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雨の朝

雨が窓を叩く音に目が覚める。
猫がベッドに上がり鼻先に顔を近づけてくる。
髭が当たってくすぐったい。
それから、いつものように
べたあっと腹の上で、笹井屋のなが餅みたく伸びると、私の肩先に顎をのせ喉を鳴らし始めた。毛の少ない下腹部が鳩尾あたりに密着し、ほんのり暖かい。
猫というのは、こっちから寄って行く時は決まって素っ気ないが、たまにこうして大胆な行動に転じ、飼い主の恋心をくすぐる。
しばしの後に、うっとりとした時間は儚くも終わり、ふと我に戻った猫は何事もなかったようにベッドを降り、振り向きもせず去っていった。
恋をしていたのは私だけだったか。
都合よく利用された鳩尾に、ぬくもりの余韻が残る。

小沢健二じゃないけれど、
若い頃、幸せな時間は、この先ずっと続くのだと漠然と信じていた。そんなことは自明のことだとさえ、思っていたかもしれない。
直感的には、それは間違いだと理解していた。でも若き感情は盲目で、明日は今日の続きであるように、この先もその先も今よりもっとよい形に続いてゆくのだと思っていた。

ベッドから起きあがり、頭を掻きながら庭を眺める。雨上がり木の葉に残った水滴が朝日を反射している。

もう若くはないけれど、やっている事の根本は変わってないのかもしれない。
相変わらず私たちは、未来を今の延長として想定し、過去の出来事を繋げ、レールの先に様々な予定を立て、投資している。でも確率は違えどすべてに言えるのは、それ自体が現実になる保証はないという事。
なるべくその根本に気付かないように、幻想の未来を想定し計画を立てているが、当たり前に来るはずの明日が来ないかもしれないと気付くと、決まって私たちは取り乱し、泣きじゃくり罵倒しあう。

随分昔のこと、21世紀に入って間もない春の日
公園を一人、あてもなく歩いていた。
歩いてはベンチで空を見上げ、また歩いた。
あるありきたりな理不尽に、自分なりの理由を見つけようとしていた。
結局、信じていた未来はやって来なかった。
それでもそれなりに生きていかなくてはならない。現状への適応を生み出すのもまた、時間のなせる技の一つであった。人は大抵どんな状況にも慣れてゆくものだ。

 きつくしがみついていればいるほど
 まわりが見えなくなる
 わかったつもりでいると
 激しく転び
 泥水に顔を沈めることになる
 ある時気付く
 理不尽の元は自身にあったのだ

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