、トランスジェンダーの肯定的な姿を伝えていくことが重要です。何より、当事者の声に丁寧に耳を傾け、その体験を社会全体で共有していく営みを地道に積み重ねることが何より大切だと考えます。

これらの取り組みを進める上では、トランスジェンダー当事者の参画が不可欠だと言えます。施策の立案や、教材の作成など、あらゆる場面で当事者の声を反映させる仕組みを整えることが肝要です。同時に、当事者コミュニティの支援や、エンパワメントに向けた施策の充実も求められるでしょう。

もちろん、こうした取り組みは一朝一夕になしえるものではありません。差別の根絶には、社会を構成する一人ひとりの意識変革と地道な行動の積み重ねが必要だからです。しかし、性の多様性を尊重する意識を一つひとつ広げていくことは、誰もが自分らしく生きられる社会の実現に繋がる営みだと確信しています。その長い道のりを、トランスジェンダー当事者とともに歩んでいく覚悟が、いま私たち全員に求められていると言えるでしょう。

3.3 医療と人権課題の交錯 - 複合的なアプローチの重要性

ここまでトランスジェンダーの置かれた状況を、医療と人権の両面から論じてきました。しかしながら、この二つの領域は決して独立したものではなく、現実には複雑に交錯しているのが実情だと言えます。

例えば、トランスジェンダー医療へのアクセスの確保は、それ自体が人権の保障に直結する課題だと言えるでしょう。自認する性別で生きるために必要不可欠な医療を受けられないことは、人格の尊厳を著しく損なう事態だからです。他方で、医療的介入の是非の判断を誤ることは、本人の人生に取り返しのつかない影響を及ぼしかねません。ここには、医療と人権のジレンマ的な緊張関係が表れていると言えるでしょう。

より根本的には、トランスジェンダーの抱える困難を医療の問題に矮小化してしまう認識の問題があります。冒頭で批判的に検討した岩波氏の見解は、まさにこの点で重大な欠陥を孕んでいると言わざるを得ません。トランスジェンダーへの差別や偏見という社会の側の問題を等閑視し、医療的介入のみに焦点化するのは、あまりにバランスを欠いた議論だと考えます。

言うまでもなく、医療アクセスの改善は急務の課題ですが、それはトランスジェンダーの直面する問題のほんの一端に過ぎません。差別の解消や理解の促進など、人権課題に対する取り組みを疎かにしては、医療の充実も画餅に帰してしまうでしょう。岩波氏の議論は、こうした医療と人権の交錯を看過した結果、トランスジェンダー当事者のリアルから遊離した主張になってしまっているのです。

したがって、トランスジェンダーの尊厳を守るためには、医療と人権の両面から複合的にアプローチしていく必要があります。医療体制の拡充を進める一方で、差別の解消に向けた法制度の整備や啓発活動にも注力しなければなりません。そして何より、トランスジェンダー当事者の声に真摯に耳を傾け、彼らを取り巻く状況を多面的に理解することが肝要だと考えます。

その意味で、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論は、まだ緒に就いたばかりだと言えるでしょう。医療と人権の交錯を踏まえ、トランスジェンダーを取り巻く環境を包括的に捉える視点を確立すること。そして、当事者と社会の双方向の対話を通じて、具体的な打開策を編み出していくこと。そうした息の長い営みの積み重ねを通じてこそ、トランスジェンダーも自分らしく生きられる社会の姿が見えてくるはずです。

性の多様性が溢れる世界の実現のためには、分断を乗り越え、互いの尊厳を認め合う関係を築いていくことが何より重要だと考えます。医療か人権か、といった二項対立的な発想ではなく、双方の交錯を直視しながら、トランスジェンダー当事者の置かれた立場に寄り添う姿勢こそが、いま私たち全員に求められているのだと強く感じています。

4. 書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」の批判的考察

4.1 書籍の主張の要旨と意義

「トランスジェンダーになりたい少女たち」は、近年欧米で増加しているトランスジェンダーの少女たちに焦点を当て、安易な医療的介入がもたらす弊害を警鐘する内容となっています。著者のアビゲイル・シュライアー氏は、ここ数年で急増している思春期の女子青年のトランスジェンダー化の背景を探るべく取材を重ね、ジェンダー・アイデンティティの探求をめぐる複雑な状況を浮き彫りにしました。

同書の主張の要点は以下の3点に集約できます。第一に、SNSを介した「社会的伝染」によって、トランスジェンダーを志向する少女が増加しているという指摘です。第二に、安易な医療的介入が若者の心身に及ぼす悪影響への懸念が示されています。そして第三に、トランスジェンダーの権利擁護を唱える動きが、かえって当事者を追い詰めかねないとの主張がなされています。

