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【実家帰省という旅③】熊本のおばあちゃんの新しい”わが家”

熊本のおばあちゃんが昨年6月に横浜に引っ越してきた。2016年の熊本地震で家にひびが入ってしまい、一人暮らしも心配な歳だし皆がいる神奈川県に引っ越すという話になってから、7年越しでようやくだった。

候補地は、実家の近くの再開発された団地の中のホーム。小さい頃は「おばけが出そう」と言われた暗くて荒れた団地だった場所は、少し前に、老人ホームや公園が併設する、明るくてきれいな団地に生まれ変わった。

おばあちゃんが入った施設はその団地の中にあり、部屋は簡易キッチンの付いているワンルームマンションの一室のような形で、「一人暮らし」をしつつ、家事サービスやデイサービスもある。何かあると、受付に行けば、30代後半のきびきびした女性の所長がすぐに来てくれる。まさに快適。

半年前に訪れた部屋は、まだ荷物が大量にあふれていたが、それはまだ年末年始も変わらなかった。ビニール袋に詰まった洋服、塗り絵が埋もれているというものが積まれたテーブル、編み物用の大量の毛糸。しばらく、洋服と毛糸の片付けを手伝った。

おばあちゃんは、物忘れがひどくなり、数分おきに、何度も何度も今日の日にちを確認する。それに応える父も、何度も何度も応えてあげていた。

昔なら、父は「さっきも言ったでしょうが」と半分怒りながら答えるところだが、今は何度も辛抱強く(半ばあきらめながら)応えている。昔の父からはちょっと想像できないほど穏やかで、私はわりと驚いた。

そして、おばあちゃんは、メモ帳に何度も何度も日付と予定を書く。書きながら「また(同じことを)書いてしまった」とおばあちゃんが言い、「紙はあるから何度も書いてよか」と熊本弁で父が返す。忘れがちになるのは切ないけど、なんだかすごく微笑ましく思えた。

部屋に来てから5分おきに、日付と朝ごはんを食べたかの質問があり、私も慣れて自動的に何度も答える。片付けをし、病院の手続きや携帯の住所変更した。塗り絵用の色えんぴつを出しながら、必要なものは、3歳の姪っ子と似ているなと思った。

そして、もうそろそろ帰ろうかなというところだった。

「で、ここはどこ?病院?」とおばあちゃんが聞いた。
私は咄嗟に言葉が出てこなかった。おばあちゃんは物忘れ以前に、まだ熊本の家を出たことへの心の整理がついていなかったのだと、その時ようやく気付いた。

「ここは、お母さんの家、”わが家”だよ。」
今さら基本的なこと聞いてくるねと父は朗らかに言った。おばあちゃんは部屋を改めて見まわして、「たしかにキッチン、コートかけもある」と確認し「そうね。”わが家”ね」と言い、メモ帳に「わが家」と書いた。

「まだ半年だもんね。これから慣れるよ」
と私は言いつつ、これが無責任な言葉にならないようにしようと思った。

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