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【風俗街で育って】 ある黒服と私の話 【今もまだ】

 お母さん達を、連れて行く人。
 お母さん達を、返してくれる人。
 時々、おいしいものをくれる人。
 時々、隠れて泣いてる人。

 どうしようもないくらいクズで、どうしようもないくらい『人間』。それが、彼らだった。

 そのへんのデリヘルや、風俗店の嬢の待機所が託児所を兼ねていて、私が幼少期のほとんどをそこで過ごしていたことは、このnoteにも
何度か書いた。(という言い回しはラヴクラフトの『ダゴン』に寄せた)

 初めての方に向けて何度も書かないと、私自身が嬢であったと思わせてしまうので、今回も先に書かせて頂くとして──、

 そこにちょこちょこ顔を出すのが、黒いスーツで嬢と客の間を泳ぎ回る、『黒服』と呼ばれる男達。
 かっこいい車を運転できて、ダイヤモンドの形に氷を削れて、時々豪華なケーキやお花をくれて、酔っ払いの喧嘩を上手くおさめる彼らは、黒いスーツを着こなしてスタイルが良く見えることもあって、私達『夜の子供達』の間では、お母さん達やお姉さん達と喧嘩したり泣かしたりしているホストなんかよりも、ずっと人気があった。

 実際には店の経営者に借金がある人や、売れないホストの成れの果てであったのかもしれない。
 でも、私達子供の目には、雑用をこなせるというのはとんでもない万能感があったし、女性と客の間に黒服が入るだけで場が収まるのは権力があるように見えたし、そもそも黒いスーツ自体がかっこいいし、とにかく『黒服はかっこいい』。そういう認識の子供は多かったと思う。
 男の子は黒い服を着て仕草を真似ていたし、女の子は年上の男性の象徴として、恋をする目で見ていた気がする。

 だからその黒服が、白いワンピースの高級嬢を送り出した後の顔を見た時、『胸を引き裂かれる』という表現の適切さを知って、私はTシャツの胸元を掴んで立ち尽くした。本当に、心臓が痛くなったのだ。

 その時私は下校中で、夜はキラキラしているのに、昼に見るとただ灰色で薄汚いだけの風俗街のど真ん中をランドセルを背負って歩きながら、いつもの託児室で小さい子達と遊ぼうか、駐車場の『しましまの車』で本の続きを読もうかを考えていた。
 託児室の『いろんなお母さん』が勤めるお店の看板を眺めていると、その街で一番キレイな雑居ビルから知ってるお姉さんが出てきたので、駆け寄ろうとした。

 でも、すぐあとにスーツを着た初老の男性と、若い黒服が続いたので、遠慮して、歩く速度を落とした。

 お姉さんと男性が、楽しそうに話している。
 黒服が、前から来たタクシーを停める。
 二人が、タクシーに乗り込む。
 タクシーは、こちらに走ってくる。
 私の横を通り過ぎる時、お姉さんと男性が、中から手を振ってくれる。

 黒服のことは、見もしなかったのに。

 振り返した手をそのままに、小さくなっていくタクシーを、後ろを向いて見送りながら歩いていたので、私は、黒服にぶつかった。
 よく知っている人。怖くはない。
「ごめんなさい」
 そう言って、彼を見上げた。その時。

 見えない槍か何かで、心臓を貫かれた気がした。

 私はその黒服に、恋をしていたわけではない。黒服はかっこいいけど、みんな同じに見えていて、『お花をくれる人』『指輪がかっこいい人』『いい香りがする人』みたいな認識しかしていなかった。
 ただこの人は、『お料理が上手な人』で、少しだけ特別だった。
 運動会の時に、毎年、豪華なお弁当を重箱で持ってきてくれる。冷凍したフルーツを紙コップに入れて、サイダーを注いで即席のフルーツポンチにしてくれるのが託児所の子達に人気で、そういう時はパーカーで来るから普通のお兄さんに見えて、運動会に来ないタイプの母を持つ子供達にとっては、神様みたいな人だった。

 会うといつも「今日、給食なんだった?」と聞いてくる、笑顔の黒服。
 だから、そんな彼の泣き出しそうな顔は想像もつかなくて、男の人でも泣くのかな、この人でも泣くのかな、どうしよう、今泣かれたらどうしようと思ったら、心臓がどんどん痛くなって、動悸がして、息切れがして、そのまま、彼の顔から目が離せなくなってしまった。