こうした指摘は、トランスジェンダーの若者を取り巻く環境の複雑さを浮き彫りにしたという点で一定の意義があると言えるでしょう。ジェンダー規範に違和感を覚える思春期の若者たちが、多様な情報に触れる中でアイデンティティの探求を進める様子が生々しく描かれています。医療的介入の是非を判断する難しさについても、当事者の抱える悩みに即して考察がなされている点は評価できます。

また、トランスジェンダー当事者の権利擁護をめぐる議論のあり方について一石を投じた点も、同書の意義の一つだと言えるでしょう。シュライアー氏は、トランスジェンダーを無条件に肯定する風潮が、多様な悩みを抱える若者たちを画一的なカテゴリーに押し込める危険性を指摘しています。確かに、当事者の抱える葛藤を十分に踏まえない形で権利擁護が語られることの問題は看過できません。

しかしながら、こうした問題提起の仕方自体には、看過できない問題点があることも事実です。次節では、同書の抱える課題について批判的に論じていきたいと思います。

4.2 書籍の問題点と改善の余地

「トランスジェンダーになりたい少女たち」の議論の立て方をめぐっては、出版当初から多くの批判が寄せられてきました。評者としても、同書には看過できない問題点が少なからず含まれていると考えます。

第一に、トランスジェンダーの少女たちの増加を「社会的伝染」という概念で説明しようとする点には、大きな違和感を覚えます。確かに、SNSの普及によって情報へのアクセスは飛躍的に容易になりましたが、だからと言ってジェンダー・アイデンティティの探求を「流行」のような現象に矮小化することは適切とは言えません。シュライアー氏の議論は、トランスジェンダーを志向する若者たちの内面の複雑さを十分に捉えきれていないように思われてなりません。

第二に、医療的介入への慎重論を展開する中で、トランスジェンダー当事者の切実な思いへの理解が不足している点も看過できません。確かに、安易な医療的介入がもたらす弊害への警鐘は重要ですが、だからと言ってトランスジェンダーの若者たちの訴えを軽視するのは本末転倒だと言わざるを得ません。医療的介入を望むトランスジェンダー当事者の存在を十分に踏まえない議論は、当事者の尊厳を損なうものだと考えます。

第三に、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論のあり方への批判も、やや的外れな印象を受けます。シュライアー氏は、トランスジェンダーを無条件に肯定する風潮への違和感を示していますが、そこには当事者の置かれた困難な状況への理解不足が垣間見えます。トランスジェンダー差別が根強く残る中で、当事者の尊厳を守るための取り組みの重要性は論を俟ちません。シュライアー氏の主張は、こうした権利擁護の営みの意義を過小評価しかねないのです。

さらに言えば、同書の問題点は、トランスジェンダー当事者の声を十分に反映していない点に集約されるのではないでしょうか。医療的介入をめぐる議論にしても、権利擁護のあり方についても、当事者の思いに寄り添う姿勢が乏しいのは残念な限りです。多様な経験を持つ当事者の声に真摯に耳を傾け、その言葉を起点に議論を重ねていくことが、何より重要だと考えます。

こうした課題を踏まえるならば、同書の議論は、改善の余地を多分に残したものだと評さざるを得ません。トランスジェンダーの若者たちの抱える困難を多面的に捉え、医療のみならず社会的な差別の問題にも目配りした考察を行うこと。そして何より、トランスジェンダー当事者との対話を通じて、議論の前提を絶えず問い直していくこと。そうした姿勢なくしては、トランスジェンダーの若者たちに寄り添う議論を展開することはできないでしょう。

4.3 建設的な議論のために - 書籍をめぐる論争から見えてきた課題

ここまで「トランスジェンダーになりたい少女たち」の内容を批判的に検討してきましたが、同書をめぐる一連の議論からは、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる課題が浮き彫りになったと言えます。

まず指摘したいのは、トランスジェンダー当事者の声に耳を傾ける姿勢の重要性です。残念ながら、同書への批判の中には、シュライアー氏への個人攻撃に終始するものも少なくありませんでした。しかし、感情的な対立に陥ることなく、建設的な議論を重ねることこそが肝要だと考えます。トランスジェンダー当事者の思いに寄り添い、医療や差別の問題を多面的に捉える視点を共有することが、議論の前提となるはずです。

