SRS(性別適合手術)を翌日にひかえて思うこと

私はSNSなどのネット上では、SRSを受けることになったことには触れないままできました。

それは、ある程度は隠しておきたいという気持ち、そして、ある程度は、自分の中ではもうそれほど重要度が高くない事項になっていたからかもしれませんが、実は自分でもよく分かりません。

私のSRSへの真剣なチェレンジは12年半前から始まります(SRSという言葉はありませんでしたが、存在を知ったのは子どもの頃です)。そして、12年間、ずっと重い心疾患を理由に引き受け手がいなかったにもかかわらず、引き受けてくださる先生を探してきました。

私はなにも命を投げ出してでもなんとしてでもという切羽詰まった状態ではなかったので、時間を度外視して、出来得る限り安全にSRSができる時代が来るのを待ち続けました。

重い心疾患を持つ私の譲れない条件としては、

・三次救急の大学病院で受けられること。
・2週間は安心して入院できること。
・居住地から近いこと。

の3つがありました。

そして、12年待った甲斐があったのでしょう。この3つの条件がようやっと整った病院が現れました。

それでも、私の場合、何名もの先生方に引き受けてもらったり承認してもらわないと手術は受けられません。実際、承認が降りなかったので身体治療ができず(脱毛くらいはできますが)、名前の変更だけで生き抜いてきた時代も7年ほどあったわけです。

その間、戸籍とは関係なく、希望の性別で就職し、恋愛し(ごっこだったのかもしれませんが)、就学もしてきました。結局、困難と呼べるほどの困難には遭遇することなく、穏やかに過ごしてきました(それはたまたま中性的だという別の疾患が重なったための不幸中の幸いです)。

とは言え、それはある意味建前的な言い方であって、もちろん、本人の心のなかにはじくじたる思いがずっとありました。目の前をどんどんどんどんあとからやってくる人たちが追い抜いていく……。諦観して見ているつもりでも、やはりショボ──(´・ω・`)──ンという気持ちはありました。それに3つの性別をいちいち使い分けるのも結構しんどいものです。

それでも12年が経ち、13年目に入ったところで、機会は急に巡ってきました。あまりにも急過ぎたので、200万円を超える瞬間的な財政出動を目の前にして、一瞬ひるんでしまいましたが、それこそ、手術のためのお金を貯めるために死んでしまうのではないかと思うくらいプラスアルファの仕事をして、先人たちの苦労を私もある程度なぞってみました(感想としては、過酷すぎると思います。私より若くして過労死した仲間の死が理解できました)。

さて、今日入院したここは私がまだ住んでいる大学の寮のすぐ近くの大学病院(杏林大学医学部附属病院)であり、馴染みのある場所です。特別になにか緊張感があるわけではありません。高揚感や夢や期待が特別にあるわけでもありません。死なせないつもりで引き受けてくれた先生方の腕と勇気を疑う気持ちもありません。

今回もかなりの痛みに耐えなければならないでしょうが、それも今までに何度も経験したことに過ぎません。いずれは過ぎ去ります。万が一、悲しい結果に終わったとしても、もう十分満足の行く幸せな人生を送ってきたという思いがあるため、地縛霊にもならないでしょう(そんなに悲しまないで……)。

まぁ、こんなことを割と平板な感情でつらつらと書いてはいますが、今年の夏、弱い心臓の限界すれすれまで、日雇労働だろうがなんだろうが頑張り続けた私の気持ちは、やはり半端ないものだったのでしょう。普通ならこれは諦めるよなぁ、と自分でも何度も思いましたもの。

夢と言えば、そうですね、いままでプールのジャグジー止まりだったのですが、姉と一緒に温泉にでもつかって、ホッとひと息つけるようになることでしょうか。

明日、私の心臓は、また限界まで頑張るつもりです。

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