「びっくりしすぎ」
 彼はいつもの顔に戻って、私の頭を撫でた。
「ちゃんと、前見て歩け」
 もう、泣きそうな顔じゃない。でも、困った顔をしている。私が、見ちゃいけないところを見たからだ。
「……ごめんね」
「なにが?」
「見たから」
「なにを?」
 気を許した相手には、私はなんでも話してしまう。懐くとオブラートをかけられなくなるのは当時からで、私は子供の残酷さをもって、それはもう、はっきりと言った。
「お姉さんを送って、泣きそうな顔してたの」
 黒服は、はは、と笑ってから、また困った顔をした。私は聞くまでもないこと、聞いてもどうしようもないことを聞いた。
「お姉さんのこと、好きなの?」
 彼は道の隅にしゃがみ込んで、タバコに火をつけた。でも、私が隣に座るとすぐに火を消して、また、頭を撫でてきた。
「そういうの、はっきり聞いちゃダメ」
「うん。ごめんね」
「好きになっちゃダメな人だからさ」
「おじさんのお気に入りだから?」
「お前、容赦ないね」
「ごめんね」
 その街は、子供にはわからないことが多かった。とりあえずその時の私には、お姉さんがこの黒服よりも、あの初老の男性を選ぶ理由がわからなかった。こっちの方が若いのに。料理ができて優しくて、顔だってかっこいいのに。
 思い当たるのは、
「お金持ちな方がいいのかな」
 そのくらいだ。

 今思えばあの黒服、よくあんなめんどくさい子供の話し相手をしてくれたと思う。
 ただ、辛い恋の話は、誰でもいいから聞いてくれ、となりがちなのもわかる。その時の彼も、そうであったのかもしれない。
「そういう女と思いたくねえな」
「お金以外のとこは、勝ってると思う」
 私は子供なりに、なんとかその黒服をはげまそうとした。
「お料理上手だし、優しいし、お弁当作れるし」
「胃袋掴むかあ…」
「黒いの着てるのもかっこいいよ。ミッシェルみたい。それか、レザボアとか、BROTHERみたい」
「お前、ロックな趣味してるよな」
「あのおじさんより、長生きできるし」
 寿命に触れるあたり、子供って本当に残酷だと思う。でも、実際そうだ。少しでも長く一緒にいられる相手がいい。いいに決まっている。そんな幼い価値観を、微笑んで聞いていたのか、聞き流していたのか。
「ありがと。お前はいい奴好きになれよ」
 黒服は立ち上がって、スーツの皺を直しながら言った。

 その言い方だと、その黒服やお姉さんが、悪い人みたいに聞こえる。
「悪い人じゃないでしょ?」
「世間はそうは思ってない」
「世間てどこ?」
「街の外。俺もそのうちこんな仕事やめるし、この街も出てく。お前も出ろよ」
 街を出る、ということを、その時初めて意識した。
 それは、大人になる儀式のように聞こえた。

 言葉通りに数年後、その黒服はいなくなった。
 いつだったかはわからない。記憶に残るような別れ方もなかった。6年生の時の運動会には来てくれたから、多分その後。
 お姉さんが、私にたくさんの映画のDVDを買ってくれて立ち去るより、少し前だったと思う。

 私が大学卒業と同時に街を出て、コロナ禍の中、仕事や生活に必死で、街のことも、お姉さんのことも、その黒服のことも考えなくなった頃。

 突然LINEに、着信があった。
 
 いつだったか、LINEを交換して、そのまま残していたのを思い出した。アイコンの写真に面影があるけど、頭に手拭いを巻いていて、なんだか職人さんみたいに見える。
 名前がお店のような名前になっていて、トークには

『フグの免許取ったから食いに来て』

 と書かれていた。

『嫁と、店はじめたから』

 お料理が上手だった。給食のメニューを、いつも聞いてきた。お弁当がキレイだった。おいしいと言うと、嬉しそうにしていた。

『免許取りたてなんて、怖いからやだ』
『容赦ねえな。毒のとこはわかりやすいから、うっかり残ったりしないの。来る?』

 私は少し考えてから、やっぱり、聞くことにした。

『嫁って誰? あのお姉さん?』

 LINEの名前に“フグ”とつけて検索していると、少ししてから返信があった。

『そういうの、はっきり聞いちゃダメ』

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