また、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論のあり方自体を問い直す必要性も浮き彫りになりました。シュライアー氏が危惧するように、トランスジェンダーを無批判に賞賛する風潮は確かに一面的だと言えるでしょう。しかし、だからと言って当事者の尊厳を損ねかねない言説を許容することは本末転倒です。トランスジェンダー当事者の声を起点としつつ、多様な立場の人々を包摂する形で権利擁護を捉え直すことが求められていると考えます。

さらには、トランスジェンダーの若者を取り巻く社会環境の改善に向けた取り組みの重要性も明らかになったと言えます。同書では、教育現場における画一的な性別分けなど、トランスジェンダーの若者たちを困難に陥れる社会の問題点が指摘されています。医療をめぐる議論と並行して、学校など若者の生活の場で性の多様性への理解を促進する取り組みを進めることが急務だと考えます。

同書をめぐる論争からは、トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論のあり方そのものを問い直す必要性が明らかになりました。特定の立場に与することなく、トランスジェンダー当事者の声を起点としつつ、分断を乗り越えた形で建設的な議論を重ねること。そうした息の長い営みなくしては、トランスジェンダーの若者たちが自分らしく生きられる社会の実現は覚束ないと言わざるを得ません。

ここで改めて批判的に言及しておきたいのが、冒頭で取り上げた岩波氏の書評です。同書を「学術的にも価値のある本」と無批判に賞賛し、トランスジェンダーの問題を医療に矮小化する岩波氏の議論は、まさに建設的な議論を阻害するものだと言わざるを得ません。トランスジェンダーの若者たちの抱える複合的な困難に寄り添うどころか、その声を封じ込めてしまいかねない姿勢は、学術的良識をも疑わせるものだと考えます。

トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論は、まだ緒に就いたばかりだと言えるでしょう。シュライアー氏の問題提起を批判的に乗り越え、トランスジェンダー当事者の声に謙虚に耳を傾けること。そして、医療と人権の交錯を直視しつつ、社会のあり方を包括的に問い直すこと。そうした営みの積み重ねを通じてこそ、トランスジェンダーの若者たちの明日が拓かれると信じています。

性の多様性が尊重される社会の実現は、特定の誰かの夢物語などではありません。一人ひとりが互いの尊厳を認め合い、それぞれの生き方を讃え合える関係を育むこと。その長く困難な道のりを、トランスジェンダー当事者とともに歩んでいく。そうした意志を改めて確認することから、建設的な議論は始まるのだと考えます。

5. トランスジェンダーの尊厳を守るための方策

5.1 トランスジェンダー当事者の声に耳を傾ける

トランスジェンダーの尊厳を守るためには、何よりもまず、当事者の声に真摯に耳を傾けることが不可欠です。医療のあり方をめぐる議論にしても、社会的な差別の問題にしても、トランスジェンダー当事者の切実な思いを抜きにしては、建設的な解決策を見出すことはできないでしょう。

しかしながら、これまでのトランスジェンダーをめぐる議論では、当事者の声が十分に反映されてこなかったのが実情だと言えます。「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる論争でも、著者のシュライアー氏の主張を無批判に支持する立場からは、トランスジェンダー当事者の訴えが軽視される傾向が見られました。

特に看過できないのが、精神科医である岩波明氏の姿勢です。岩波氏は同書を「学術的に価値のある本」と高く評価していますが、果たしてトランスジェンダー当事者の声を十分に踏まえた上での議論と言えるでしょうか。トランスジェンダー当事者の多くが、自認する性別で生きることの困難さを訴え、医療による支援を望んでいる現状を直視するならば、安易に医療的介入に慎重論を唱えることがいかに危険であるかは明らかです。

岩波氏は「トランスジェンダーの問題は、人権の問題ではなく医療の問題だ」とも述べていますが、これこそトランスジェンダー当事者の声を置き去りにした暴論だと言わざるを得ません。法制度の不備による差別の実態や、学校など生活の場で絶えず向き合わざるを得ない偏見の問題など、トランスジェンダーが直面する困難が医療の枠内に収まるはずがないからです。

トランスジェンダーの尊厳を真に守るためには、こうした認識の誤りを正すことが何より重要だと考えます。医療関係者に限らず、トランスジェンダーをめぐる議論に関わるすべての者が、謙虚に当事者の声に耳を傾けること。そして、医療から人権まで、トランスジェンダーを取り巻く状況を包括的に捉える視点を持つこと。こうした姿勢なくしては、トランスジェンダーの抱える困難に真に寄り添うことはできないでしょう。

そのためには、トランスジェンダー当事者の語りを丁寧に聴き取り、発信していく営みが欠かせません。手記の出版や、ドキュメンタリー映画の製作、当事者団体の活動の支援など、様々なアプローチが考えられるでしょう。また、当事者との継続的な対話の場を各方面に設けることも重要だと考えます。医療従事者や教育関係者、行政職員など、トランスジェンダー支援に関わる人々が当事者と率直に語り合える環境を整備する。そうした地道な取り組みの積み重ねを通じて、トランスジェンダーの置かれた現状への理解は深まっていくはずです。

同時に、当事者の声を代弁し、社会に働きかける役割を担うアライの存在も重要になってくるでしょう。トランスジェンダーではないからこそ発言できることもあるはずです。しかし、その際に肝要なのは、あくまでも当事者の思いに寄り添い、その声を起点とする姿勢を貫くことだと考えます。安易に自らの価値観を押し付けるようなことがあってはならないのです。

トランスジェンダー当事者の声に真摯に耳を傾け、寄り添い続けること。一人ひとりの思いを社会の隅々に届けること。その長く険しい道のりを、当事者とともに歩む覚悟が、いま私たち一人ひとりに求められていると言えるでしょう。

5.2 多様なステークホルダーの対話と相互理解の促進

トランスジェンダーの尊厳を守るためには、社会の様々な関係者が連携し、対話を重ねることが不可欠です。医療従事者や教育関係者、法曹関係者など、多様なステークホルダーが力を合わせなければ、トランスジェンダーを取り巻く複合的な困難の解決は覚束ないからです。

しかし、これまでのトランスジェンダーをめぐる議論を振り返れば、ステークホルダー間の連携と対話は十分とは言えない状況にあります。「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる論争では、医療関係者と、人権の観点からトランスジェンダー支援を訴える立場の間で、平行線をたどる議論が繰り広げられてきました。

特に残念なのは、医療関係者の一部に見られるトランスジェンダー当事者の人権への理解の乏しさです。先述の岩波氏のように、トランスジェンダーの問題を医療に矮小化し、当事者の声を軽視するかのような言説は看過できません。確かに医療的支援のあり方については慎重な検討が必要ですが、だからと言って人権の観点を等閑視していいはずがないのです。

多様なステークホルダーによる対話を進めるためには、まずはこうした認識の相違を埋めることが肝要だと考えます。トランスジェンダー当事者の置かれた状況を総合的に捉える視点の共有が、建設的な議論の大前提となるからです。医療関係者には、改めて人権の尊重という学術の基本に立ち返ることが強く求められると言えるでしょう。

その上で、様々な領域の専門家が一堂に会し、英知を結集していくことが重要になります。医療従事者、教育関係者、法曹関係者、福祉の専門家、当事者団体など、多様なステークホルダーが対等な立場で議論を重ねる場を設けること。そこでは、それぞれの専門的知見を持ち寄りつつ、トランスジェンダー当事者を取り巻く課題を中心に率直な意見交換が行われるべきでしょう。

また、シンポジウムの開催や共同研究の実施など、各専門分野の垣根を越えた交流の機会を積極的に創出していくことも求められます。医療、法律、教育、福祉など、異なる領域の専門家が直接対話する中で、トランスジェンダー支援への多角的なアプローチが生まれてくるはずです。

さらには、研修プログラムの実施など、トランスジェンダー支援に携わる専門職の育成に注力することも肝要だと考えます。トランスジェンダー当事者の思いに寄り添える感性と、各専門領域の力量を兼ね備えた人材を計画的に養成する。そうした息の長い取り組みを通じて、ステークホルダー間の意思疎通は確実に深まっていくでしょう。

分断を乗り越え、トランスジェンダー当事者の尊厳を守るための具体策を編み出していくこと。それは医療関係者のみならず、社会の様々な関係者に求められる喫緊の課題だと言えます。「トランスジェンダーの問題は医療の問題」といった認識の誤りに惑わされることなく、人権の視座を大切にしながら、多様な英知を結集していく。その道のりは平坦ではありませんが、歩みを止めるわけにはいかないのです。

5.3 分断を乗り越える - 包摂的な社会の実現に向けて

ここまで、トランスジェンダーの尊厳を守るための方策を、当事者の声を大切にすることと、多様なステークホルダーの対話という点から論じてきました。しかし、こと性の多様性をめぐっては、それを言うは易く行うは難しというのが実情だと言えます。性のあり方の多様性を認めようとしない意識が、今なお社会の根底に強固に残っているからです。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」をめぐる論争は、まさにそうした意識の表れだったと言えるでしょう。医療的介入に慎重であるべきだという主張自体は一概に否定できるものではありませんが、トランスジェンダー当事者の人権を軽んじるかのような論調には大きな違和感を覚えます。

とりわけ、岩波氏をはじめとする一部の医療関係者の発言には強い憤りを感じずにはいられません。確かに、医療的判断の重要性は十分に理解できます。しかし、トランスジェンダー当事者の切実な思いを脇に置き、一方的に医療の論理を振りかざすのは、人権を尊重する医療者の姿勢とはほど遠いと言わざるを得ません。

こうした認識の誤りを正していくためには、私たち一人ひとりが性の多様性を尊重する意識を培っていく必要があります。人は誰しも、自分らしさを大切にしながら生きる権利を持っているはずです。「男らしさ」「女らしさ」といった固定観念にとらわれることなく、一人ひとりの性自認を尊重し合える社会を目指すこと。それは、けっしてトランスジェンダー当事者だけの問題ではないのです。

性の多様性への理解を広げるためには、まずは教育の役割が重要になるでしょう。学校教育の中で、性の多様性について学ぶ機会を設けることは急務の課題だと考えます。単に知識を得るだけでなく、性のあり方は十人十色であることを実感できるような、参加型の学習プログラムの開発も求められます。

また、メディアにおける表象のあり方を改善していくことも肝要です。これまでトランスジェンダーは、ステレオタイプ的なイメージで描かれることが少なくありませんでした。トランスジェンダー当事者の生の声を伝え、その多様な生き方を肯定的に捉える報道を増やしていく。そうした地道な営みの積み重ねが、社会の意識を変えていく原動力になるはずです。

分断を乗り越え、性の多様性を尊重する社会を実現するためには、法制度の整備も急務の課題となります。2004年に施行された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」は画期的な一歩でしたが、要件の厳しさなど、多くの課題が指摘されています。今般の論争を経て、より包括的な形での法整備を急ぐことが、あらためて社会に問われていると言えるでしょう。

トランスジェンダーをはじめとする性的マイノリティの尊厳を脅かす差別や偏見は、けっして彼ら彼女らだけの問題ではありません。私たち一人ひとりが無意識のうちに抱える性規範を問い直し、多様な生き方を認め合う意識を培うこと。医療をはじめとするトランスジェンダー支援のあり方を、人権の観点から根本的に見つめ直すこと。そして、具体的な法整備や教育・啓発の営みを地道に積み重ねること。その長く険しい道のりを、トランスジェンダー当事者とともに進んでいく覚悟が、いま私たち社会の側に強く求められていると言えるでしょう。

性のあり方は十人十色であり、それぞれのあり方が尊重されるべきだという、シンプルだけれど大切な真理。それを社会の隅々にまで浸透させるための営みは、けっして平坦なものではないでしょう。分断を乗り越え、多様性が花開く社会を実現するためには、時に厳しい対立も厭わない強い意志が求められるはずです。

しかし、一人ひとりの尊厳が輝く、誰もが生きやすい社会を築くこと。それは私たち誰もが心の奥底で望んでいる理想だと信じています。岩波氏をはじめとする、認識の誤りを正し、対話を諦めない。時に痛みを伴うそのプロセスを、トランスジェンダー当事者とともに歩んでいく。そうした一歩一歩の積み重ねの先に、私たちが夢見る社会の姿が必ずあるはずです。

以上、トランスジェンダーの尊厳を守るための方策について論じてまいりました。当事者の声に真摯に耳を傾け、社会の様々な関係者が英知を結集すること。そして、一人ひとりが性の多様性を尊重する意識を培い、分断を乗り越えていくこと。それは決して容易な道のりではありませんが、誰もが自分らしく生きられる社会を実現するためには避けて通れない営みだと考えます。

特に、医療関係者を含む専門職には、より一層の自覚が求められるでしょう。医療的判断の重要性は言うまでもありませんが、それ以上に人権尊重の意識を強く持つこと。トランスジェンダー当事者の訴えに謙虚に耳を傾け、寄り添う姿勢を貫くこと。そうした倫理観なくしては、トランスジェンダーの尊厳を真に守ることはできないはずです。

岩波氏の発言に象徴されるように、私たちの意識改革への道のりはまだ道半ばだと言えます。しかし、トランスジェンダー当事者の切実な思いに心を寄せ、多様な立場の人々が手を携えるならば、必ずや分断を乗り越えられるはずです。性のあり方の多様性を尊重し合える、包摂的な社会を実現すること。その崇高な理想の実現に向け、私たち一人ひとりが今日から一歩を踏み出すこと。それが何より肝要だと考えます。

トランスジェンダーの尊厳を守るための取り組みは、けっして彼ら彼女らだけのためのものではありません。多様な生き方を認め合い、互いの尊厳を大切にし合う。そうした意識を社会の隅々にまで根付かせること。それは、ひいては私たち一人ひとりの生きやすさにも直結する営みだと言えるでしょう。

性の多様性が当たり前のものとして受け入れられる社会。そこでは、トランスジェンダーであるか否かにかかわらず、誰もが自分らしく、誇りを持って生きることができるはずです。そうした社会の実現は、もはや私たちの夢物語ではありません。分断を乗り越え、対話を諦めない強い意志を持って、一歩ずつ前に進んでいくこと。今こそ、私たち一人ひとりのそうした覚悟が問われているのだと考えます。

6. おわりに

6.1 本論説のまとめ

本論説では、書籍「トランスジェンダーになりたい少女たち」の邦訳刊行をめぐる議論を端緒として、トランスジェンダーの置かれた状況を、医療と人権の両面から多角的に考察してまいりました。

序盤では、トランスジェンダー当事者が直面する医療アクセスの不足や社会的差別の実態を明らかにしつつ、とりわけ思春期の若者への拙速な医療的介入の危険性について論じました。同時に、こうした課題の背景には、トランスジェンダーの抱える困難を医療の問題に矮小化する認識の誤りがあることを指摘し、人権の観点を踏まえた包括的なアプローチの必要性を訴えました。

続いて、「トランスジェンダーになりたい少女たち」の内容を批判的に吟味し、同書の問題点を浮き彫りにしました。トランスジェンダー当事者の声を十分に反映しないまま医療的介入への慎重論を展開する姿勢は、当事者の尊厳を損なうものだと言わざるを得ません。とりわけ、岩波明氏をはじめとする、同書を無批判に評価する論者の認識の誤りは看過できないものでした。

岩波氏は同書を「学術的にも価値のある本」と高く評価していますが、トランスジェンダー当事者の声を置き去りにした議論が学術的とは到底言えません。「トランスジェンダーの問題は、人権の問題ではなく医療の問題だ」との発言に象徴されるように、トランスジェンダー当事者の複合的な困難を医療に矮小化する認識は、人権尊重の理念からかけ離れたものだと断じざるを得ないのです。

こうした岩波氏の姿勢は、医療従事者として、学者としての倫理観が問われる由々しき問題だと言えるでしょう。トランスジェンダー当事者の切実な訴えに耳を傾けることなく、自らの専門分野の論理を振りかざすだけでは、到底建設的な議論にはなり得ません。医療的見地からの意見表明の重要性は理解できますが、だからと言って人権の観点を等閑視していいはずがないのです。

本論説では、このように「トランスジェンダーになりたい少女たち」とそれを無批判に支持する岩波氏の議論の問題点を鋭く指摘しつつ、トランスジェンダーの尊厳を守るための方策についても論じてまいりました。当事者の声に真摯に耳を傾けることと、多様なステークホルダーの対話を通じた相互理解の促進を提起し、社会に根強く残る性規範の二元論を乗り越え、多様性を尊重する意識を醸成していくことの重要性を説きました。

本論説で繰り返し強調してきたのは、トランスジェンダー当事者の置かれた困難な状況を直視し、その声に謙虚に耳を傾ける姿勢を貫くことの大切さです。医療的判断の重要性は言うまでもありませんが、それ以上に、人権尊重の意識を強く持つこと。トランスジェンダー当事者に寄り添う姿勢なくしては、真の意味での支援は成り立たないことを、私たちは肝に銘じるべきでしょう。

そのためにも、医療関係者をはじめとする専門職には、より一層の自覚と研鑽が求められます。シュライアー氏の議論を無批判に支持する立場や、トランスジェンダー当事者の人権を軽んじるかのような言説は、断じて許容されるべきではありません。「トランスジェンダーの問題は医療の問題」といった、トランスジェンダー当事者の声を置き去りにした認識の誤りを正すことは喫緊の課題だと言えるでしょう。

トランスジェンダーの権利擁護をめぐる議論は、まだ緒に就いたばかりです。本論説で提起した論点を起点として、トランスジェンダー当事者の声により謙虚に耳を傾けていくこと。性の多様性を尊重する意識を、社会の隅々にまで浸透させるための営みを地道に積み重ねていくこと。そうした息の長い取り組みへの第一歩を、私たち一人ひとりが踏み出すことが何より重要だと考えます。

6.2 トランスジェンダーの権利擁護に向けた展望 - 私たち一人ひとりにできること

ここまでの議論を通じ、トランスジェンダーの権利擁護には、当事者の声に耳を傾け、多様なステークホルダーが連携して取り組むことが不可欠だと論じてまいりました。それでは最後に、そうした取り組みを進めるにあたって、私たち一人ひとりに何ができるのかを考えてみたいと思います。

まず何より大切なのは、トランスジェンダー当事者の置かれた状況への理解を深めることだと考えます。当事者の手記に触れたり、当事者団体の活動に関心を寄せたりすることを通じて、その声に真摯に耳を傾ける。性別の悩みは当事者だけのものではなく、社会の側にも課題があるのだという意識を持つこと。それが、トランスジェンダー当事者に寄り添う第一歩となるはずです。

また、日常生活の中で、性の多様性を尊重する意識を言葉や行動で示していくことも重要でしょう。「男らしさ」「女らしさ」といった固定観念に縛られることなく、一人ひとりの性自認を尊重する。トランスジェンダーに限らず、性的マイノリティ全般への差別的言動を許さない。そうした一つひとつの振る舞いの積み重ねが、社会の意識を少しずつ変えていく原動力になるはずです。

加えて、教育の果たす役割の大きさも看過できません。学校など身近な場で、性の多様性について学び、議論する機会を積極的に設けること。発達段階に応じたプログラムを通じて、子どもの頃から多様性を尊重する意識を育んでいくこと。そうした地道な営みを続けることで、トランスジェンダーに限らず、あらゆる人々が自分らしく生きられる社会の基盤が形作られるのだと考えます。

そして、トランスジェンダーの権利擁護に向けた取り組みに、自ら進んで関わっていくことも大切だと言えるでしょう。署名活動への参加や、議員への働きかけなど、制度の改善を求める市民活動は数多く存在します。また、Pride をはじめとするイベントのボランティアとして汗を流すことも、理解を深める良い機会となるはずです。社会の側から当事者に歩み寄る。そうした姿勢を私たち一人ひとりが示していくことが何より求められているのです。

トランスジェンダーの尊厳を守るためにできることは、決して難しいことではありません。当事者の声に謙虚に耳を傾け、自らの無理解や偏見に向き合うこと。性の多様性を尊重する意識を、日々の言動で示していくこと。そして、トランスジェンダー当事者とともに歩む覚悟を持つこと。そのような一人ひとりの意識と行動の変容の積み重ねを通じて、必ずや社会は望ましい方向に変わっていけるはずです。

シュライアー氏や岩波氏の認識の誤りに惑わされることなく、トランスジェンダーの権利擁護について私たち一人ひとりが考えを深めていくこと。多様な性のあり方を認め合い、互いの尊厳を尊重し合える社会の実現に向けて、具体的な行動を起こしていくこと。この論争を通じて、私たちはそのことの重要性を改めて思い起こさせられたのです。

トランスジェンダーの若者たちをはじめ、性的マイノリティの人々が自分らしく生きられる社会を築くこと。それは特定の誰かだけの夢物語などではありません。分断を乗り越え、対話を諦めない。そのための努力を私たち一人ひとりが積み重ねていくこと。今こそ、そのための強い意志が私たち全員に求められていると言えるでしょう。

「みんなちがってみんないい」。性別も、性自認も、性的指向も、十人十色であっていい。その言葉を社会の隅々で息づかせるために、私たちができることは少なくありません。トランスジェンダー当事者の声に心を寄せ、連帯の輪を少しずつ広げていく。その営みを通じて、一人ひとりの尊厳が輝く社会を、必ずや私たちの手で実現できるはずです。

性のあり方の多様性を尊重することは、トランスジェンダーの人々のためだけの課題ではありません。そうした意識を育むことは、私たち自身の生き方を問い直し、互いの尊厳を大切にし合える社会を築くことにつながるのです。一人ひとりが性の多様性への理解を深め、具体的な行動を起こしていく。その息の長い営みを通じて、トランスジェンダーの尊厳が守られる日は必ず訪れると確信しています。

シュライアー氏の問題提起や、岩波氏の認識の誤りに立ち向かうためにも、多様な性のあり方を認め合い、互いを尊重し合える社会を築くための努力を、私たちは諦めるわけにはいきません。今こそ、トランスジェンダー当事者とともに歩む強い意志を持って、一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。

1. トランスジェンダー当事者の声
 トランスジェンダー当事者の声に真摯に耳を傾けることは、その複合的な困難を理解し、適切な支援策を講じる上で不可欠の前提となります。当事者の視点を抜きにした議論は、いかに専門的知見に基づくものであっても、結局のところ机上の空論に陥るリスクがあるのです。

2. 人権尊重
 トランスジェンダーの尊厳を守ることは、人権尊重の理念に基づく社会の責務だと言えます。医療的支援のあり方も、人権の観点から捉え直されなければなりません。トランスジェンダー当事者の基本的権利を保障することは、人間の多様性を認め合う成熟した社会の証しなのです。

3. 医療と人権の交錯
 トランスジェンダーの抱える困難は、医療の問題であると同時に、人権の問題でもあります。両者は決して別個の事柄ではなく、密接に絡み合っているのが実情です。医療的判断の重要性は言うまでもありませんが、そこに人権尊重の視点が欠けてはならないのです。

4. 性の多様性
 性のあり方は多様であり、それぞれが尊重されるべきだという認識は、トランスジェンダーの権利擁護を考える上での大前提となります。「男らしさ」「女らしさ」といった固定観念に縛られない、柔軟で包摂的な社会の実現に向けた意識改革が求められているのです。

5. 包括的アプローチ
 トランスジェンダー当事者が直面する困難は、医療、教育、雇用など、多岐にわたります。そうした複合的な課題に適切に対処するためには、分野横断的な視点に立った包括的アプローチが不可欠となります。さまざまな領域の専門家が英知を結集し、当事者の声を起点としながら、総合的な支援策を講じていく必要があるのです。

6. 当事者に寄り添う姿勢
 支援者には、トランスジェンダー当事者に寄り添う姿勢が何より求められます。当事者の思いに耳を傾け、その声を起点として支援のあり方を考えること。時に専門家としての立場を脇に置いてでも、当事者に共感的に理解しようとすること。そうした姿勢なくしては、真の意味での支援は成り立たないのです。

7. ステークホルダーの対話
 医療従事者、教育関係者、当事者団体など、トランスジェンダー支援に関わるさまざまなステークホルダーが対話を重ね、相互理解を深めていくことが極めて重要です。立場の違いを乗り越え、トランスジェンダー当事者の尊厳を守るという共通の目標に向かって、それぞれの専門性を活かした協働を進めていくことが求められるのです。

8. 教育の役割
 性の多様性を尊重する意識を社会の隅々にまで根付かせるためには、教育が果たす役割が極めて大きいと言えます。学校教育の中で、性の多様性について学び、議論する機会を積極的に設けていくこと。そうした地道な営みの積み重ねを通じて、一人ひとりが多様性を尊重する意識を育んでいけるはずです。

9. 社会の意識改革
 トランスジェンダーの権利擁護のためには、社会全体の意識改革が不可欠の課題となります。性の多様性を尊重し、互いの尊厳を認め合える社会を実現するためには、私たち一人ひとりが自らの意識と行動を問い直していく必要があります。そのための啓発活動や、メディアにおける当事者の肯定的な表象など、社会の意識改革に向けた多面的な取り組みが求められるのです。

10. 一人ひとりの行動
 トランスジェンダーの尊厳を守るためには、私たち一人ひとりの具体的な行動が何より重要だと言えます。当事者の声に耳を傾け、理解を深めること。性の多様性を尊重する意識を日々の言動で示していくこと。そして、トランスジェンダー当事者とともに連帯し、具体的な行動を起こしていくこと。そのような一人ひとりの意識と行動の変容の積み重ねを通じて、社会は少しずつ望ましい方向に変わっていけるはずです。

11. 多様性の尊重
 性のあり方の多様性を認め合うことは、ひいてはあらゆる多様性を尊重することにつながります。年齢、国籍、障害の有無など、私たちには実にさまざまな違いがあります。しかし、どのような違いがあろうとも、互いの尊厳を大切にし合える。そうした包摂的な社会を実現することは、トランスジェンダーの人々のためだけではなく、私たち一人ひとりの生き方を豊かにしてくれるはずです。

12. 連帯と共生
 トランスジェンダーの権利擁護のためには、当事者と社会の連帯が何より重要だと言えます。互いの多様性を認め合い、共に生きる社会を築くこと。そのためには、当事者と非当事者が分け隔てなく手を携え、ともに歩んでいく姿勢が求められます。一人ひとりが自分にできることを考え、具体的な行動に移していく。その息の長い営みを通じて、トランスジェンダーの尊厳が守られる社会の実現に少しずつ近づいていけるはずです。

甘利実乃

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